椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

The Birds

 数日前の帰宅時に馬込八幡神社に立ち寄った。御詣りして帰る……というのは理由の片面だけで、ingress ゲーム内において境内内外にある四つの portal *1を取り返してから帰ろうとしていたのだ。ほぼ終わった……というところで烏が一羽飛来して本殿の屋根にとまり、大きな声で私の方面を向いて鳴いた。

 

 これは威嚇しているのか、と思いつつあまり気にせず境内の外のポータルをやろうと踵を返した途端に頭上すれすれに風圧を感じ思わず首を竦めた。間違いなく威嚇している。すでに夜なので烏がどこから見ているのかいまいち分からないでいたがそのあと境内の前の道路でも再度背後から頭上すれすれを飛ばれた。

 

 そういえば『動物のお医者さん』で大学構内の烏の巣を駆除しようとした漆原教授により多くの人が烏に攻撃される騒ぎになる話があった。烏は今が子育ての時期なのかなとなんとなく思っていたがざっくり春から夏にかけてが繁殖期であるらしい。

 

 

  ふと見ると同じ南馬込にある北野神社に至ってはカラスについての注意喚起の貼り紙がしてあった。そういえば数年前に北野神社の境内では上から針金ハンガーが落ちてきたところがある。参道沿いの松の木に毎年営巣していて、その時は巣材にしていたのが落ちてきたのだろう。

 

 その貼り紙をみて充分注意していたつもりが参道を歩いていたら今度は前触れ無しに後頭部に衝撃を喰らうこととなった。貼り紙通り、馬込八幡の烏の上を行く凶暴さだ。貼り紙がしてあるというのは私が何人目かの被害者なのだろう。

 

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 神社に御詣りするが電線や木の枝に止まっている。あまり強くは鳴かないが電線をしきりにつついている。調べると烏の気が立っている時の行動であると分かった。威嚇で鳴かれたのとあわせて烏が人に攻撃してくる予兆をひととおり数日間で体験したことになる。

  • 足元の枝や葉をつついたりむしったりする
  • くちばしを開きガーガーと鳴いてくる

 科学ジャーナリスト 柴田佳秀のバーチャル自然研究所  シバラボ より、攻撃を受ける前兆の行動

 

 

 やられたあと背後を警戒し真正面から見ている分には烏は来なかった。烏にとっては人間は恐いものなので正面から襲ってくるようなことは通常は無いらしい。烏がストレスを感じている時、具体的には托卵や子育てをしている時期に巣に近づかれたような場合に人間が無防備に背後を見せると攻撃をしてくる。

 

 偶然今朝テレビの情報番組で鳶がバーベキューなど野外で食事をしている時に人間が持っている料理を掠めにくるという話題をやっていた。鳶も大胆なようで実は人間に脅威を持ちつつやっているので正面から食物を奪いにくることは無いと紹介していた。烏と同じだ。

 

 余り烏が増えるのは人間として好ましくはないが巣を駆除までされるとなるとかわいそうでもあり怪我人が出ぬうちに早く雛たちが巣立たないかと願うところである。

 

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*1:ポータルとは ingress のゲーム内でエキゾチック・マターと呼ばれるエネルギー体が大量に噴出しているとされている場所で、ここにレゾネーターと呼ばれるアイテムを挿し込むことでポータルを自軍のものに出来る。ポータル同士を線でつなぎ三角形を描くことで陣地を取る。Pokémon GO のポケストップにはこのポータルの情報が使われている

遠藤征四郎師範の二人掛け

 合気道における多人数掛けの演武についてもうひとつ。やはり全日本合気道演武大会を受けての話しである。

 

