経営学の本領

 先日製造物責任の観点から原発事故や災害廃棄物処理について書いたのだが、これとは別に、あえて深く考えて来なかったのが東京電力株式会社であったり、原子力保安院だったりの企業組織内の品質マネジメントだとかリスク対策だとかそういう観点。組織内の事に口を出しても、という考えが無意識にあったのかもしれない。

 だが、公害であったり粉飾決算であったり、組織の不正が社外にも被害を及ぼすような事例が後を絶たず、そのうえで今回原発事故のような影響が今までになく大きい事故を自国の企業が起こしてしまったあと、立法・司法にだけその抑止と懲罰を任せておくわけにはいかないように思われる。

 例えば、東京電力の経営者の方々も他の企業の経営者たちと同様にドラッカーが好きだったりするのではないだろうか。

 同じような事を考える人が居られるだろうな、と思ったらいくつか見つけられた。


 他にも、ドラッカーの入門書的な書物のよく知られたタイトルをもじった文章がいくつも見られた。

 だが、これは東京電力の経営者を風刺して終わらすようなことではなく、経営学の観点からこの大きな人災を今後防止するにはどうすれば良いのか、ということを本腰を入れて議論する機会に我々は直面しているのではないだろうか。そういう試みは既に色々な場で始まっていて私が知らないだけなのかもしれないがどうだろうか。

 実務的にはその役割をするのは ISO9000 なのかもしれない。だがその役割は得てして表層に留まりがちではないかと推測する。東京電力については柏崎刈羽原発について ISO9001 の認証取得をしているとのことだが、これが柏崎刈羽原発の安全を裏付けるのかどうか。


 また、福島第一原発も含めた他の東京電力管轄原子力発電所について ISO9001 の認証を取得していないのならば、ここまで公共性もリスクも高い事業について認証無しの運用が看過されて良いとは言えない気がする。ISO9001 の要求事項や認証過程に穴があるのだろうし、虚偽の申告を以て認証取得しようとする悪意があるならば尚更機能しないだろうと思われる。

 現に福島第一原発において津波の被害の想定は甘く、更に事故が起きたときには正しい対応が取れず水素爆発やメルトダウンを人災として引き起こした。

ドラッカー氏ならなにを語るだろうか

 経営学の方に話を戻すのだが、ISO9000, 9001 のような品質マネジメントのシステムが機能しない結果このような甚大な公害を引き起こしたことをピーター・ドラッカー氏が見たら、どのように語っただろうか。

 2010年11月6日号の週刊ダイヤモンド「みんなのドラッカー」のなかで彼の最後の講義の要旨が紹介されている。その中で「組織が官僚的な体質になるまでどれくらい時間がかかるかご存知ですか。わずか20分です」という下りが出てくる。ドラッカー氏は官僚化というものがそれほど陥りやすいものだと熟知したうえで研究をしていただろうし、東京電力がマネジメント思想とほど遠い地点で経営を続けていたことを見て「日本はなんと高い授業料を払うことになった」と慨嘆しながらも考えるところを述べられるだろうとおもう。

 ドラッカー氏なき今、彼の学問を追うひとたち……研究職にあるひとであれ、在野の方であれ、同じようにマネジメントが出来ることは何なのか、考えるときなのではないだろうか。

 例えば手元にある少ないドラッカーの訳書に上記『チェンジ・リーダーの条件』がある。そこに「人事の原則」という章がある。そこでは「マネジメントは、人事に時間をとられる」から始めて第二次世界大戦時の米軍の将校を例にひきながら様々な原則を説いている。原則をつきつめると人事の責任はマネジメントする側にある、ということになるだろうか。

 章末はこんなふうに締めくくられている。

公正な人事のために全力を尽くさないトップマネジメントは、組織の業績を損なうリスクを冒すだけではない。組織そのものへの敬意を損なう危険を冒していることになる。


 東京電力のような公害の例では、当然ながら損なうのは敬意にとどまらない。

 公害ではないけれども、同じような指摘がAIJやオリンパスの粉飾についてあったのを読んだ。あくまでも最低限の会計知識が必要、という観点から書かれた文章なのだけれど、人事の否についても指摘されている。

 AIJ投資顧問の側には、運用実績を偽ったという大きな非があるのは明らかですが、敢えて、今回不幸にしてだまされた組織の責任者にお聞きしたいのは、「なぜ金融の素人を企業年金の責任者にしたのですか」ということです。


 おそらく、社会保険庁の天下りを受け入れたのはそれが役所の許認可とリンクしていたからでしょう。そういう事情はお察ししますし、その問題は重大な問題として政治の場で追及されるべきだと思います。


 しかし、それを承知の上で言わせてもらえば、どのような理由があれ、金融の素人に重要な企業年金の運用管理を任せることは間違っていると思います。同様なことが続けられる限り、同種の事件は続くだろうと思います。


「政治の場で追求されるべき」としているが、そもそもマネジメントには上記のような天下りの問題も含めて、政治や司法で制する前の段階の部分を担当する覚悟があっても良いのではないだろうか。