大阪市立大学合気道部の五十周年
1月21日の土曜日に大阪市立大学合気道部の関東地区のOBの稽古を開催してきた。場所は以前も使った小平市民総合体育館。人数は多くないが11時半頃から13時半過ぎまで稽古をした。寒かったのだが木剣と杖も持って行って素振りもやりつつ。
体育館にほど近くにある先輩のご自宅に伺って新年会的に懇親会をしたのだがめでたいというよりは割りと真面目な議論となった。OB会の運営についてのことだ。
大阪市立大学合気道部は私もOB事務局です、という顔をして普段ウェブ上の情報更新など行っているのだが組織としてはあまりしっかりしていない。そもそも17、8年前にOB会をもうちょっと組織だったものにしようと何人かの若い世代OBが動いたことがあって私もそのなかのひとりだった。規約を作ったりそれに基づいてOB総会を開催した時の司会をしたのが私。
しかし中身は属人的に動いていた状況であり、そのうちに私は東京勤務になって大学にも顔を出せないようになり、他のOBも同様に大阪を離れたりして実質有名無実な感じになった。私が22代幹部だったから私より上の世代がおられるわけだが面白いものでわが合気道部にはそういう組織運営に長けたひとがあまり出ずOB会が充分に機能せず現役生任せになってもそのままにされていた。
大阪市立大学合気道部は2017年度で創部五十周年を迎える。五十周年というと節目として重要で、現役生に任せてなんとかなるという行事ではもはやないのだが、我々OBは五十年の長きに渡りそれを放置してしまったのだ。そのことを気がつくための議論だった。
その五十周年記念式典だがこのたび日程が決まった。2017年11月18日(土)だ。阿部豊雲師範のご予定を伺って決まった。場所と、記念式典で何をするのかはこれから決めていく。今まで記念式典でこうしてきたから、という固定観念をOBは一度どこかに置いて考え直すこととなる。OB会が主催する、初めての記念式典になるからだ。
私が東京に移ってから四十周年と四十五周年の式典があったが、いずれも出席していない。子供が幼く家族優先にしていたこと、交通費の負担が大きかったことが主な理由だった。今回も財政的に余裕があるわけでは全くないのだが今年の五十周年は参加するようにしようと準備をはじめている。
荏原警察署に忘れ物を取りに行ってきた
正月の三日に子供達を買い物に連れていった。それぞれお年玉をもらって買いたいものがあるということで。長男の卓球のラバーを求めて渋谷と高田馬場に、次男のバスケットシューズを求めて恵比寿へ。
その帰りのことだが着込んでいたこともありちょっと歩くと暑いぐらいの気候ではあり、愛用のネックウォーマーを外して手に持っていた。東急バスの最寄りのバス停についておりようとした時のこと、手に持っていたはずのネックウォーマーがないことに気がついた。足許にもない。乗車時の支払いの際にいちど荷物を置いたことがあったのでその際に落としたかと見に行ったが無い。諦めて下車しあとで探すこととした。
当日中に都営地下鉄と交番には聞いたのだがなく、結論としてはやはり東急バスの車内で落としていたことが後日判明した。既に受け取りに行ってきたのだがちょうど過去に書いた、東急バスの営業所に取りに行くのと、飯田橋の遺失物センターに行くのの中間で取り戻すことと相成った。
東急バスの荏原営業所には翌々日の1月5日に問い合わせしたのだが「ちょうど今日荏原署に送ってしまいました」と言われた。続いて荏原警察署に電話すると5分近く待たされたうえで「無い」と言われる。東急バスさんから送ったと言われたのだが、と話すと「丁度今日が遺失物を回送する日なんです。まだ回送中かとおもわれます」と説明された。夕方折り返し電話がかかってきて無事回送されてきたのが確認されたと、管理番号を教えてもらった。そして「1月26日までに取りにこられなければ警視庁の遺失物センターに回付となります」のと宣告。また飯田橋まで出かけるのは大変だが中原街道沿いの荏原警察署も普段の通勤ルートと全然違う方向になるのですぐには行けない。本日別の用事もあり休みをとって荏原警察署まで受け取りに行ってきた。
