椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

九十九里紀行(前編)

 我が家の子供たちが生まれてから、もっとも長く過ごしているのが東京であるという事実に愕然とする。上の子は幼稚園に入るまで、山口県須佐の実家にしばしば里帰りしていたので祖父母の須佐弁(長州弁)を聞き取ることができるのだが、下の子に至ってはそれすら難しいらしい。逆に江戸弁が身に付いてきていて、先日は百円を「しゃくえん」と発音して親を狼狽させた。

 そんな西日本と東日本どちらに属するのか良く分からなくなってしまった我が家であるが、いつ東京を離れて大阪か博多か山口に戻るか、という気分がどこかにあり、東京から行ける場所に旅行しておきたい気持ちがある。このたびは千葉を旅してきた。

 千葉は外房沿いの海沿いを主に逍遥してきた。本当は利根川を遡って佐原に行きたいという思いがあったのだが、時間が足りないことなどがあって行かなかった。あの町並みを一度歩いてみたいものなのだが、これは次の機会に。

フェリー

 東京から、特に大田区から房総半島を車で目指そうとすれば、首都高速湾岸線から東関東道に入るか、アクアラインで海の下を潜って木更津へ抜けるか、となる。選択肢がふたつになっているだけでも便利なことだが、連休には混むのが分かっている。

 そこへ家内がガイドブックを見ていて第三のルートを見つけた。

三浦半島から房総半島にフェリーが出とって、そんなに高くもないよ」。

 自動車が4m未満なら片道3,040円(運転者1名の乗船費を含む)、大人片道700円、小学生350円。

 値段以外に、子供たちは船というものに乗ったことがない。一度フェリーに乗るという経験をしてみるのもいいのではないかとおもった。話してみると「のってみたい!」と興味を示す。

 かくして旅行の朝は4時には自動車に乗り込み反対方向である三浦半島に向かった。一番早い便が久里浜港から6時20分に出るのだが、余裕をもって5時半にはついた。いい天気だが外が肌寒い。

 見ているとあとからあとから自動車はやってくる。連休に帰郷する、あるいは旅行をするらしい家族、それにゴルフに行くとみえる人たちが多い。

 自動車をフェリーに乗せて船が動き出す頃には、子供たちはデッキに出て海を眺めた。船が動き出すとき、大人になっても何故あんなに気分が高揚するのだろう。その後も子供たちはほとんど船室に戻らず、海を眺めている時間の方が長かった。わずか30分ほどの船旅である。

 金谷港に上陸し、南に館山を目指したのだが、まだ7時台。およそ店も何も開いている時間ではない。館山も良さげな寿司屋さんなど多そうなだが、空しく通り過ぎひたすら房総半島の海岸線に沿って車を走らせ出した。

知らぬ市名

 州崎から野崎灯台に至る道路をフラワーロード、と呼ぶらしい。走っていて明らかに花が綺麗な場所があるかというとそうではない。ただ、そこここに花卉栽培がされていて、花摘みがいくらでできる、という場所も見えたりする。ただ、あまりに道路もすいていて順調に走っていけるもので、店もなにも始まる時間にならないまま順調に過ぎていった。

 鴨川辺りでやっと10時になった。少しいった安房小湊で早めの昼食を海鮮丼など出す店で食べた。

 この辺りまで、館山や鴨川といった地名はなんとなく聞いたことがある。この先の勝浦という場所も和歌山と同じ地名の市があって、同じような名前とイメージの場所があるのだな、というぐらいに関西育ちの私は認識している。そのあとに初めて聞くような地名が出てくるようになった。海沿いの田舎町、という、我が家の故郷である山口県日本海側とそんなに大差ない風景が都内から近い場所で見られることとあわせて不思議な感覚を持った。

 知らない地名というのが、市でいうといすみ市(夷隅)、山武市匝瑳市、旭市。広大な房総半島も江戸城に近い場所にあったから、藩は非常に小さい石高で分けられたという微かな認識と、平成の市町村合併で知らぬ間に地名が出来てしまっているという推測しかできずにいた。実は宿を決めずに出てきてしまったため、泊まる場所を探さなければならない、という方に気が行っていたというのもある。目新しく感じる地名を走り抜けていく感じだった。

 時々スーパーマーケットなどに寄ると家内が「花が安い」という。「買っていきたいけど今買っても帰るまで持たないから、帰り際に買えるかしら」というので、やはりフラワーロードなのだなぁ、と思った。都内の半額ぐらいで買える感じだった。

 宿は銚子駅前のホテルに泊まることが出来た。和室でなかったので不便もあったが、貧乏旅行もまた楽しい。夜、ちょっと駅前のコンビニエンス・ストアまで買い物に出たのだが、連休を機に久しぶりに銚子に戻ってきた、という若い人たちが歩いていて、地元を懐かしむ感じをお裾分けしてもらった。

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