荏原町商店街 庚申公園そばの変遷
先月の最後の週末、27日の日曜日の早朝に緊急で勤務先に出たことがあった。幸い大事なく対応して最寄りの荏原町駅まで帰ってきたのが11時過ぎだった。
駅から荏原町商店街を少し歩いて、庚申堂のちょっと先に公園がある。庚申公園という。その隣の三角形の土地があって、店が四軒分が並んでいる。左から二軒目に最近内装工事が入っていたのは知っていたのだが、前に立て看板が店の前に出ているのに気がついた。店が開いていないのではて、と思ったら開店が11時半からで、あと少しで開くらしいと気がついた。
店の名は「Lotta Lantern」となっている。店が開くのを待って、ベーグルを三つ買って帰ることにした。帰宅して店のウェブサイトを確認するとベーグルを売っているのは土曜と日曜の11時半から17時までだそうであり、運よく買えたということが分かった。お店の Twitter アカウントの自己紹介では「ベーグル屋」と書かれているが、ウェブサイトでは「アトリエ&キッチン」という表現を使っている。ワークショップなどもされるようで、そのため店主さんとしては後者の表現の方がぴったりくる感じなのかもしれない。家族で分けて食べたが、美味しくいただいた。
食べながら家族と話していたのだが、「Lotta Lantern」のあった場所は2005年に我が家が東京に越してきた時には和菓子屋さんが入っていた。来てすぐぐらいに家族で荏原町を散歩したことがあり、妻がこの和菓子店でおこわを買ったのを覚えている。「塩瀬」という店だった。その後この店で買い物をすることは無かった。
和菓子店が閉めてしまわれたのに気がついたのが2012年に入ってからだった。そこからずっとシャッターが閉まったままだったので七年以上空き店舗のままだったということになる。荏原町は割とすぐに店舗が埋まる商店街なのだが、例外的に長く次が入らなかった。上の画像は2013年当時まだ Google ストリートビューに残っていたの画像に取らせてもらっていたものだ。
上の空き店舗時代の様子を見ると建物自体は古そうだが、このたび内装もやり直していたのを前を通るたびに見ており今は良い空間になっているのではないだろうか。
この並びの他の店についても書いておくと、一番右、公園よりには丸吉という鶏唐揚げ屋さんがある。2010年5月に「最近できた」と自分が Twitter にポストした履歴がある。それ以前はどうだったか記憶に残っていない。なお荏原町だけでも駅の駐輪場の斜向かいに唐揚げ屋さんが出来たり競争があったはずだが、結局この丸吉が残っている。持ち帰り専門で、ごくたまにだが唐揚げや鶏皮せんべいを買って帰る、私としては割と愛用の店となっている。
「丸吉」と「 Lotta Lantern」の間の店舗は結構入れ替わりがあった。Google ストリートビューの画像では空き店舗になっているが、その後に「粕漬渡邉」という、魚の粕漬けを商う店が入った。お店のブログがまだ残っていて、2010年の日付の記事が読めるので丸吉と同じくらいの時期にはあったのではないかと思う。そのあとに「小芥子」という居酒屋になった。浅草線馬込駅近くにある馬込図書館に「芥子の坊」という居酒屋が今もあるが、2011年に一度建て直しをしている。建て直す前は左に「芥子の坊」、右に中華料理の「ミマツ」が並んでいた。現在「ミマツ」は北馬込のバス通り沿いに移っている。その建直しの期間中に「小芥子」を営業していた……という事だったらしい。「粕漬渡邉」のブログでは「芥子の坊」を「本店」と呼んでいるので、ご店主は同じ方だったと思う。2012年4月頃までに元の馬込図書館前で「芥子の坊」がリニューアルオープンし、そのタイミングで「小芥子」は閉められたと記憶している。
その後「小芥子」のカウンターをそのまま使ってイタリア料理を出す居酒屋が入った。「clutch(クラッチ)」という店で、Facebook ページが残されていて2012年6月頃にはオープンしていたと思われる。そして 2018年2月一杯で閉店されるところまでポストが残っている。約6年の歴史。そのあとに「GOJYA」というバーが入り現在に至っている。空き店舗だった期間は短かったような気がするが実際「GOJYA」の Instagram アカウントを見ると翌々月の4月辺りにはオープンしていたらしい。