通勤時の最寄駅である東急荏原町駅を素通りして自転車で北上していった。中原街道沿いだから自動車でも良さそうなものだが荏原署は来署者向けの駐車スペースが無いらしい。まぁ寒いけれど天気は良かったし別の用事を考えると自転車の方が小回りがきく。
写真の通り、遺失物の窓口は署に入ってすぐ左にある。大変分かりやすい。
事情を話して管理番号を伝えるが窓口の女性は最初首を傾げていて「届けは出されましたか?」ときいてこられる。ネックウォーマーを落とした当日に交番に行ったが大田区池上署管内であったし、東急バス営業所で取り戻せそうだと思っていたので遺失届は書いていなかった。
遺失届出はこんな書式。これを書いて提出するとネックウォーマーの現物を取り出して待って下さっていた。続いて受け取りの書面を別に書いて受け取れた。これで東京都内での落し物の受け取りパターンは網羅したのではないかとおもうがまだ新たなエントリーを書くことがあるだろうか。
「落とし物を取りに行ってきた」シリーズ
合気道の足技
昨年の11月だからもう先々月の話しだが大田区合気道会の稽古で足を踏まれてしまった。相手の方がバランスを崩して踏みとどまったところに私の足があったというもの。恥ずかしい話しだが自分も油断していたかと思う。稽古後に冷やしたのでなんということもなくすぐ治ったが稽古中はちょっと当たっただけで痛かった。
合気道では足さばきの稽古はあっても足での打ち突き(つまり蹴り)からの稽古というのはほとんどない。技とは違うが、私は子供達に半身を取るよう教えるのに、棒立ちになっている時に金的やお腹を蹴ろうとしてみせて「ちゃんと半身を取らないと技をする前に終わるぞ」と話すことはある。半身というのは左右どちらかの足がまっすぐ相手を向いていて、もう片方の足のかかとが前の足のかかとの真後ろにくるように構える。合気道の立ち方の基本だが、身体の中心を相手から自然に守る姿勢になるのだ。それはさておき。
取り(技をかける方)としても足を使うというと一教を手で押さえるところを膝を使うことはあるかもしれないが通常はない。以前巴投げについて書いた時に植芝盛平翁先生が相手の膝を蹴って後方に投げる技を演武でされているのに言及したことがあるが、現在巴投げ的な稽古をすることはほぼ無い。
下の動画の後半、養神館の昭和58年(1983)第28回総合演武大会の動画の 5:16 辺りで塩田先生は後ろからの羽交い締めに足を踏むって技をされているがこれは技というよりも私が棒立ちの相手に金的蹴りで注意するのと同じような、「おい隙があるぞ」と教えられる感じかもしれない。
養神館合気道、shioda gozo aikido demonstration part2 1981-1990
上の画面キャプチャが足を踏まれてる場面。背後から抱きかかえられるように拘束されているところ、振りほどくのではなくむしろ相手に身を寄せてかつ親指の方の螺旋を使ってから入る技を稽古することがあるが、ここでの塩田先生はそれと同様の理合を使っておられるかとみえる。普段するような合気道の稽古と違うのは相手に身を寄せる動きを利用して足を踏んで相手の縛を解いてしまっているところだ。
ところで塩田剛三先生というと足四教をされている映像を昔みた記憶があり、そちらを探していたのだが Youtube であれこれ見させていただいたなかでは探し当てられなかった。
四教というのは合気道の抑え技のひとつで、相手の手首を人差し指の付け根で抑える。私が覚えている足四教は相手の足の甲を足の親指で抑えるものだった。あれだけであんなに痛いんだろうかというぐらい受けの方が痛がっておられたことだけが印象に残っている。自分でやってみると足の甲の真ん中辺り、中指の付け根の奥を押さえると結構痛いのでここを抑えておられたのかもしれない。
相手がよろけたぐらいで踏まれていたようでは塩田先生の前に出た日には何もできずに終わってしまうだろうか。そんなことを妄想しながら反省していた。
2017年3月31日 追記
偶然塩田剛三先生の足四教の動画をみつけた。これを探していた…… 5:47 あたりに出てくる。
インフルエンザの検査について
先月12月の中旬にインフルエンザにかかった。風邪だとおもって勤務後にかかりつけ医に診察してもらったのだがその夜から発熱、38度台の熱が下がらないので翌日午後に再度通院して検査を受けたら陽性でインフルエンザA型にかかっていた。
