佐野に行く

 2月12日、司馬遼太郎さんの十三回忌に日比谷公会堂で行われたという菜の花忌のイベントに、はがきを出して参加しようかと思っていたが日々の雑事にかまけて気がつけば期限が過ぎていた。

 栃木県佐野に日帰りで旅行するので、はて『街道をゆく』で司馬さんは栃木に行かれていなかっただろうか、と思って探したら下記に行き当たった。






日比谷公会堂開演冒頭、福田みどり夫人のお話が、楽しくそして興味深かった。

全43巻におよぶ「街道をゆく」シリーズの中で、司馬先生が最後に書きたいと言って叶わなかったのが、”ハンガリー”と”栃木県佐野”だったそうだ。
第12回 菜の花忌「街道をゆく この国の原景」 - M O L E S K I N E より

 こういうお話に行き会えるのだったらやはりはがきを出すのだったな、とは思ったが、それでも結局行き着くのは縁があるということなのかもしれない。

 私も司馬さんに書き送る気分で、佐野に行ったことを書くことにした。

下野の道路

 佐野に行く理由はとても微笑ましいもので、ご近所4家族連れ立って、いちご狩りに行くというものである。

 昨年行ったご家族があって、楽しかったという話を聞いたのでよりおおがかりな企画がお母さんたちの手により立てられた。それぞれの自動車で高速道路を走り、東北道の佐野藤岡インターチェンジを降りる。

 実際には苺狩りが出来る農園があるのは佐野ではなく、西にしばらく走って小山市に入ったところになる。佐野バイパスを途中でいったん北に曲がった。道路はアスファルトが真新しく見え、整備されてまだ日が経っていないと思われる。

道路沿いに立派な農家があって、敷地内に背の高い蔵と、幾棟もの母屋が立っている。前の畑も、後ろの山も、この家の土地だろうな、地主さんでもあるんやろうな、と下世話なはなしを家内にすると「この道路、後ろの山削ってるから、道路が出来るときに土地を売っているんじゃない?」と返して来た。

 すぐにまた東に曲がって引き続き小山に向けて走ったのだが、おしなべて道路は整備が行き届いているようにみえた。

 栃木、というより下野という古名の方が私には実感が沸くのだが、楕円形の領域の左上半分が山地、右下半分が平野、という風におおまかにとららえている。佐野付近は主に平野だが、一部山が迫ってきている土地だ。自動車からは畑が広がる向こうに山並みが見える光景が続く。道路沿いには住居や店舗が並ぶが、住居はともかく店舗については自動車のたてる埃をかぶって寂れている感を受けた。

 一方で真新しい舗装道路を見ると、今国会において議論の対象とされている道路特定財源について思いを馳せざるを得ない。その道路のお陰で日帰りで栃木まで来ることが出来る恩恵を受けているのだけれど、恩恵を受けているのが栃木に縁の無い旅行者であったり、一部の業者であることを思う。

 そして道路沿いにはひたすらに電柱が並んでいる。その様子は残念ながら、美しいとはいえない。せめて道路を新しくするときには、共同溝化して景色をよくすればよろしいとおもう。北関東のひろびろとした風景がいっそう良くなるのだが。


苺狩

 行き先であるいちご狩りができる農園は「いちごの里」という。正式な名称は「農業生産法人(有)いちごの里湯本農場」。午前10時に予約がしてあって、呼ばれるまでエントランス兼店舗の前で待った。子供たちは建物の前に置いてあるトラクターに我先にとよじ登って遊んでいた。

 順番が来るといちごを摘むときの要領と、ビニールハウスの中に設置されている蜜蜂の巣箱を叩いたり、持ち物をぶつけたりしないようにとの注意を簡単に受けて、現地まで歩いていった。天気が、ひたすらにいい。朝は肌寒いように感じたが、空高く雲雀が鳴いていていい天気。

 ハウスに入って早速いちごを摘んで食べたが、最初のひとつがどうしようもないくらいに甘かった。次男が摘んだいちごのヘタを取ってやったりしながら甘そうな実を捜し続け、恐らくは私だけで八百屋の店頭にならんでいる2パック以上は食べてしまった。何しろいちごだと皮をむく手間がないので、無心に食べ続けられる。