最後に「Lotta Lantern」の左側だが、三角形の角部分の狭い狭い店舗スペースがある。「塩瀬」でおこわを買った時、「巨栄食品」という精肉店が入っていて、焼き鳥だかホルモンだかを焼いていた記憶がある。隣にあった「塩瀬」が閉店しシャッターが閉まっている写真でも元気に営業しているのが左に少し見えている。割と最近、2016年4月30日まで営業されていた。下は閉店翌月5月に撮ったもの。
ここもしばらくは空き店舗のままだったかと思うが昨年だったか今年に入ってからだったか、「YAMATO」という弁当屋が入った。開いている時間が日中だけな気がする。
最近の夜帰宅する際に見ている風景。
昼前の光景。左手前からYAMATO、Lotta Lantern、GOJYA、丸吉、庚申公園。
大森・平田歯科クリニック、私のかかりつけ医について
左下の奥歯がなんの前触れもなく欠けてしまったのは今年の六月の初めのこと。すぐにかかりつけの大森・平田歯科クリニックに電話したのだが、つながらなかった。電話は鳴るのだが出られない。結局この時は東急荏原町駅前の別の歯科医に診ていただいた。特に痛みなど自覚症状はなかったのだが、欠けた箇所の奥が虫歯になっていたとのことで治療していただいた。同じように歯が欠けたので診てもらったら虫歯が……ということが過去に妻にもあったので、よくある症状なのかもしれない。その時妻を治療いただいたのも平田医師だった。
さて、この時に気になって大森駅前、西友の前のビルまで足を運んだところ休院を知らせる案内が貼り出させれているのを確認した。これが6月4日のことだったので、あと数日で復帰されるのか、もうちょっとずれていればな……などと思っていた。
つい数日前、10月24日のことだがデンタルフロスを入れていて、左下奥歯にフロスが挟まったまま切れてしまい取れなくなってしまった。6月に荏原町の歯科医で治療してもらった場所だ。同じ医院で診てもらえば良いのだが、平田医師に診てもらいたいとおもいお電話を入れた。すると今度は「おかけになった電話番号は現在使われておりません……」のメッセージが流れた。
これは、と思い再度大森駅前まで出て様子を見てきたのだが果たして医院が入居されていたビルの二階フロアは空になっているのが見え、案内板からも医院の名が消されていた。
医院はもともとすぐ近くの区営駐輪場の向かい、一階にはんこ屋さん21やブランド品店の「MOKAN」という店が入っているアトラスビルという建物の3階だったかに入っておられ医院名も「大森北一歯科」だった。最初に診察いただいたのは 2008年3月頃だったと思う。
以来年に一度か二度は診察いただいてきた。何もなくても歯石を除去はしていただく。一度行くと、もう一回か二回に分けて診ていただいて、また半年ぐらい後に歯石をみましょう、となって終わる。妻も診ていただいたことがあった。今年私がなったように歯が欠けてしまったと思ったら虫歯だった……というものだった。
大森北一歯科では歯科助手さんがいらした。ある時に「朝起きた時にも歯を磨くのが良いようですよ」とアドバイスいただいたのはこの歯科助手さんで、以来起床時にも歯を磨くのが私の習慣になっている。斯様に十年以上の長きに渡りお世話になってきた。
2017年だったか2018年だったか、移転の案内をはがきでいただいた。同じく大森駅前、西友の前にあるフォレスタビルという建物の二階。そちらの方で診ていただいたのが 2018年 7月。歯石を取っていただいた。
その時に気がついたのだが新しい歯科では歯科助手さんはおられず平田医師しかおられなかった。私が行った時がたまたま助手さんがおられないとかではなく、平田医師が一人で運営されているように見え、おひとりであれこれされるのは大変だな、と思っていた。私だけでも十年以上診ていただいたので、それなりのお歳ではあったはずだ。医院の運営がどうだったかなど分かるはずもないがまた診ていただける可能性は限りなく少ない事は分かった。残念ではあるが、平田先生にはこれまでの謝意が伝わらないものかな、と思っている。