 合気道について書く時に参考動画をネットで公開されているものから検索して探すのだが特定の師範のかたの演武に行きつく。植芝守央道主を見させていただくことが多いのは当然のことだが、同様に多いのが菅沼守人師範と遠藤征四郎師範のおふたりとなっている。お二方とも国内国外とを問わず尊敬を集めている師範で公開されている動画も多いためこれまた当然のことなのかもしれないが、技が変に略されたりしておらず「諸手取り呼吸法のお手本」「小手返しのお手本」「入身投のお手本」というように求めるとおふたりいずれかの演武にたどり着いたということが多い。菅沼師範も遠藤師範も昭和42年に植芝盛平翁先生の内弟子に入られたと聞いており翁先生最晩年の内弟子と言ってよい*1。その同期の師範が揃って合気道において最も高いレベルで範たる技を見せておられるというのは示唆に富んでいる。今回の全日本演武大会でも師範演武をされておりそれぞれみさせていただくことが出来た。

 

 今回遠藤征四郎師範の、特に二人掛けに特に見入ってしまった。木村二郎師範の二人掛けでも述べたことだけれど遠藤師範は二人掛けでどちらかに打たせて自分の制御下におかれてもう一人との間に置かれる。なんとかして打っていこうとしても受け同士がぶつかって勝手に転がってしまうように導く。また受け二人を同時に導いてぶつけてしまいまとめて抑えてしまう。それをなんの力みもなくされるのだ。

 


遠藤征四郎師範-第55回全日本合気道演武大会*2

 

 下の画像とかこの瞬間だけを見るとなんのことか分からないが先の受けの方が正面打ちで打ってきたのを捌いておき、あとの受けの方(右) が正面打ちで打ち込んできた瞬間に入り身をされている。ただそれだけのことだがもうひとり(手前)は苦しい体勢にあったところにもう一人がすっ飛んできたようなこととなり結局二人まとめて投げられている。投げられた、というと語弊があるかもしれない。入身が鋭かったことで受けが虚を突かれたようになり自分達の勢いで転んでしまった。遠藤師範は自然体で入身をしただけだ。

 

 最後左右の腕を諸手で持たせての抑え技をみせておられていたが丁度腕をもたせたところで演武終了を知らせる太鼓が鳴った。遠藤師範は腕を上げて受けを導かれていた。そのまま肘を落とすなどして投げて終わることも出来たはずだが、遠藤先生そこで演武を終えてしまわれた。万歳した格好のままとぼけたお顔で戻っていかれたので満場笑いが起きる。私は普段演武はぴしっと終わるのが良いと考えているが、遠藤師範の今回の演武の締め方はありだなと生意気にも思った。

 

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*1:植芝盛平翁先生は昭和44年4月26日没

*2:ちなみにこの動画で演武者紹介のアナウンスをされているのは尾崎師範

木村二郎師範の演武

 第五十五回全日本合気道演武大会に参加したことについての、また別のお話し。

 

 大田区合気道会の皆さんで座っていた席のちょうど前の畳で大阪武育会の木村二郎師範が演武をされた。全日本大会では日本武道館のアリーナに畳を五面敷いて演武を行う。高段位の師範の演武となると一度におひとりないしおふたりに絞るようにプログラムが組まれているがそれ以外は同時に演武をしていくので全部の演武をつぶさにみるわけにもいかない。木村師範は毎年師範演武をされるが改めて目の前で演武をみさせていただいて技が厳しくしっかりしていることに感銘を受けた。私だけの感想ではなく周りの方も同様の感想を述べていた。

 

 どの技も切れ味よく素晴らしかったのだが今回私が参考にさせていただくところが大きかったのが多人数掛けだった。自分も含めてのことだけれども合気道の演武で二人掛け以上の乱取りをきちんとみせることはとても難しい。実際今回の大会においても、師範演武であっても受けの方が打ち突きに行くのを遠慮して待っているような場面も何度か目にした。木村師範の演武は二人掛けも三人掛けも体捌きが的確で受けが待つような場面はなく、またひとりを捌いている時にもうひとりとの間に置いて盾にするような位置を取られるところなどもお手本とさせていただくべきところが詰まった演武だった。

 


第55回全日本合気道演武大会 合氣道大阪武育会師範演武(木村二郎師範)

 

