脱原発は目標ではなく

 今年の2月22日、山口県の上関原発建設予定について建設に反対する意見を表明していた。

 今から思えば上関に限った話でなく、原子力発電所の全廃を高らかに掲げても良いのだと、わずか1ヶ月後に思い知ることになるとは思いもしていなかったが、2月に書いた「何故反対なのか」というポイントは、新たに共有されることとなった情報によって強化されることはあっても、基本変わることがない。繰り返しになるが、日々思っていることを書いておこうと思う。

行政組織にとってなにが大事なのか

 震災以降、特に被災地の行政組織において現場で業務をされていた公務員の方々には敬意を表さねばならないと思っている。

 ただ、日本において行政組織がいわゆる顧客としての住民やまちの利益を優先せずに施策を進めることが得てしてある。前にも書いたが、大田区池上において、旧トーヨーボールの建物にアスベストの検査に疑義が挟まれたのに結局大田区による追加検査の指示が為されず、解体がそのまま進められたこともその一例だと考えている。この行政の迷走が福島県においては最も悪夢に近い形で顕在化しているとおもっている。

 震災直後、私は福島県内においてはかなり広い範囲で子供のいる家庭の優先的な避難が行われるものと思っていた。それが、しぶしぶというような速度感で避難区域が定められた。区域外でも測定すれば高い放射線濃度測定値が出るような地域があるが、子供達が小学校や幼稚園、保育園に今も通っている。それだけでなく、他地域に避難した世帯には補助を支払わない方針の自治体があるとの話を聞いたのだが何かの間違いだろうか。

 これは内閣と福島県それぞれが、子供が将来病魔に襲われるかもしれないというリスクに対して真剣に向きあっていないことの証拠だ。恐らく判断している首長や他の行政責任者の多くは自分の子供達や親族にはリスク回避策を採っているだろうとおもう。それでいて何故原子力発電所の存続を前提とした行政区の利益を、自分が担当する住民を将来の甲状腺癌のリスク回避より優先できるのか。その判断の動機は何だろうか。

 金銭なのか。

 既得権益なのか。

 組織の中で仲間はずれになりたくないのか。

 どんな理由であるにせよ、現場とは乖離した決定が行政において推し進められるようなことが官僚組織では普通に起こるのだということは改めて認識しなければならないことなのだろうと思う。

 そして、官僚組織を現場に沿わせるには、行政のトップである首長と、行政と対峙する立法者としての議員を選挙で選ぶ、あるいは立候補する時にしか機会が無いことを知らねばならないのだと思う。

リスクを共有する

 電力会社や政治屋さん、マスメディアなど原子力関連企業から利権を得ていることが比較的容易に想像できるひとたち以外にも、原子力発電の継続を是とする意見の人もいる。逆に徹頭徹尾原子力については否とし全廃を訴え続ける人もいる。

 どの意見であるにせよ、今回顕在化したリスクがどれだけあったのか、ということは共有されているだろうとおもう。そのリスクをどう評価するかは別だ。他人の評価を貶めるとか、全否定するとかそういうことは不要。不確定な要素は措いておいていい。

 リスクの主語は特定の企業ではなく、日本という国家組織レベルとして捉える。電力会社による補償が国家予算に及べばこれに加わることとなる。

  1. 日本においての地震の多さ(→ 社会実情データ図録 図録▽世界各国の地震災害(地震回数・死者数) など)
  2. 核燃料や冷却水が漏れた時の大気への拡散(→ 特定非営利法人チェルノブイリへのかけはし 放射能汚染地図1 など)
  3. 核燃料や冷却水が漏れた時の海洋への拡散
  4. 核燃料や冷却水が漏れた時の地下水の汚染
  5. 放射能汚染による発癌(→ チェルノブイリ原発事故と発がんとの関係, ①|NEW BLANK DOCUMENT など)
  6. 放射能汚染による農畜産生産物の廃棄
  7. 放射能汚染による輸出物の受け取り拒否

 ただニュースなど読んでいるだけでもこれくらいはリストアップできる。繰り返すが「起きるかもしれない」というリスクではなく「既に起きてしまった」リスクだけでこれだけある。

分断する意図

 原子力発電所が持つリスクについては上記のように非常に高く、またコストもかかっていることは間違い無い。

 私は上記理由から原子力発電所をこれ以上建設する選択肢は無いと考えているし、既存の原子力発電所も縮小して他の発電システムに移行していくのが正しいと考えている。

 それでも電力会社は原子力発電所を作るのを諦めようとしていないように見える。震災後にも中国電力により上関原発の建設を継続しようとする動きがあるという話を聞いたし、玄海原子力発電所の再稼働を九州電力も目指しているようなニュースを読んだ。それだけでなく地方自治体の首長も稼働を要請したという。

 産経新聞は原子力発電推進の論調を継続している。

 原子力発電に関する利権に関わってはいないが理由あって原子力発電の継続を論じる人もおられるかと思う。

 私はそれらの説とは相容れないと思っているが、論じる人たちと断絶したくはないと考えている。議論することと全否定することとは違う。

 議論でなく口論に発展したようなやりとりがあると、その背後にどのような意図があるのだろうと勘繰る。

 今日本という国が危機にあるなか、分断して何を為すことができるだろうか。
 
 分断して統治する意図がどこかにあるのだとすれば(あるだろうと考えているが)それはどのような結果を迎えるのであれ日本から利益を掠め取る意図でしかない。そのような意図に比べれば、目の前の人と反原発について意見が合わないなど些末なことだ。 

注記

※ 選挙制度に問題があって投票率に関する規定がなく、それが選挙結果に瑕疵を与えていることについてはここでは言及しないでいるが、その改善自体国会議員の選挙によってでないと為せないのではないかと思っている。
  またテロリズムや暴力手段による革命についてもここでは意識して書かないでいる。革命は日本に必要だと考えているが、それは徹底的に非暴力によって成し遂げられるものだと確信している。