無惨な大阪

 Yahoo!ニュースで「<世界陸上>手配ミスで部屋ない エリトリア選手、床で一夜」というのを読んで、世界陸上大阪大会について、いい雰囲気の話が聞こえてこないので嫌な感じがしたが、追ってGIGAZINEに記事が出ているのを見て、最悪の結果になっているのだな、という風に認識した。世界陸上のボランティア・サイトの掲示板をダイジェストしている。

→「「世界陸上」の真の舞台裏、運営がむちゃくちゃで現場は大混乱

(情報元である世界陸上ボランティアサイトは掲示板が荒れたようで、閉鎖されてしまった。2007.09.01加筆)

 直感的に思い出したのは長野冬季五輪の時に読んだ新聞記事だった。どこの記事だったかなど全く失念しているが、オリンピック終了後に各国メディアの現場記者さんの声を集めた記事で、地元ボランティアの方の仕事ぶりを「もうひとりのM.V.P.だ」と高く評価していた一方、「それだけに、大会運営に配慮が無かったのが残念」……というような文脈だったと記憶している。

 長野五輪が1998年開催だったそうなので、もう十年近く経つのだが、その時の成功と失敗の分析とか、結果の共有と言うのがされているとはほぼ思えない。こういうイベントの運営がどのようにされるのか理解していないが、大会ごとに現地で組織委員会が立ち上がるようで、平成19年度の事業計画書をのぞくと「大阪市と電通の間で取り交わされたイベント組織契約にもとづき」とかなっているからそういう立ち上げられかたをしているのだろうと思われる。

 組織運営委員会は開催が決まってから活動を開始するわけで、その間にそういった過去事例の分析と今回への反映といった作業がなされているとおもうのだが、よほどやりかたがまずかったのか、そもそもきちんとやっていなかったか、という状態ではある。いずれにせよ、大阪がオリンピックの招致に失敗していて良かったようだし、そもそもそんな計画を立てる資格が財政的にも、技術的にもなかったというようにおもえる。

猫間川をさがせ』を書いていたとき、とあるうどんやさんの大将と話していて、「大阪なんて、海外にはそんなに知られていない」という話が出たことがあった。「京都や神戸の方がよほど知られているのだけど、大阪のひとはこちらの方が大きなまちだ、ぐらいに思っている。そんな胡坐をかいたようなことじゃいけなくて、もっとアピールしなくちゃいけない」という話を大将がしたのだが(→「(拾遺)玉造の商店街にて、その二」)、それをおもうとこの度なんど勿体無いことを大阪はしたのか、という思いが強い。折角「OSAKA」をアピールできる機会を、多くのひとに嫌な印象を持って帰ってもらうことにしかならなかったようだ。

 もし過去から学ぶことが出来ない、ということが大阪の土地柄でなく、日本の公務員にひろく存在する特性であるならば、東京もオリンピックなど招致すべきではないし、無駄なお金を遣う前にあきらめてほしいという思いを強くする。