 母校の大阪市立大学神戸大学はともに旧商大ということで今に至るまでやりとりがあるのだが神戸大学合気道部が大阪武育会門下だ。神戸大学合気道部の技は小林裕和師範や木村師範の指導のもとにあるわけで木村師範の演武にも親しみを覚えるのだが実際には私は小林師範にも木村師範にもお目にかかったことがない。大阪に居た時に手の届く近さにあったのにきちんとみていなかった木村師範の技に日本武道館で感服することになるというのは皮肉なものだが得てしてそういう風に価値あるものに凡人はなかなか気づけないものなのかもしれない。

 

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第五十五回 全日本合気道演武大会

 2017年5月27日に日本武道館で開催された全日本合気道演武大会に参加してきた。今年が普段と違ったのは大田区合気道会としてだけでなく、私の元々の所属道場である大阪の天之武産塾の演武にも出たこと。私が知る限り母校大阪市立大学合気道部として全日本に参加したことはあっても天之武産塾が全日本大会に参加したことはなかったようにおもう。私はなんどか参加させていただいていることもあり着替えたり演武の順番にあわせて動いたりといった段取りのお手伝いもさせていただいた。

 

 全日本演武大会では日本武道館のいわゆるアリーナに畳を五面敷き、同時に最大五つの演武ができるようにしている。師範演武はともかく、道場演武は参加人数も多くなるのだが控えのエリアは意外と狭く大混雑することとなる。また道場演武は1分半しか与えられないので回転も早くまごまごすると順番が飛ばされかねない。それでも進行手順が蓄積されていて、関東学生合気道連盟の方々が裏方として動いて下さっているお陰であのスピーディーな進行が実現されているのだが、いちいち参加道場をアナウンスで呼び出したりはしないので参加するものたちも心得て早めに着替えたり控えに移動したりしている。そのあたりは初めての参加だと戸惑うところもあるのではとあれこれお節介を焼いた次第で、結果無事演武出来たので安心した。阿部豊雲先生が模範演武をした技を皆でやるという、普段の稽古に近い形だった。豊雲先生の師範演武というのは今回は無かったのでいずれ実現すれば良いのだが。

 

  天之武産塾の演武は第二部の道場演武いちばん最後で、あとはみておきたい師範演武が続いたので着替えずに二階席から見ていた。以下は植芝守央道主の演武のごく一部を Instagram に流した映像。

 

Aikido demonstration by Ueshiba Moriteru Doshu

 

 改めてみていたら呼吸投げだと思っていた技の中に十字絡みが入っている。二階席からだとよく見えず、両手持ちからどう十字に持ち替えて*1おられるのだろう……と考えていたが Youtube に複数の動画がアップロードされていて確認できた。両手持ちでなく諸手で取らせて導いたところで十字に取って投げておられる。この入り方もあったか。細やかな気づき。

 

  そんなこんなで大阪の皆さんを見送ってから着替えて、次男の塾の送り迎えをするべく帰宅していった。

 

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*1:相手の腕を肘で交差させて極めるとりかた

郷里が目指すジオパーク

 これも連休に実家に帰った時のことだが「須佐遊覧船」なるもののパンフレットが貼ってあった。連休中には父親もガイドを担当するため乗船する日があると行っていた。「ジオクルージング」という新しいワードが出ているがジオパーク認定を目指して萩市が動いているらしい。ジオパークについては隠岐島が認定された時にそういうものがあるのだということを知ったが、確かに実家のある須佐もジオパークの一部足り得る。旧阿武郡須佐町は地質方面の天然記念物が二点あるからだ。北長門国定公園の一部でもあるし。

 

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 天然記念物のひとつはホルンフェルス大断崖で、砂岩と泥岩からなる地層が高温の斑れい岩マグマに接して変成したものが海岸侵食で露出したもの……という説明になるのだろうか。社会の教科書に載っていたりするらしい。写真で示した方が早いだろうか。数年前に家族で帰郷した時の写真だ。

 

