いきをとめる

 少し昔話を。

 
 故阿部醒石師範の演武映像をみると触っていないのに相手が投げられて受け身をとっているようにみえる。阿部先生の演武動画でフリーで公開されているのは私の知る限り  Youtube にアップされている越山先生のものしかない。以前アップされていたものとは違うかもしれないが内容は同じものを見つけたのでリンクを貼っておく。embed できない制限がかけられていた。
 私は二十代に道場に足繁く通い阿部先生の稽古にもよく出させていただいたが、普段の稽古からあのように触らない技を出されるわけではなかった。より正確に言うと阿部先生は礼のあと、稽古の最初に全員に手を持たせて呼吸技をひととおりかけてから説明に入られるのが常で、実際に稽古するのも腕を持たせたところからが多かった。ただ説明の中では「呼吸が合えばここまで出来るぞ」という文脈で触れないで投げたり制したりをやって見せて下さる事はあった。
 
 また「呼吸が合うから出来るんやで。道で知らんひとにこんなんやっても、何や、と変な顔されるだけやで」と笑って言われるのを聞いたこともあった。
 
 では触れる前から投げてしまえる事をどう説明できるか。
 
 私がする説明のひとつは「省略が発生している」ということ。
 
 技として片手持ちなり諸手持ちからの呼吸投げ(大阪市合気道部で呼ぶところの後方入り身)の形があるとしてその形が阿部先生の技には含まれているのではないか……という考え方だろうか。
 
  それよりも呼吸で説明する方が先ではないだろうかとふと思った……というのが昔話を始める発端。
 
 先の大田区合気道会の稽古の時に「相手が吸うタイミングで崩すと楽ですね」というような話を相手の方としていて自分で気がついたというような事があった 。私は持ち技の時は必ず相手の呼吸をみる習慣があるので阿部先生の教えがある形で椋の技に焼き付けられていると言えるのだろうとおもう。それを自分で説明していて自分で再確認することとなった。改めて動画をみてみると阿部先生は初心者の越山先生にもしきりに呼吸の説明をされている。例えば下のスナップショットは 3:20 辺りで腹式で止めた呼吸が大事なんやで、といういことを言っておられる。

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 自分なりの理解だけれど呼吸は吐いて止めた状態が強い。吸って止めた状態が弱い。阿部先生は吐いて止めた強い状態で相手に向かって近づいていくと受けを取っている人は吸って息を止めた状態にされてしまい、跳ね返されるように投げられてしまう。もし阿部先生が相手の息を止めさせた状態を保たれたとすると受けはとてもきつい状態となる。息ができない状態が続くから。ただそんなことができるのは普段から呼吸を合わせる稽古をしているからだ、という説明になる。
 
 そんなことができるのか? 予定調和ではないのか? という質問が出るのはもっともなことで、これについては要は触れなくても投げられますということを示しているのではなくどれだけ呼吸力、つまり息を吐いて止めた時の力を鍛錬しているのかを見せたらああなったというのが正しいのだろうとおもう。
 
 かつて天之武産合気塾でやっていた技にかたちの上で近い稽古をしたことで阿部先生の呼吸力のお話しに立ち返れたと感じた。そういう機会に逢えるような真摯な稽古の場としての大田区合気道会に居れることをありがたく思いつつ。