リレンザを吸入して翌々日には平熱になったのだが、続けて妻が体調を崩した。前から咳がなかなか治らなかったのだが37度台の熱が出たり下がったりするので週末だったが大森医師会に車で送って診察を受けに行った。検査もしてもらうのが良いとおもっていたが、戻ってきた妻が言うには「今は36度台で、それで検査を受けに来る人はいませんよ。それでもわざわざ検査受けるんですか」と結構な言われようであったらしい。
週明けに私と同じかかりつけ医に再度通院、やはり「36度台なら検査までは……」と言われたのだがあえて検査をお願いしたところ陽性、インフルエンザA型が出た。
熱が出ておらずとも検査を受けようとしたのは夫である私がインフルエンザを発症していることが分かっているし、万一妻にもうつっていてそのまま仕事に出たとしたらまた新たに仕事場で他の方にうつしてしまう恐れがあるのを慮ってのことだった。現に陽性だったわけで、妻の勤め先は小さな店舗なのでそこで雇用主さんにうつすなどしたら年末の書き入れ時にご迷惑をおかけしていたかもしれない。また店のお客さんにうつしてしまうことだってありえる。それを思えば検査して良かったとおもうのだが、医師は何故にあんなに検査を回避しようとするのだろうか。確かに今回はまだ鼻に長い綿棒を突っ込む痛いヤツであり、患者が嫌がる顔を見るのがいやとか、文句を言ってくる患者がいたりするからとか、あるのだろうか。あるいは検査キットの数に限りがあって勿体無いと思うのか。
そんなことを不審におもう昨年末だった。
大森入新井のとりとく
近所でお弁当を買う先の話しの続き。
いかにおいしかろうとも同じ場所でお弁当やお惣菜を買っていると、飽きる。それが家で妻が作ってくれる料理と違うところ。それでも妻に頼れない時は自分で作るか、良いお弁当の仕入先を複数知っておくか。
今回久しぶりに鳥徳商店さんも使った。大森駅から池上方面に歩いてきた、出土橋近くにある。出土橋は『花子とアン』のモデル村岡花子さんのご自宅があった場所に近い、古い街道沿いの、内川にかかっていた橋で今は橋は残っていないが地元のひとは地名として認識している。この橋のことは「電子雑誌トルタル」6号に書いた『母達の足許』にも登場する。
街道沿いということでよくあるように商店が並んでいる。駅から離れているからかつてに比べれば店が減っているだろうがこのみち沿いには春日神社があり門前町的にもちょっと商店街の体を為している。とりとくはそのなかの一店だ。
唐揚げやもも焼きなど惣菜もあるし、弁当もある。 弁当はメガドンキ・ホーテのに比べれば少し高いが頼んでから作ってくれるので温かいのを食べられる。今回はお弁当を買っていったが、惣菜をいろいろ買って帰るのも良いかな。ただメンチカツだとかコロッケだとかだけならば桜並木沿いにある精肉店の大黒屋だとか、臼田坂下にある「のんちゃんの店」という八百屋の中にある精肉店、臼田坂上にあるオダカ精肉店、福好精肉店などいくつか思い浮かぶが弁当をやってくださるとなるととりとくさんになる。
子供達の幼稚園に近く、その頃から時々買い物をする。いつぐらいから営業されているのだろう。このあたりに住まれていた子母澤寛さん、村岡花子さん、佐多稲子さんの書かれたものは読んでいるが店名をみつけられたことがない。
南馬込桜並木スーパーキタムラのシックレス弁当
先月まで週末に妻が所用で出かけることがあり、昼食を私が準備することがあったが私が誠に役に立たない。結果弁当を買いに行くことになっていたが、コンビニエンス・ストアの弁当では味気なく惣菜はどこがいいかなぁと界隈をうろうろしていた。
また12月に入って私がインフルエンザで寝込んでしまい、妻にもうつってやはりお弁当やお惣菜を買ってくるようなことになった。
大森の COSTATA は最近なぜか私が行くと開いていないので焼豚丼が買えないでいる。メガドンキ・ホーテ一階の食品売り場の弁当は安い。まずくもないので良いのだがスーパーキタムラの「シックレス弁当」にお世話になることのほうが多かった。近いということもあるのだがあまりハズレがない。