馬込あたりの秋祭り 二〇一九
「祭礼に付車両通行止
春日橋交差点←→山王くらやみ坂下
一般自動車・路線バス
9月1日(日)
午後3時〜7時まで」
という、大森警察署からの立て看板が出ていることに気がついた。
例年のように近隣の秋祭り情報をまとめておく。逐次更新。
8月30日(金)・31日(土)・9月1日(日)
熊野神社
秋の例大祭の皮切りはメガドン・キホーテ向かい、善慶寺の背後の丘の上に鎮座する山王熊野神社様の例大祭となる。
春日神社
環七通り春日橋陸橋近くの春日神社は、秋祭りはもう少し後になるのではないかと思うが8月31日(土)夜に「納涼祭」をされるような貼り紙を見た。なおこちらの例大祭は6月だったはず。
池上本門寺
もはや秋祭りでないものも入れていく。
2004年から開催の野外ライブ。本門寺の本堂向かって右にある区画にステージを設営している。31日に会場の横を通ってきて知った。
9月7日(土)・8日(日)
旗岡八幡
東急大井町線荏原町駅前商店街にある伊豆屋酒店さんは、最近たまにしか行けていないが夜は角打ちも出来るので自分の憩いの場にしている。最近は奈良の春鹿超辛口を、とある理由で買いに行ったりしている。そういえば厚木のサンクトガーレンさんの Twitter アカウントで、伊豆屋酒店さんから注文が入ったってポストがあって秋の例大祭シーズンを知ったら年もあった。
9月14日(土)・15日(日)
馬込八幡
湯殿神社
例年近くの馬込八幡と合わせて秋祭りがある。そばの湯殿公園で土曜日に子供相撲大会があるのが恒例。
著作権的に大丈夫か若干心配。許諾取ってるよ……ね?
NHKエンタープライズ キャラクターページ | チコちゃんに叱られる!
北野神社
昨年と同じいらすとやデザイン。
例年通り、馬込八幡と同じ馬込にある湯殿神社、北野神社、熊野神社は同じ日程になっている、はず。
昨年まで北野神社としてのポスターも貼りだされているが、8月末日時点ではまだ見てない。
……と思っていたら9月1日に掲示された。これこれ、このポスター。
9月21日(土)・22日(日)
大森山王 日枝神社
9月21日(土)
なかのぶスキップロード
秋祭りではないが、中延の商店街でよさこい祭りをやるらしい。昨年はねぶた祭りをやっていた。
9月22日(日)
天祖神社
9月28日(土)
春日神社
過去に秋祭りについについて書いたもの
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2012年
2009年
2008年
北野神社の子供神輿の巡行ルート地図あり
2007年
2006年
合気道において結びとは何か
6月16日の日曜日に足立区綾瀬の東京武道館で開催された、東京都合気道連盟の錬成稽古に参加してきた。指導は入江嘉信師範で二百名弱が参加していた。
稽古の最初の挨拶の際に入江師範は「最近稽古している『結び』と『吸収』についてお話ししたいと思います」ということを仰った。実際の稽古の中で「結び」や「吸収」について具体的に「これだ」ということは説明されなかったのだが、読み取ればここで仰っているのがそうだな、ということは感じられた。
稽古後の更衣室で同じ道場の方同士の会話で「吸収っていうのは分かったけど結びってのが分からなかった」という声があって、それはとても良い問題提起だと思った。「結び」という言葉は合気道では良く使うけれど、実は人によって定義にブレがあるかもしれないと気がついたからだ。
「むすび【結び】」を棚にある小学館の国語大辞典でひくとこんな感じである。
1. 紐状のものをからみ合せ、巻き込んでつなぐこと。また、そのような状態にしたもの。
2. 両手で水をすくうこと
3. 飯を両手で握り固めたもの。にぎりめし。
4. 焼き飯をいう。女房詞。
5. 人と人とを関係づけて、親しくさせること。
6. 文章、物語などの終わり。結末。
7. 文法で、係り結びの係助詞と呼応して、文を終わらせる語法をいう。
8. 集合における「ジョイン」
