『AGANAI - 地下鉄サリン事件と私』 さかはらあつし
三回目の緊急事態宣言が東京都に出る少し前の4月16日、休みをとって渋谷、というか宮益坂上にあるシアター・イメージフォーラムに映画を見に行ってきた。大田区からだとちょっと距離はあるが HELLO CYCLING で電動アシスト付き自転車をレンタルして。到着直前にぱらっと雨が降ったがそれほど濡れずに済んだ。
一階の「シアター1」は64席だそうだが 12:30 からの上映の観客は5人だった。公開直後は予約で満席になっていると聞いており、平日の昼間でイベントも無いところを狙ったのが望み通りになったのかもしれない。上映直後の動員が映画のその後の興行に影響する、というような話を作品の監督であるさかはらあつしさんが Facebook でポストされていたのを読んでいたのでより良い関与が出来るような鑑賞でないことを微かに残念に思っていたが、人出が多そうな週末の行動を控えての結果だった。映画館は受付も換気やビニールシート、消毒液も備えているし、チケットは出る前に予約していたからタッチパネルを操作すれば良かった。結局操作を教えてもらうことになったけれども。結果としては公開初日でも大丈夫だったのかもしれないが、変異種の感染が広がっている中では家族以外と話す機会、家以外の場所に長く留まる機会、密閉された場所を出来るだけ避ける判断は必要だった。
それでも宮益坂上まで出かけてきたのはその作品を見ることは私にとって必要だったからで、さかはらさんから映画の構想について伺ってから5年経っていて、その5年間さかはら監督は作品の制作状況についてフォロワーにポストし続けてきて、私はそれを読み続けてきた。私のようなものも含めて多くの支援者がこの映画の完成を待っていて、全ての支援者にとってこの映画は観るべき作品なのだ。
制作過程の情報も見てきたから、作品について(こういう感じのドキュメンタリーになっているだろうか)という想像を持てていたところもあったのだけれど目の前で展開される映像作品は想定を超えていた。地下鉄サリン事件の被害者であるさかはらさんがアレフの広報部長と連れ立ってお互いの生まれ育った地元に旅に出る。そこまでにどれだけの交渉があればそんな撮影が可能になるだろうか。
旅のなかで二人は様々な会話をする。ほとんどはさかはらさんが何かを問いかけて、それに何かしらの応えが帰ってくる。被害者という立場からすれば非難であったり要求であったりという言葉が出ても然るべきなのだけれど、問いかけしかされない。中にはサリン事件とは特に関係のないことであったり、冗談であったり、そういったやりとりすら作品の中には収められている。
だが作品中一度だけ、さかはらさんが強い口調で「あなたはこうすべきではないのか」と口にされるシーンがある。それまでどんな問いかけをされる時も口調を荒げることがなく、むしろ飄々とした風であったさかはらさんが、この時だけは厳然とした様子だった。私はこれを見たときに(このシーンを撮るためにこの旅をされたのか)と勝手に考えてしまった。その出来事が、この作品のラストに結びついていく。
そう考えた時に、二人の旅行は漫然と企画されたものでは多分ない。ドキュメンタリーである以上、しかも利害が著しく反する二人である以上、いくつかの結末を想定してあったのかもしれないとは思うのだが、考え抜かれた計画であったはずだ。その旅行が実際に行われて映画作品にまで作り上げられる、ということは途轍もない技量と精神から成るものだ。
私は前述のようにさかはら監督が発信されてきた映画制作家庭についての情報にも接してきたのでドキュメンタリー作品としてナレーションや字幕といった説明が最小限ながら過不足なく何が語られているのかを読み取ることが出来た。そして恐らく、予備知識を持たれていなくても地下鉄サリン事件について一般的な知識がある方であるならば私と同じように映画が何を語っているのかは読みとれるのではないだろうか。そのようにしてこの作品に逢った方がおられたら、どのように感じたかを是非教えて欲しいと思っている。私としてはただ、優れたロードムービでかつドキュメンタリーであるという『AGANAI』という映画作品が今年2021年に公開されているということをお伝えするところである。