店内の左奥の方にあるお弁当や惣菜のコーナーにしれっと「シックレス弁当」とラベルに印刷された商品が置かれている。「シックレス」とは何だろうか。以下はスーパーキタムラのサイトの、予約ページからシックレス弁当のアイテムを呼び出したページだけれど title に書かれているように「健康調味料」を使っていることで「シックレス」と称している。
「健康調味料」という用語はどうも一般的でないようだがおそらくは「化学調味料を使っていない」ぐらいの意味なのかな……と推測する。今度機会があれば聞いてみても良い。
ともかくもこのたびはお世話になった。
久しぶりの大阪市大での稽古
東京に居住しているから母校大阪市立大学合気道部の稽古というと、隔年で関東にて行われる旧三商大戦ぐらいしか参加できていない。大阪に勤務で出かけることがあるが日帰りが多く、道着を持っていく余裕もないため大阪市の最南部にあるキャンパスに行くということもなかなか出来ない。それが久しぶりに時間が出来、かつ合気道部の稽古がある日であったため寄って来た。ちなみに道着は持っていない。
帰りの飛行機の時間があるから最後までは見れない。前半の一時間ぐらい、見た。スーツ姿のままで受け身を取ったり。横から口を出したことをメモしておく。
体の転換
現役生の手を持ってみると「持たれた箇所を動かそう」という感じになっているので手をしっかり開いて結ぶと、結んだ力が指先にくるので指先から導くんだ……という話しをした。まぁ自分が強く持つので、普段できていてもそんなに持たれたらいつも通りできないとかあるかもしれないけれど。
指先から導くということを本当に感覚的につかめたのは二十歳台の頃の羽曳野古市道場の稽古でのことだった。大阪府立大学だったか京都府立大学だったか忘れたがマレーシアからの留学生が合気道部にいて、その彼がとても力が強くて体の転換がうまくいかないことがあったのだ。その際に阿部醒石先生が指先から導くこと、相手が導かれてきたら相手の肘に自分の肘を重ねて制するということをご指導いただいた。私の体の転換はこの時の阿部先生の教えの延長線上に今もある。
諸手持ち呼吸法
最初転換しての呼吸法を稽古していたのだが、私が途中で口出していたので送り足での呼吸法に変わってしまった。中途半端なことを言って申し訳なかった。
この稽古は受けを後方に投げる技であることから、後方に投げる時に身体も振り返ってしまうことがある。これはどこで稽古しても見かける。
振り返る動作をすると、いったん相手と合わせた力の方向が「ずれて」しまいがちになる。ずれさせずに導ければ投げることはできるが、そうでないと腕の力で投げることとなってしまうので相手によっては難しいことになる。自分は相手と合わせたらそのままの体勢で後方に投げる稽古をするので、それを伝えたかった。稽古している人数が多いとぶつからないように後ろをみることはあるけど、投げるために振り向くことはない。
これは齋藤守弘先生、齋藤仁浩先生に教わったが、最初にわかりやすく教えていただいたのは天之武産塾合気道道場の小野健次師範だった。大阪府立大学合気道部の十年ほど上の先輩で道場でお世話になったし、一時期齋藤仁浩先生を大阪に迎えての稽古会も主催いただいていた。
正面打ち入身投げ
投げる時に相手とぶつかっているので、どう導けばぶつかるところなく投げることができるのか、という話しをした。手のひらを上に、親指の方に導く、という話しをした。あとは導く方向は「受けの両足を底辺とする二等辺三角形の頂点」であるという話しを。
入身投げは自分もずっとうまくなかった。今稽古しているのは四十近くなって大田区合気道会で教わったことが大きい。
あと、話しはしなかったけど現役生が腰を落として技をしているのだけれど、踵が浮いているのを気にして見ていた。例えば入身投げで投げた残身の後方の足。前のめりになっているので踵が浮くのだ。送り足の運足で後方の足がついき常に安定した姿勢を取ることが有りたい姿。
今の若い子だと背が高くて腰高で重心が高めでもあるのでその点不利ということもあるだろうとおもう。例えばひとつ前の諸手持ちの呼吸法でも腰を落としただけで踵が浮いていた。もうちょっと歩幅を持った方が良いかもしれない。