どれも厳密にいうと合気道において言う「結び」にはぴたりとは該当せず、敢えて言えば五番目が一番近い。正面打ちを打ち込むのではなく、手刀を合わせた状態から稽古することがあるが、それを「気結び」と呼ぶ場合がある。また、組太刀の基本に「気結びの太刀」がある。以下齋藤守弘師範の模範。
これらを受け取って稽古をしてきた私の「結び」の定義は「相手と調和した状態で相対すること」だろうかと何となく、思っていた。例えば私がこう定義したとして、師範の先生方がどう言われるか。そんなにずれることがないかもしれないが、微妙に異なる定義が出てくるかもしれない。もしかしたら、「それは言葉で定義することではない」とかいう意見が出てくることすらあるかもしれない。
取り急ぎ探してみると、菅沼守人師範と遠藤征四郎が指導されている公開動画で、「結び」と言う言葉が出てくるものを見つけた。おふたりとも植芝盛平翁先生の最晩年の内弟子だが偶然だろうか。
菅沼師範が説明されているのは、片手持ち、あるいは単に掌を合わせた状態で相手との力の方向を合わせた状態のことを「結び」と呼んでおられるように読み取れる。
Atari and Musubi 07_Seishiro Endo Shihan 当たりと結び07_遠藤征四郎 師範
遠藤師範は、相手が安定した状態で腕を曲げている時、その拳に上から掌を乗せて、そこから合わせて相手を導くことができる、と言うことを説明されている。動画中においては遠藤師範のお話しに「結び」と言う言葉は出てこないが、タイトルが「Atari and Musubi」となっていることから動画前後において「当たり、とはこういうこと、結び、とはこういうこと」とご説明があったのではないかと推測される。相手の拳について上への力に合わせるように(掌で上から押さえるとそれに対して堪えようとする。その力のことを仰っていると思う)ご説明されている、その部分が「結び」になるのではないだろうか。となると、菅沼師範と近いところを「結び」と表現されているように思える。
先ほど掲げた私の定義の範囲内であるとも言えるのだが、実は私としては菅沼師範や遠藤師範が示されているより前の、例えば片手を持った状態、拳に掌を合わせた状態のところを「結び」と捉えるところがあり、先生方の方が「結び」にあたるところが広いように感じている。
ではそもそも開祖はどう仰っていたんだろうと思い、植芝盛平翁先生の口述を何冊が本棚から取り出してきて読み返してみた。主に次の三冊。
読みはじめてすぐに思い出したのだが、翁先生が上記の本など晩年の口述において、技の基本について触れるはほとんどない。稽古修行することでひいては世の中をどう良くしていくのか、禊における考え方、古事記など神話に描かれている内容をどう読み解くのか、と言うお話しが主となっている。今回知りたい意図での「結び」についての言及には行き当たらないのだが、それでもちょっと面白いことに気がついた。
『合気神髄』は道場における植芝盛平翁先生のお話しを筆録したものであろうと思うのだが、「結び」が頻出している。何箇所か引用する。下線は引用者がつけた。
合気は宇宙組織の玉のひびきをいうのであります。すなわち全大宇宙のことで、小さなことをやっているのではないのです。教育者や年輩者は率先して武道の実践をしなければならないと思います。この道は全部、天に学び、地に学び、宇宙の中心に結んで、また、我々は宇宙とともに進んで、その上に自己の息で全部結ぶことをやり遂げていくのであります。
我々は魂の気の育成と、また、立て直しをしなければいけません。合気は宇宙組織を我が体内に造りあげていくのです。宇宙組織をことごとく自己の身の内に吸収し、結ぶ。そして世界中の心と結んでいくのであります。仲良く和と統一に結んでいくのです。これからはいうまでもなく戦争をしてはいけない。喧嘩争いはしないこと。すべては結びでやる。それがないと本当の強さは出てきません。それでないと皆さんの稽古が無駄になってしまうのです。
第1章 合気道は魂の学び より
「気の妙用」は、呼吸を微妙に変化さす生親である。これが武(愛)の本源である。
「気の妙用」によって、心身を統一して、合気道を行ずると、呼吸の微妙な変化は、これによって得られ、業が自由自在にでる。この呼吸の変化は、宇宙に気結び、生産すび、そして緒結びされる。