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  ここは須佐駅周辺の、人家が集まっている辺りから結構離れていてざっくり 5km 近くある。私はまだ小学生だった時に夏休みでひとりで帰郷していた時ふとひとりで行ってみたくなったことがあり、祖父母に何も言わずに歩いて行って帰ってきた思い出がある。祖父母に言えば車を出してくれただろうが、折角夏休みでもあり冒険をしてみたくなったのだろう。その日も上記の写真のようないい天気だった記憶がある。幸いにも危ない目にも遭わずこの崖の上を下をみて回って帰った。崖の下の潮が差しているところに夥しい数のイソギンチャクが群生していたのが印象に残っていて、後年行ったらまったく見当たらなくてあれは何だったんだろうと今でも思ったりする。帰宅して祖父母にどこに行ってきたかを話したら当然驚かれた。往復 10km 歩いて行ってきたということだから馬鹿じゃのう、という感じだったろう。

 

 もうひとつの天然記念物は高山の磁石石。高山は「こうやま」と訓み須佐の育英小学校などは遠足で登る山である。この山の班れい岩は何故か磁力を持っていてこれを磁石石と呼んでいる。昔からあるものなのでその価値を忘れがちだったがよくよく考えればいつブラタモリのロケに来てもらっても大丈夫な程度には見るところはある。

 

 最近 Google Map を眺めると子供の頃海に泳ぎに連れて行ってもらった「まてかた」という海岸があるのだがキャンプ場が二箇所もできている。キャンプ場で客を呼ぶのが先かジオパーク認定の動きが先かわからないが観光産業的には正しい方向性だろうとおもう。学術面でも先日書いた萩博物館や明倫学舎を核とした組織があることが後ろ盾となる。

 

 遊覧船だが結構乗船客には来ていただいているらしい。現状広島方面からの団体客の方々が多いと聞いた。当面西日本の団体客に来ていただいて、いずれしまなみ海道をサイクリストが目指すようにひとが来るようになると良いのだけれど。

 

 

 

萩明倫館の孔子廟

 4月30日に曽祖母椋ヨシの五十年祭、祖母椋栄子の十年祭、母椋恵美子の同じく十年祭を行うため帰郷してきた。 前日に新幹線で東京からかつての小郡、今の新山口駅まで移動して萩までは防長バス。萩から実家の須佐までは四駅だが山陰本線は今や二時間に一本というのが当たり前なので父親に車で迎えに来てもらった。そして5月1日には同じルートで東京に戻ったのだがバスは防長バスでなく新たに開通した中国ジェイアールバスを使った。

 

 防長バスの方は途中で停車しつつ、萩に入っても田町商店街の近くにある萩バスセンター、JR東萩駅、萩国際ホテルの順に停車していくのだが、新たに開通した方は明倫学舎から新山口駅直通で早い上に五百円ほど安い。

 

 そもそも明倫小学校からバスというのが不思議だったが、久しぶりにいってみると新しい校舎がつくられたうえで敷地の一部がそれなりの広さの駐車場とバス発着所になっていた。

 

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  写真奥が新校舎で手前が駐車場。旧校舎はというと上の写真の右方ににある。今回すぐバスに乗ったので見に行くことはできなかったが、父親に教えてもらったところによると改修工事のうえ歴史資料の資料館となっているとのことだった。それだけではなく旅行者が最初に訪れる観光センターとしての機能も持たせてある。

 

 この近くには萩博物館が2004年に出来ている。萩のまちの景観を損ねることなく建てられた綺麗な建物で、「まちじゅう博物館」というコンセプトの核にもなっている。萩というのは江戸末期に若者達が沸騰するような勢いで世の中を変えようとしたその場面の坩堝のひとつであったまちであるので萩博物館は自然科学だけでなく人文科学も対象として研究展示する役割を担うのにうってつけの機関となっている。今回明倫学舎が近くにできたことで、「まちじゅう博物館」として統合されたなかで自然科学の展示は萩博物館、人文科学の展示は明倫学舎、というように運営していくと面白いのではないだろうか。

 

mukunokiyasuo.hatenablog.com

 

 ここまでは良いのだがひとつ気になる話しがある。どうも萩でもあまり話題にのぼっていないのではないだろうかと心配になった。かつて藩校としての明倫館にあった孔子廟のことである。

