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椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

大阪市立大学合気道部 初代西岡先輩のこと

合気道

 大阪市立大学合気道部の部誌が今年も現役生の手で刷られて送られてきた。『天地』というタイトルで毎年発行されている。

(はっ。まだOB会費払ってない。来週中に振り込もう。私は合気道部サイトのドメイン利用料でなんぼか先払いしているのだが)

 今回何年かぶりに原稿を2本書いた。1本は大阪市大の体育会OB会連合(OCUSA)について紹介する記事。もう一本は阿部醒石先生の追悼の文章。

 ただの追悼文ではなく、わが合気道部の草創期のことについてOB会長の先輩にお話しを伺って書いている。自分が大学1回生の時の、創部20周年記念の『天地』も改めて引っ張り出してきて読んだ上で書いた。そういう体裁にしたのは理由がある。

 大阪市立大学合気道部の初代は西岡先輩と仰る。北野高校合気道部の出身で、大阪市立大学経済学部に入学、市大合気道部の礎となる同好会を拓かれた。

 北野高校で阿部醒石先生の教えを受け、植芝盛平翁先生が来阪された折の稽古では受けも勤められたと聞いている。

 阿部先生が元気な頃、私は何度か西岡先輩についてのお話しも伺ったことがあり、先生も逸材として西岡さんを高く評価されていることを感じていた。

 その西岡先輩は大学在学中、癌により病死された。1969年6月、植芝盛平翁先生が亡くなられた翌々月のことで突然のことだった。

 そのためほとんど情報が残っておらず、実はOB会名簿にもお名前が載っていなかった。

 私も学生だったころ掲載することを考えたのだが、「西岡」という姓しか情報がなく結局そのままにしていた。阿部先生が亡くなった今、情報を集めておかないと本当に分からなくなってしまう、と思ったのが、草創期について調べた理由。現役幹部も名簿の整理に積極的に関わってくれたので、私の書いた文章に加え、名簿にも合気道部初代として西岡先輩を載せることが出来た。

 これまで「おそらくこうだろう」ぐらいにしか認識していなかったことも再確認することが出来た。

  • 西岡先輩の下のお名前が分からないこと …… 北野高校や大阪市大、あるいは合気会の名簿資料などあたることが出来れば今後確認は可能と思われる
  • 合気道部二代目の先輩方が西岡先輩と同学年で、西岡さんの誘いで合気道を始められた
  • 西岡さんは大学入学時点で二段をお持ちだった
  • 合気道同好会がサークルとして認められたのは2年目で、それまで道場は使えなかった

 なお、西岡先輩のご自宅は塚本にあったそうで、私はかなり以前に住所を伺って現地まで行ったことがある。その場所は一度更地になって新たに家を建築中だったのを記憶している。その住所は恐らく合気道に関するノートのどこかに残してあるはずだが、押入れをひっくり返さないと出てこない。出てきたらここに追記することとしておく。

 その後合気道部は様々なひとが入部し、今年44代幹部を数えるに至っている。二代目以降の先輩方が(私も含めてなんだろうけど)いまの合気道部を作ってきたわけで今健在の各先輩方に敬意を表するのが第一だと思うのだけれど、私はどうも何事も謂因縁が気になる質でどうしても西岡さんについて世に遺しておきたい気持ちも強くやっとその一端を果たせた気がする。

 次は、お墓が確認できたらお参りに、と思っている。