また、呼吸の微妙な変化が五体に深く喰い込み、喰い入ることによって、五体はその働きを、活発にし、千変万化神変の働きを示すことができる。変化とは違う。
こうなって、初めて五体の五臓六腑は、熱と光と力が生じ結ばれ、己れの心の意のままになり、宇宙と一体となりやすくなるのである。
第4章 合気は息の妙法なり より
合気は和と統一に結んでいくのである。梅と松の仕組みである松竹梅の教え。これは何億万年前の昔からの仕事である。これは艮の金神の神の御教え、そして小戸の神業で、真人養成の道である。ホノサワケの島。天の浮島というのは「ア」は自ら、「メ」は巡るといい、自ら巡るというのが天の、浮島の方は……二つのものが水火結んでいく、霊界も顕界も一つにする。
第6章 合気とは禊である より
これらは私が目についたページを引用しただけで、他にも頻出している。
一方で、同じく口述筆記本である『武産合気』でも「結び」の語は出てくるのだが、かなり少ない、というのが今回気がついたことで、『合気神髄』と何が違うのか、ということになる。『武産合気』は白光真宏会の髙橋英雄さんが筆記されたもので、五井昌久さんと植芝盛平翁先生が親しかったことから口述筆記が実現している。つまり『武産合気』では翁先生は髙橋さんがおられる前提でお話しされている、というところに違いがある。「合気道とはこういうものです」ということを稽古していないひとに説明されているのと、五井昌久先生のもとで信仰の道にあるのと合気道の稽古しているのと共通する、大きな目標のようなものについて語られている部分とがあるように読める。となると例え概念的なお話をされていたのであっても「稽古において相手と向き合っている」という具体的な状況を前提に説明する場合において「結び」ということばを使う必要があった、ということは言える気がする。
技において「結び」ということばが使われかを知るために三冊目の『合気道』も読んだ。本当は『武道』にあたるべきなのだろうが、これは市販されているような書物ではない。直弟子の師範の方にお持ちである方がおられるという、免許皆伝書に近いようなもので、齋藤守弘師範は必ずこれを携行されてご自分の説明と合っているか、というのを稽古参加者と共有されるのに使われていた。他にもお持ちであるという師範のお話しを聞いたことはあるが、公にされていなかったりするのでここではお名前を挙げない……などという配慮が必要な書物であり、棚にある植芝吉祥丸前道主のこの著書に当たった。残念ながら全く出てきておらず、「結びとは」というようなことについては口述でしか説明はされなかったのではないかと推測せざるを得ないという結論になった。
という自分なりの「結び」についての研究を経たうえで改めて入江師範の演武動画を見させていただいている。なお「吸収」についてだけれど、相手と「結んだ」状態から相手に近づく際に、力が入ったままだとぶつかって跳ね返されたりする。そうならぬよう相手に近づくには、相手と「結んだ」まま、自分は力を抜いて相手の力をもらいつつ動くようになる。その動きのことを仰られていると理解している。
入り身投げの表と裏
少し前に大田区合気道会での稽古が終わった後に「入り身投げの表って知っていますか」と聞かれて、それがどうやら私が大阪市立大学で稽古していた入り投げの形に近いものらしい、ということが分かったので少し書いておきたい。
最初に合気道とか特にご存知のない皆さんに書いておくと、合気道において「表技」とは相手の前側に導くことをいい「裏技」は相手の背後側に導く技を指す。厨二病的に「普段稽古するのが表で、実は裏技がある」とかいう格好良い言葉ではない。
入り身投げにおいては、通常表とか裏とか言うことがあまりない。基本技として初心者から高段位者まで繰り返し稽古するが、相手の背後に導く形が基本で稽古することが圧倒的に多いからだ。齋藤守弘師範の模範演武の映像から説明すると、正面打ちから相手の背後に入り身をする。
ここから上方に相手を導き、相手の顔に腕を重ねるようにして背後に倒すという説明になろうかと思う。