 

 孔子廟孔子や四配など儒教上の賢人を祀った霊廟のことである。東京に住んでいると神田明神の向かいにある湯島聖堂を思い出す。現在東洋哲学、中国哲学の一部として儒教が研究されることがあっても宗教的に扱われることはほとんどないと言って良い。従って孔子廟といったものも神社仏閣と比べるとあまり身近な建物と感じない。現存するものでも、例えば湯島聖堂孔子廟関東大震災の際に焼失しており現在のものは再建された建築物である。江戸期からの孔子廟が残っているのはおそらく栃木の足利学校岡山県備前市閑谷学校佐賀県多久聖廟ぐらいではないかとおもわれる。ところが明倫館にあった孔子廟も萩に残っているのだ。といっても現在の明倫学舎にではなく、移築され少し北のほうに行った海潮寺というお寺の本堂になっている。

 

 明倫学舎は本館の一号館と二号館が整備が終わって公開されており、三号館と四号館は現在も工事が進行中となっている。これに加えて海潮寺から本堂の建物を買い取って明倫学舎に移築し戻そうという計画を萩市が進めている。気になるのはこの孔子廟の移築の計画のことだ。建物の購入、移築費用、更には海潮寺の新しい本堂の建築費用を考えなければならず総額九億円にものぼる出費となる。国から助成が得られるなどあるのかもしれないが観光以外でそんなに有力な産業を持たない萩市にとってさすがに大き過ぎる計画ではないだろうか。

 

 この件についてネット検索してもあまり情報が出てこない。もしかしたら山口新聞だのはぎ時事新聞などの地方新聞が取り上げていて市民は知っているのかもしれないが、実はあまり課題が共有されないままことが進んでいるのではないかと心配になる。実際に萩市孔子廟の移築プロジェクトの予算も計上して始めようとしているが、市議会の議事録を漁っていたところ昨年12月16日分では共産党所属の市議会議員2名が反対意見の質問をあげているがあとの議員からはあがっていない。共産党ということで当然野党的に反対意見を述べるのが普通であるようにとられているのかもしれないが、こと孔子廟の移築についてはもう少し議論あったうえでプロジェクトを開始するべきではないだろうか。

 

 あまりに観光産業に偏向する行政施策であるならばそもそも明倫学舎の整備も無駄になる恐れがある。豊かな近世歴史資源をもとに学芸員がきちんと研究活動ができることも志向しているならば未来はある気がするが地方大学の文系研究科においては職業訓練的な内容に特化すべきという提言を真顔で文部科学省の有識者会議が議論する(リンク先はPDF)という教育行政が我々の目の前にあることを考えると孔子廟の移築は同じ価値観で進めようとされているのを感じて衰退しか感じ得ない。むしろ日本語や哲学といった文系的素養が都市・地方に関係なく必要であるという反証こそ求められるものなのだが。

 

