昇段

 まだ大阪市立大学在学中、恐らくは二回生ぐらいだった気がするので1988年頃のことだったとおもうが合気道部で先輩が段位について話してくださったことがあった。どなたに伺ったのかも覚えていない、遠い昔の話しだ。

 

「四段までは俺たちの免状と同じような普通の賞状だが、五段からは和紙に手書きになるらしい」

 

 当時、合気道部で五段、六段に昇段すると言う方はいなかった。なお天之武産塾道場では阿部醒石師範は十段位であり、そういう話は超越していたという印象しかない。今になって改めて確認すると師範代であった木下良一師範は私が大阪市大を卒業し就職した1991年に六段位を允可されておられていて、その頃は道場にもよく稽古に行っていたからどこかでお話しを聞いていたかもしれないのだが今振り返るとあまり覚えていない。そんなことで五段以上の免状については想像上の存在として過ごしてきた。

 

 五段に推薦いただく話を尾崎晌師範からいただいたのは昨年の10月8日の大田区合気道連盟の演武会を南馬込文化センターで執り行ったあとで、その瞬間に思ったのは免状がどうこうではなく、また推薦いただけたありがたさよりタッチの差で、恥ずかしながら(昇段登録料を払えるだろうか)ということが先に浮かんだ。先に書いておくと五段の登録料は7万5,600円。それを捻出することができるか、それなりに逼迫した家計のやりくりからすぐに判断ができなかった。結果としては手をつける予定のなかったところからなんとか調達して推薦をお願いした。なお大阪で二段、三段の試験を受けた際には登録料に少しだけ阿部醒石先生へのお礼も含めていた気がするが正確な額は覚えていない。1万円以内であったとおもう。噂だがそんなものでは無いお礼を師範に納める道場もあるときく。大田区合気道会では登録料と更新料だったか、いずれも合気会が公式に道場に課している費用だけとなっている。

 

 推薦が通ってこの正月の本部道場鏡開き式で五段をいただいてきた。なお手続きはあくまでも「各道場が本部道場に対して行う」のだが、その要領が分からずとてもまごまごした。新宿若松町の本部道場に伺うと既に三階の道場には人が溢れていて入れず、二階の子供が稽古する道場にやむなく入って映像中継で鏡開き式をみる事態となり、その点でもまごまごした。まごまごしている間に尾崎師範が手続きをしていただいていたので全て済んでいたのだが。

 

  五十歳で五段ということになった。鏡開き式のあと、大森駅前まで戻って大田区合気道会の新年会と昇段者のお祝いがあり出席したのだが、その席で天之武産塾道場での昔話をした。これも自分が市大の二回生の時だったと思うのだが、他大学の先輩が二段を受験されて合格、そのあと阿部醒石師範と座談する時間があった。その先輩が「私などが昇段して良いのかと思います」と殊勝なことを言われると阿部先生は「それでええのや」と仰った。「まだ自分には足りないところがある、だからもう少し頑張ろう、と思うことが大事や」と言われる。自分は不遜なところがある人間でそういう謙虚な気持ちを自然に持つことができないところがあるのだが、阿部先生の「それでええのや」が耳に残っている限りは自分を戒めることができるのではないかとおもう。

 

 

免状