この齋藤先生の入り身投げが私は好きなのだが、普段の稽古では相手の背後に入り身した際にさらに背後に円を描きつつ流し、そこから返す形を稽古している。その例として植芝守央道主の演武映像も見させていただいたのだが、道主は流れの中で投げる際に相手の背後に回り込みながら投げるようにされる。これは隙のない投げだが説明上例としてあげるには難しく引用を断念した。 以下は上記齋藤守弘師範の画像の元映像。
Morihiro Saito Sensei. Shomen Uchi
では道場で話題となった「入り身投げの表技」はどうかというと、入り身をして相手の背後に入るところまでは同じと考えて良い。そこから入り身した足を元に戻すようにして投げる。これが「表技」かというと考えてしまうが、足を戻す際に相手の前面に入っていると言えなくもないかもしれない。ただ道場で話している際にも「そっちが裏じゃないですか」とか異論が出ていたのでこの、表技・裏技の呼称が正式なものか今もって自信がない。
大阪市立大学合気道部で稽古していた入り身投げだが、この度「入り身投げの表」の名で近いものを知るまで他で目にしたことがない。市大合気道部は阿部醒石師範門下だが、初期に藤平光一師範の指導を仰いだ先輩がおられるので心身統一合気道の何らかの影響があるのだろうか、とぼんやり思っていた。
しかし改めて藤平光一師範の公開されている映像を見直して見ると、現在私などが稽古している入り身投げと変わらないものもある。また、すーっと上に導いてすとんと下に落とす、という形が多いような印象を持った。ただ、なかにひとつ近いものがあった。以下にやはり画像化して示している。
とすると技の説明が受け渡されていく中で伝言ゲーム的に「表技」的な面が強調されて市大合気道部に伝わってしまったのかもしれない。
下の画像で藤平師範は微かにだが左足を引くような動作で受けを投げられている。ここでは襟を持っておられるが、市大合気道部では首の横に手を当てていた。余談だが齋藤守弘師範の稽古に参加した時に「受けの首を持つのは失礼だ。あれは藤平光一師範が始められたんだ」と非難されていたのを聞いたことがある。これを見ると襟を持たれる場合もあったようで、齋藤師範が植芝盛平翁先生の技の通りに稽古されようとしたのと比べると技の形に自由度があるような印象がある。
大阪市立大学合気道部も終わってしまったし、そもそも最近はここで言う「表技」な入り身も稽古していなかったように聞いているので、いずれ消えてしまうものかぐらいに考えていたが、意外に変化技のひとつとして残り得るのかもしれない。
2019年大田区の区長選挙 選挙後におもうこと
大田区の区長選挙は危惧していたような結果になった。詰まらないことだと内心慨嘆している。有権者数 599,370 名、有効投票総数 247,694 、無効投票総数 8,376 、投票率 42.72 %。低投票率もあって初回当選時の公約を破棄した現職が4選目。
開票結果を見たのと同じようなタイミングで、下記 Twitter ポストのまとめを読んだ。
そもそも親が選挙行かない、投票所聞いたら分からんって言われた
(上記より引用)
おおもとになったポストを書いたイラストレーターさんが本当に初めて選挙に行った若者なのか確かめようもないのだけれど、書かれているような「親が選挙行かないん」という家庭はかなりの数いるのだろう。もしかしたら投票率が示しているように半数を超えているのかもしれない。
自分は、それで良いとはやはり思っていなくて、国政にしろ大田区政にしろ今この瞬間、良い方に向かっていない、ならば自分たちの世代だけでなく、自分の子供たちも含めた若い世代のために少しでも良い方に向かうようにしたいものだという考えでいる。そのためには次の選挙が来るときにではなく、今既に準備が始まっていなければならないのだろう。当選者はある意味現職にあることで次の選挙への準備をしていると見ることもできて、それと同じレベルで活動をしていないと「投票所がどこか分からん」という区民には候補者として認識すらされないのだろう。大阪府で大阪維新の会が当選者を出しているのを見ると……あの状態が良いとは私は全くおもわないのだが……当選できるだけの投票者に対して存在を認知させられている、とは言えるかもしれない。