◆22番(宮内欣二君) 議案第108号一般会計補正予算(第4号)に、反対の立場で討論します。
 この議案は11億2,677万2,000円 を追加し、322億7,592万4,000円とするものであります。
 職員の人件費に係るもの1億1,845万円や、財政調整基金積立金1億5,827万7,000円、臨時福祉給付金2億1,263万6,000円、ゆとりパーク田万川整備事業1億7,225万5,000円、学校施設予防保全事業2億5,644万5,000円、そのほか災害復旧費などがある予算案です。
 多くの事業は、必要とされるものであるということは、十分に承知しております。しかし、一部に認められないものがありまして、反対をするものであります。
 その一番大きなものは、旧萩藩校明倫館復元整備事業であります。今回、1,283万1,000円が計上され、明倫館の孔子廟移転に向けた補償算定業務、解体移築工事設計業務を進めようというものであります。
 現在は、海潮寺の本堂になっている孔子廟を、明倫館跡地に移築するという事業の具体化であります。総事業費は9億円が見込まれています。  既に明倫学舎として、旧明倫小学校の校舎の整備活用事業が進められています。本館整備に5億9,000万円、2号館整備には8億円、今後、三、四号棟で9億円、これに孔子廟の移転に9億円と、32億円近い巨費が投じられようとしているわけです。ここに一極集中して、今何十億円も投資することに、多くの市民が疑問を持っています。
 市民の状況を見ると、今回の補正予算に計上された臨時福祉給付金の対象が、1万3,300人にのぼっていることを見れば、よくわかります。市民税の非課税の人が、全人口の27%にもなり、全国水準の2倍から3倍に近い状況です。高齢化が進み、年金が削減され、介護保険国保などの社会保障の負担がふえています。賃金は相変わらず低水準でありますし、農林水産業では、いつやめても不思議はないというぐらいに、所得は上がっていません。市民の暮らしが大変なときに、ここに一極集中して、何十億円もの巨費を投じた大事業を展開することは、市民の理解を得るのは難しいのではないでしょうか。
 文化財の保存・保全を否定するわけでありません。当然進めていくべきことだと思います。しかし萩地域では、合併以前から、まちじゅう博物館構想と言って、文化財などがまちの中に、あちこちにたくさんあるということから、これを生かした取り組みが進められてまいりました。合併しても、旧町村部のお宝にも、その考えは広げています。その考えは、一つのところに集めるのではなく、まちの中の至るところにあるものを、その地の人々が大事に守り、生かしていこうという取り組みだと私は思っておりました。

 今回、進められようとしている孔子廟についても、海潮寺の本堂として、明治初期からずっと守り続けてこられています。孔子廟だった建物がなくなる危険があるわけではありません。立派に保存され続けています。
 このお寺に先祖のお墓がある人が言っていました。「本堂が明倫館の孔子廟だということは、私の誇りであり、売り渡すことは反対だ。そのままにしておいてほしい。」このように述べておられました。これは印象的でした。
 まちじゅう博物館構想の考えでいけば、孔子廟が海潮寺にあることが、まちじゅう博物館としての面白味を出しているのではないでしょうか。明倫学舎が萩を学ぶ起点施設として整備されるように、そこからまちの中をめぐって行くための大事な資産だと思います。この孔子廟を、移転、復元することが、逆にまちじゅう博物館構想の面白さを低下させるのではないかと危惧しています。

 移転しても、その孔子廟がなくなるわけではなく、朽ち果ててしまうわけでもありません。そこに、立派に存在しているわけですから、わざわざ大金をかけて移築する必要はないと思います。
 もう一つ懸念があります。復元移転というわけですから、復元となれば、元の位置に、元にあったように建てなければなりません。そうなると、旧明倫小学校の校舎と重なってしまうのではないか。
 確かに建物だけは、十数メートル離れているというふうに言っておられます。しかし、大規模建築では、この距離は至近です。景観的にも面白くありません。また、本体建物だけが孔子廟ではありません。孔子廟の復元ということになれば、いずれはん水と言われる池や、その周辺にあった土塀も復元しなければなりません。これは校舎と重なってしまいます。重なれば、校舎を壊すか、復元をあきらめるかということになります。孔子廟の建物だけの移転は、復元とは言えません。この計画は、初めから見通しがないという状況ではないでしょうか。
 人口減少が激しく、特に周辺部となった地域では、中心部の2倍のスピードで、人口が減少しています。地域の消滅の危機が迫っている。そういうときに、中心部に一極集中して、大事業が行われることには、大きな疑問を持っている人がたくさんいます。

 先に述べたように、どこであれ、市民の暮らしの状況は、かなり厳しくなっています。その市民が今望むのは、孔子廟の移転ではなく、市民の命と健康を守り、暮らしを応援する施策、子育て支援、教育、衰退していく地域振興へのてこ入れなどであります。こうした問題が山積しています。
 合併以来、金がない、財政が厳しいと言って、市民の要望を押し込めてきた萩市です。その金を、ここに一極集中してつぎ込むことには、市民の理解は得られません。この事業は中止すべきだと考えます。
 よって、その始まりとなる予算が含まれるこの補正予算には、反対いたします。  以上です。

