さようなら羽曳野古市道場
数日前に大阪市立大学合気道部の現役生からメールで師範道場である天之武産塾合気道道場から「市大のウェブサイトから道場の Facebook のページにリンクを設定してほしい」とご依頼をもらったとの話をもらって即日対応した。
天之武産塾合気道道場は以前からウェブサイトを運営していて、一時期停止していた時期があるが復活して今に至っている。ブログも復活後あるのをみていたがよりポストしやすい Facebook に移したのだろう。この点大阪市立大学でも現役生は Facebook で普段ポストし同じ内容を Twitter に連携している。私がOB会事務局メンバーである、という体でそのあたりのポストやメールでもらった情報を Tumblr で運用しているウェブサイトに反映して情報をアーカイブする運用にしている。
その天之武産塾合気道道場の Facebook ページを早速みさせていただいた。ウェブサイトには載っていないような情報があるわけだが一番最近のポストをみてある種の感慨を抱かざるを得なかった。
そうか古市道場を閉められたのか。羽曳野の誉田八幡宮の境内のそばにある、自分が二十代の頃毎週土曜日の稽古に通っていた道場だ。阿部醒石先生がほぼ毎週来られるので通っていた。私が大学合気道部に在籍していた前半には阿部先生が道場で出てこられることが珍しかった時期があって、その後積極的に指導に出ていただけるようになってからもその時期の餓えを満たそうとするかのように阿部醒石先生の稽古には出ていた。
古市道場は子供の稽古もあって、主に大阪府立大学合気道部が運営を担ってくれていた。ただひとの都合がつかないときなどは他の大学合気道部が担当することもあって、何回かは行っている。今思えばその程度しかお手伝いしなかったのは申し訳なかったとおもう。羽曳野というとなかなか遠く、道場として運営していくのがいよいよ負担となったのかもしれない。またこの道場は阿部先生のご親族の方の敷地内の蔵を改装して道場としたものだったがそちらの御宅のご都合があるのかもしれない。
古市というと思い出すのが古市道場に稽古にこられる方に川崎さんという方がおられた。過去にも何度か書かせていただいたことがあるが川崎和哉さん、だったろうか。道場の後ろに名札が提げてあったはずだが……自分が古市道場の担当のとき、一度川崎さん以外誰もこなかったことがあって二人で稽古して帰ったこととか、川崎さんが近鉄古市駅まで送って下さったことがあったとか、そんなささやかなことが思い出される。川崎さんはある日道場で倒れて病院に運ばれたがそのまま亡くなられた。
あの頃の写真が一枚残っていた。PICT形式で見ることしかできない感じなので画面キャプチャーを jpeg で保存しなおしてみた。大阪市立大学合気道部揃って行ったときの写真のようで、後輩が何人も写っている。1997年の3月か4月に撮ったものだ。もうここで稽古することはないのか。なんというか、関わっていたひとも含めての場としての古市道場に御礼とお別れを。