椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

ある日の夢

 車を買う予定があり駐車場を探している。その日はかなり大きな、ショッピングセンターの駐車場みたいなところを見にきている。比較的上の方の階にいて、外が見える。

 

 突然、遠くで白く閃光があった。具体的な衝撃は感じていないが「爆弾が落ちた」と言う事実が頭の中にあって、自分が焼き出されたということを認識した。瓦礫の光景を見た気がする。焼き出されて、どこかに電車で移動することになった。今から考えるとJRのどの在来線でも、乗り馴れた近鉄電車でも、新幹線でもない。子供の頃に帰郷のたびに乗っていた、山口線山陰本線の古い車両みたいだったかもしれないし、もっと古かったかもしれない。ドラマの中で見た、戦後直後のような。

 

 電車はごとんごとん揺れている。ごとんごとん。ごとんごとん。がたがたがたがた! あれ? 電車にしては揺れが強過ぎないか?

 


 

 目が覚めた。大阪市城東区森之宮の、住宅公団の自分の部屋。15階建ての11階の北端から二番目の部屋。畳に薄い布団を敷いて寝ていた。最初に目に入ったものが何であるのかを理解するのに15秒ほど要したと思う。それは、本棚が床と梁との間で凄まじい勢いで上下にバウンドしている風景だった。あんなものはあの時にしか見たことはない。後で思ったことだが、この公団住宅を巨人が両腕で掴んで、もの凄い勢いで上下に揺すぶっているという感じだった。

 

 これは経験したことがない地震だ、と気がついたのがその15秒後だが、全く動くことができなかった。揺れがおさまってからふと横を見ると、車輪のついたテレビ台に乗せていたブラウン管テレビがこちらに少し寄ってきていて少しぞっとした。本棚については特に突っ張り棒などの耐震補強は施していなかったが、梁から数cmしかあいていない高さの本棚を買っていて、もし地震があっても梁に引っかかるのですぐに倒れてくることはないだろうと思っていた。実際に倒れてはこなかったが、もう少し長く揺れたら震動しながら前に移動してきて私の方に倒れてきたのかもしれなかった。

 

 テレビの電源を入れるとちゃんと映った。当時私は淀川を地下鉄御堂筋線で渡って通勤していたが、どうやら橋のどこかに破損の可能性があるとの情報があり、出勤は早々に諦めた。仕事場には電話は入れたが、自部署に出勤出来ていた人はいなかったような記憶がある。マシンインフラ周りの部署には、なんとか出勤している人もいるようだった。

 

 やがて高速道路が横倒しになっている映像がテレビ報道で映され、「長田」「深江」といった地名が出てきたので私はてっきりすぐそばを通っている阪神高速東大阪線が横倒しになったのだと勘違いした。私が生涯で経験したことがないと思った揺れはまだましな方で、淡路島が震源であり倒れたのは阪神高速神戸線であって神戸、特に西の方の被害はあんなものではなかったことが分かったのはあとのことだった。

 

 当日は公団住宅の前までは出たが、それ以上は出かけなかったと記憶している。コンビニエンスストアにも行かずに家にあるもので凌いだ。あとはひたすらラジオとテレビで流れてくる情報をみていた。奈良学園前の実家には連絡がつき、両親も妹も特に被害を受けていなかった。

 

 結局御堂筋線は動き出し、翌日には出勤した。当時のリーダーは「こんな時に仕事してもしゃあない。梅田に出て献血しようか」と言って、皆で献血しに行ったのを覚えている。

 


 

 これが 1995年1月17日、連休明けの火曜日の、私の記憶である。毎年震災の日が来ると思い出すが、ちゃんと書いたことがないことに気がついて文字にした。