萩市議会会議録検索 より 平成28年12月定例会-12月16日-06号

 

◆1番(五十嵐仁美君) 議案第108号平成28年度萩市一般会計補正予算(第4号)に、反対の立場で討論に参加します。
 今回の補正の主なものは、職員の人事異動、人件費の調整のほか、臨時福祉給付金給付事業、道の駅「ゆとりパークたまがわ」整備事業、学校施設予防保全事業等の、国の平成28年度補正予算(第2号)を活用する事業及び旧萩藩校明倫館復元整備事業、繰越明許費の設定及び地方債の補正です。
 どれも必要な補正であり、問題ないのですが、旧萩藩校明倫館復元整備事業1,283万1,000円が見過ごせません
 この事業は、明倫館の復元に向けて、明治初期に、市内の寺院の本堂として移築された藩校の孔子廟を、発掘、調査し、元の位置に移築するために必要な経費を算定、設計する業務です。
 そもそも、旧萩藩校明倫館復元整備事業が始まったのは、平成15年からです。
 昭和4年に、国指定史跡となった水練池の指定地拡大で、萩開府400年事業の一つとして、南門を、萩幼稚園本願寺から移築復元しています。
 その後、平成21年に、萩商業高校跡地利活用検討委員会において、孔子廟の復元整備計画が出され、平成23年12月議会で市長より、孔子廟の移築について提案され、平成25年3月議会で市長より、孔子廟を中心として、新しい藩校の位置づけができないかとの見解を提示されています。
 平成25年5月から、明倫小学校跡地利活用検討委員会が4回開催され、旧萩藩校明倫館の復元について、まちづくりの観点から、長期的な展望に立って整備を目指すと、平成26年1月に決定し、平成27年の萩市総合戦略に、孔子廟、観徳門、聖賢堂等を、元の位置に移築整備するため、発掘調査などの整備に着手すると明記しています。
 そしてことしの市長施政方針で、明治維新150年の記念事業として、萩・明倫学舎と、萩藩校明倫館の整備に取り組んでいくことを表明しています。
 この間、旧萩藩校明倫館の復元計画にかかわってきた方々は、市長を初め、観光協会NPO萩まちじゅう博物館、商工会、社会教育委員会、PTA役員、児童クラブなど、旧萩市を中心とした組織の代表が中心となっています。孔子廟移築に賛成される方の多くが、文化財保護活動を日ごろからされている方々や、意識を持たれている方々が多いように思われます。
 残念ながら、私の周りには、日々の生活に追われていて、文化財に縁遠い方もいて、旧萩藩校明倫館復元のために、9億円をかけて孔子廟を移築する計画があることを知っている人はほとんどいません。特に、旧郡部の方々は、復元の話が進んでいた間、蚊帳の外にいたのですから、急に市報に載っているからと理解できるものではありません。
 今、市民の求めていることは、生活の安定です。守っていかなければならない萩のお宝は、文化財ではなく、萩市民です。日本の宝だと国が言うのであれば、国にこの復元事業をお願いし、市民に目を向けるべきではないでしょうか。
 今後、緊急性のない孔子廟移築につながっていく、旧萩藩校明倫館復元整備事業には反対です。
 よって、議案第108号平成28年度萩市一般会計補正予算(第4号)には反対します。

 萩市議会会議録検索 より 平成28年12月定例会-12月16日-06号

 

石の顛末

 三連休の最初の3月18日土曜日、ゆっくり寝ていたが御手洗にと起きたところ左下腹部に痛みがあることに気がついた。用を足している時に、とかではなく寝ても起きてもずうっと一定に痛い。激しい痛みという訳ではないが同じように痛みが続く。

 

 幸い近くに土曜日も午前中は診療されている泌尿器科の医院があったので通院した。和田クリニックといって、私や子供達がかかりつけになっている荏原町商店街の入り口にある和田眼科の先生のご主人が開院されている。和田先生も曜日によって和田クリニックの方で眼科の診察をされると聞いたことがあってすぐに思い出すことができた。