選挙期間になって、いろいろな人が応援演説に来ることが効果があるかと言うとそうでもなく、あるいはむしろ逆効果ですらあり得て、結構な割合の人としては(何か言っているけど共感はないな)で終わっていたのがこのたびの選挙での有様だったかもしれない。
2019年大田区の区長選挙
2019年の大田区長選挙候補者の情報をまとめておく。選挙期間中に更新できるところはしていく。
3名の方が立候補されている。
現区議の岡高志さん、大田区在住で東京大学名誉教授の神田順さん、現区長の松原忠義さん。
最初に書いておこうと思うのが松原さんが今回当選すれば四選目となる立候補であるということ。彼は2007年に東京都議を辞職して大田区長選に立候補、当選しているがその際の公約に「区長の多選防止」を掲げており、実際多選自粛条例を制定している。それを昨年12月に廃止する条例を出して通しており、そのうえでの立候補となっている。
多選自粛につきましては、マニフェストの中で区民の皆様へお約束したことであり、緊急計画のこの領域に位置づけております。
本定例会に、「大田区長の在任期間に関する条例案」をご提案させていだたきたいと存じます。
区長という大きな権限を有する職に、1人の者が長い期間在職することで、起こりうる弊害を未然に防ぎ、区政の活力を維持するために、区長の任期は、「3任期を超えて在任することのないように努めるもの」としたいと考えております。趣旨をご理解いただき、ご賛同を賜りますようお願い申し上げます。
この多選自粛条例自体、最初からどうも内容があやしいところがあった。あれこれ探してみると犬伏秀一区議および柳ヶ瀬裕文都議(当時は区議)が書かれた文章が見つかった。条例案に途中で「本条例は平成19年10月1日現在区長の職にあるもの」との附則が付け加えられたという指摘がそれぞれ書かれている。実際この附則があるまま可決されたのか、現時点で条文にアクセスできていないのだがおそらく附則ありなのではないかと思う。つまり「多選自粛条例はとりあえず現職の松原忠義区長にしか適用されない。あとは次の区長が条例案を出せば良い」というような、法として意味があるのか首を傾げざるを得ないようなところがあった。しかもそれを、自分で撤廃してしまったということになる。
こういう恣意的なお金の使い方しかしないひとを3期12年区長にしているということは大田区民は認識しておく必要があろうかとおもう。
ただ、松原さんはどう思われようとも当選できる目があると見られているのではないかと考えている。昨年9月に隣の品川区で区長選挙が行われているが、現職濱野健さんが4選している。元自民党所属の都議だった佐藤裕彦さんと無所属の西本貴子区議も立候補、佐藤さんには立憲民主党、日本共産党、自由党、都民ファーストの会が推薦したが結局投票率が30%台と低かったところに票が割れる事態となってのことだった。大田区も同様のことが起きることは狙われているのではないだろうか。
争点がない選挙だと多くの区民が思って投票率が低いということになると実際にそうなる恐れがあるが、賑やかに議論されて区民としても暮らしやすくなるということになって欲しいと願っている。公益社団法人東京青年会議所が主催する区長立候補者の公開討論会は三名とも出席されて行われたそうで、そのことは良いことだった。ただ前日に行われた別の公開討論会は公務で欠席だったとのこと。
区長選の論点 その1 多選防止について
そもそも議論せずとも済むはずの内容だが、現職が条例を変えてまで再度立候補するような区政の状況にはないはずである。なお先ほど「松原さんは4選可能と見ているのでは」と書いたが、主語は彼ではなく政府与党の複数の人間であるかもしれないと考えている。それは例えば、次に述べる羽田空港跡地の購入などの案件があるからだ。
区長選の論点 その2 羽田空港跡地購入
大田区の予算から積み立てた資金が国と大手企業の汚職に流用されているとしたら区民としてはどう考えたら良いだろうか。 次のハーバードビジネスオンラインの記事などはちょっと煽りが強いように思うが、書かれていることは実際に進行している。
