眼作胆力

 2月に長男が学校で足の骨にひびが入る怪我をした。遊んでいたところ、右足を踏ん張ったところに友達とぶつかったらしい。1ヶ月位上添え木ないしギブスで過ごすこととなった。

 3月20日の春分の日、ギブスがとれて包帯だけになってすぐの長男とリハビリを兼ねて馬込桜並木のセブンイレブンまで歩いて買い物に出かけた。そのあと、近くにある熊谷恒子記念館に立ち寄った。

来館者が書を書けるコーナーがありました。書いてきた

 熊谷恒子記念館、馬込に住むようになってからずっと気になっていたがなかなか入館するに至らなかった。

 私の合気道の最初の師範である阿部醒石先生は書家としても名高く、昇段の免状を渡す時や道場での合宿の最後などに決まって色紙を書いてお渡し下さった。合気道の弟子にも書についてよくお話し頂いたし、道場を使って日展などに出す作品を選ぶ現場も目にすることがしばしばあった。

 また、私の祖父母は須佐の自宅の庭に小屋を立ててそれを書道教室として近所の子供達に書道を教えていた。私の家内などはその書道教室の生徒のひとりであったりする。

 大人になってから書を書くような場面はとんと無いのだがそれでも書を見るということは自分には自然で、久しぶりにそんな時間を子どもとともに過ごした。

 熊谷恒子さんはかな文字において大家だと聞いていて、かな文字というと柔らかく風雅というイメージでとらえていたのだが、実際に書を前にして、その柔らかいなかにもある力強さに意外な思いがした。経歴も初めてじっくり読んだのだが、もともと子供に書道を教えさせる際に自分も始められたのが書の道に入られたきっかけなのだと知った。主婦をしながら適切な師を選んで続けられ、ついにはかな文字の書における第一人者とまでなられた。勿論ご主人のサポートあってのことだろうが、アマチュアかプロフェッショナルか、というのは本人の態度次第なのだという見本であろうか。

 長男に聞くと学校で文士村について、というような文脈でかつて地元馬込に住んだ作家について国語や社会学習で学ぶことはあるようだが、熊谷恒子さんについては知らないとのことだった。こんなに近くに記念館があるのに勿体無いような気もする。そういえば雅子妃が昨年だったか、お忍びで来館されたような話しを聞いた。今雅子妃や愛子様が書道についてどなたか指導されているのか存じあげないが、熊谷恒子さんは美智子妃の書の進講を担当されたそうで、その縁での来館だったのだろう。そういった話題があるなら、子ども達もとっつき易いように感じるのではないだろうか。

 二階にあがると、最後の一室は展示ではなく、硯と筆が机上に用意されていて「一筆書いていかれませんか」とあった。

 長男は自分の名前を書いた。お父さんも書いたら、というのでちょっと考えて「眼作胆力」の四文字を半紙に書いた。

 阿部醒石先生が書いて下さった色紙のひとつにこの言葉がある。熟語などではなく、強いものを強い順に並べた言葉。それぞれ一文字の解釈はそれぞれだろうが、昔は「眼」は「眼のもつ力」というように曖昧に読んでいた。だが、阿部先生が書いて下さった別の色紙には「知幾」という言葉があって、これは「きざしを知れ」という意味。それを思うと「眼」とは「何かが起こるきざしを見て感知する能力」という事ではなかったかと、書いてみて改めて思った。

 あと「作」というのは「技」「技術」のこと。「胆」は肝っ玉ぐらいに思えば良いだろうか。「力」は文字通り、腕ぢからのことである。書いたものは受付で朱印を押してくださり、持って帰る事ができた。長男は私が書いたものを褒めてくれたが、我ながら未熟さが目立ったので仕舞いこんでしまった。

庭で咲くのは桜かな