 

 診察前に検尿をするのだが、自分で採尿した時点で(あれ、なんか濁ってる?)と感じた。案の定「血尿ですね」と言われた。エコー検査で石は見つけられなかったが「間違いなく尿管結石でしょう」との診断。

 

 超音波破砕だのという話しをどこかで聞いたことがあったが自分の場合どうするのだろう……と内心思っていたところそんな大げさでない処方が一般的であることを丁寧に説明いただいた。下記二種類の錠剤を処方いただき毎食後に服用となった。

 

チアトンカプセル10mg

 ムスカリン(副交感神経を興奮させる物質)のはたらきを抑えて胃液やガストリン(胃液の分泌を促すホルモン)の分泌を抑えるとともに、粘液の分泌を促したり、胃粘膜の血流をよくする作用もある薬です。

 副作用も少なく、長期間使用し続ける薬として適しています。

 消化性潰瘍(かいよう)のほか、過敏性腸症候群、胃痛、胆嚢炎(たんのうえん)・胆管炎・尿路結石などに伴う腹痛の治療にも用いられます。

チアトンの効果・副作用 - くすり・薬検索 - goo辞書 薬の手引き 2011-12年版 より

  → 説明では副交感神経を抑えることで尿管を弛緩、拡げさせて排出しやすくするとのこと

・ウロカルン錠225mg 

 ウロカルンは、ブナ科の植物ウラジロガシから抽出したエキスで、抗炎症作用、結石の発育抑制・溶解作用があるほか、利尿作用によって尿量を増やし、結石の排出を促進します。  腎結石(じんけっせき)・尿管結石の治療に用い、長期間使用しても効力は変わりません。  ロワチンは、各種の植物から抽出したエキスを混ぜてつくられた薬で、尿路結石の治療に効果があります。

ウロカルンの効果・副作用 - くすり・薬検索 - goo辞書 薬の手引き 2011-12年版 より

  → 説明では利尿効果を主に挙げられていた

 

 結果としては早速服用を始めて翌日には痛みが治まってきた。ただ当日から翌日曜日にかけて微熱があった。私は平熱が低く35度8分前後なのだが36-37度台出ていた。19日の日曜日は合気道の稽古があり、痛みが引いたなら動いた方が結石が排出されるのではないだろうかと素人考えしたのだが、複数の方から無理して再悪化するぐらいならもう少し休むべきと助言いただくこととなり寝て過ごすこととした。結果として連休最後の日には痛みもなければ体温も平常という状態に戻り、連休明けには何事もなかったように仕事できていた。連休にどこにも行けなかった家族には申し訳なかったが。

 

 泌尿器科でもうひとつ言われたのが「石が出たら拾っておいて下さい」ということだった。結石ができる理由はひとつではなく、再発防止策は結石そのものを検査しないと詳細には判断出来ないのだという説明だった。

 

 はて排出時に分かるものなのだろうかとどきどきしながら毎度用を足す際に気にしていたが二週間後の再通院まで石が出てきたことを認識することは出来ずに過ぎた。再通院時にそのことを話すと「結石はおりてくる過程で砕けてしまうことが多いので仕方がないですね」と言われ、食事制限など明確なことは分からないこととなった。ただし結石が一度できると再発率が高いことも説明され、正確な数値は忘却したが数年以内に5割以上再発するのだという。できるだけ防ぐために「水分を多めに摂りお手洗いにもこまめにいくこと」を言われた。

 

 関係あるのかないのか分からないのだが尿管結石ができる以前から人間ドックの検査結果でクレアチニンの検査値が少しだけ高めで「水分を多めに」云々の助言は受けていた。仕事をしているとつい椅子から立ち上がらずトイレも後回しとなる傾向があるのだが、いい加減にしないといけないと強い警告を受けたということなのだろう。

 

 もし再び症状が出た時のためにチアトンとウロカルンを追加で処方いただき人生最初の尿管結石はいったん完治した。

 

尿路結石症診療ガイドライン 2013年版

尿路結石症診療ガイドライン 2013年版