国及び UR の所有地を当初東京都が購入する意思を示していたが2008年に撤回。それを大田区が 165 億円で購入、企業に貸し出して再開発する。企業、というのは再開発を受託している鹿島グループだろうとおもう。その賃料が月額換算 600 円/平方メートル、一方で同じ跡地のうち、国有地で住友不動産に貸し出される分の賃料が月額換算 5,200 円/平方メートル。大田区民は企業への割引分を負担するような格好で、その割引負担は月額約 3,500 万円、となる。大田区は50年の長期賃貸契約(国は年契約の模様)、また大田区としてある程度の雇用が見込めるということはあるかもしれないが、それで区民として納得できる額では無い。
この構図を見ると大田区長が単独で何かを考えているというよりは、国策で進めているプロジェクトをなんとか進行させたいと考えるひとが、羽田空港跡地については大田区を使おうとしている、そのために言うことをきく現区長を継続したいと考えているのではないだろうか。月あたり3,500万円を使って受けたい区民への補助は多くあるのだが、この状態を見過ごせばいずれ財政悪化を理由に、例えば中学生まで受けられる医療費全額補助が年齢引き下げを実施されたりするかもしれない。実際は高校まで、あるいは20歳まで補助するよう改善いただけるとありがたいのだが。
区長選の論点 その3 蒲蒲線
東急多摩川線を蒲田駅から少し離れた京急蒲田まで延伸して接続させ、直接羽田空港に乗り入れできるようにするいわゆる「蒲蒲線」については松原区政下で継続して検討されており、この事業についても予算が積まれている。しかし今に到るまで実現にこぎつけていない。
線路をどこにどう通すのか、難しいと言うのは分かる。とはいえこれだけの時間をかけてだらだら課題を残していると言うのは決断力とリーダーシップに欠けるとの謗りは免れない。
素人目には環状八号線道路の下を通すのが一番良さげにおもうのだが、そう言う具体化に向かっての議論が区民としては聞こえてこないのだが。
区長選の論点 その4 個人住民税
岡高志さんがポスターでも目立つところに掲げられているのが「住民税の 20% 減税」と言うもので、公約としては分かりやすいものではある。都内の別の区を歩いていた時にも選挙カーで住民税減税を言っている選挙カーに行きあった。
毎月何万かの住民税を払っているものとしては減税は助かるのだけれど、区単位での減税をどのように実現するのだろうと分からずに聞いている。都民の場合いわゆる住民税には個人都民税と個人区市町村税の二種類あり、そのうち区市町村税を減税する、と言っているのだろうと言うことは分かる。ただ、現状区によって区市町村税の計算方法は同じであり、大田区が他区より住民税が安いなんてことは起きていないと理解していた。東京都主税局のサイトの説明からもそう読み取れていた。
この文章をリリースしたところ、岡さんが読んで下さり「区民税条例で税率を定めているので、本当は23区同じ税率にしなくても構わない」と教えて下さった。
きちんと確認できていないので別途調べようと思っているのだが、教えてもらうまでは住民税減税には特例的な条例を制定するのかと思っていた。個人的な意見では法律において「特例はなるべく無いように、シンプルにするのが良い」と言うのがあって、特例であるならば別のやりかたが良いので無いかと思っていた。
別のやりかた、と言うのは具体的には補助がストレスなく受けられる、でもよい、と言うことだ。子供のいる世帯への補助については先に書いたが、他にも公営住宅入居補助、老人介護、生活保護、障害者支援を篤くするといった力の入れ方ができれば他区、他道府県との差別化が計れる。ついこの前にも埼玉県吉川市で障がい支援課の職員が訪問調査に際して、ALS患者の方が文字盤でやり取りされているのに「時間稼ぎ」と言い放ったそうで、誤った「水際対策」が仕事だと思っている自治体が多いようにおもえる。区費の範囲内で住みやすくした結果区民が増えて税収も増えるような施策はどうだろうか。どの候補者の公約でも、その方向を示していないとは言っていないので、実際にその方針に進んでくれるのは誰だろうか、と言いかえて考えることにはなるのだけど。