 当然ながらビニールハウスのなかは暑いくらいで、腹のくちた子供たちは表に出てまだ作付けの前の畑や前を流れる用水路で遊び始めてしまった。

 制限時間が設定されているはずだが、別段うるさく言われることはない。満ち足りた客はエントランスへ戻っていき、今度は店舗で販売している苺のシュークリームやケーキを別腹とばかりに買って食べるのである。

 そうしている間にもバスで団体客がやってきたりして、人がどんどん多くなっていった。子供たちは飽かずにトラクターによじ登るので、しばらく遊ばせておいた。

 道すがらみた店舗の寂れようとは無縁の盛況である。調べてみると、ドライブインの経営者が思いついたがJAなどが乗って来ず自ら法人設立して始めたものらしい。JAが乗ってこなかった事業が結果として盛況だというのはありそうな話で、そんな話だからこそ成功していると言えるのかもしれない。

 ただ、漫然と成長した訳ではない。

 リピータが多く、そのリピータがまたお客を増やしているということらしいのだが今回の我々がまさに当てはまる。家内は帰る前から「恒例行事にしたい」と言い出していた。


 参考→「関東農政局」旧サイト内「経営拡大や農業者間連携・異業種連携の課題と展開方向」(PDF)



アウトレット

 佐野といえばラーメンとアウトレット・モール、というのがいま他の土地のものから見たイメージであるらしい。

「いちごの里」をあとにして、次の目的地である「佐野プレミアム・アウトレット」に向かった。佐野藤岡インターチェンジのすぐそばにある。「いちごの里」から佐野に向かって自動車で戻っていった。

 インターのそばには「佐野プレミアム・アウトレット」だけでなく、巨大なイオンのショッピングモールも道を隔てたすぐそばに出来ている。だが佐野バイパスを走る自動車はアウトレット・モール目指している数の方が圧倒的に多かった。駐車場に入るまでいっとき停滞したが、お昼過ぎに目的地に着くことができた。

「アウトレット・モール」と聞いて最初そばにあるイオンのように巨大な3階か4階建ての建物を想像したが、行ってみると塀に囲まれた広大な敷地のなかに店舗が立ち並んでいて、ひとつの街のような様相をしていることが分かった。市の郊外になる場所で、塀の外は耕作地が広がっている。不思議な光景に見えた。

 家族それぞれ買い物をして歩くことになったのだが、子供たちはすぐにモールの中央付近に遊具が設置された遊び場があるのを見つけてしまった。子供たちが遊具に吸い寄せられていって、親が交代で店を見て歩くようになった。家内がたこ焼きを何舟か買ってきて、それを遊び場の周りに設置されたテーブルで食べた。

 私も最後のほうでHushpuppiesで自分の靴を家内に見てもらった。家内は自分にはちょっとした家事に使うものを買い、長男にskechersのクロックスサンダルを買う。

 その間子供たちはそんなには種類が多くない遊具を変えながらひたすら遊び続けた。普段から遊んでいる顔が集まっているので当然だが、よく飽きずに遊び続けられるものだと感心する。面白いもので小学生の子はうちの子等も含めて幼稚園児の面倒を見てくれる。
うちの子等ももっと小さい友達の妹の世話を焼こうとしたりする。

 家内が上記クロックスサンダルを合わせに長男を連れて行こうとしたときのことだが、友達と遊びたい長男はふくれてしまったことがあった。すると後ろにいた長男の友達のお姉ちゃん、家内に目配せをしてから長男に何か耳打ちをした。途端に長男の機嫌がなおり、おとなしくskechersのお店についていったのを見て、魔法を使ったように見えた。子供には子供の社会があるのだ。

 自分が小学生で博多にいたことがあるのだが、父親の勤め先の社宅に住んでいて、学校から帰って社宅の庭で遊んでいた。そしてよその小さい子供の面倒をみていたことを思い出した。


佐野ラーメン

 アウトレット・モール内のエディー・バウアーで買い物をしていたお母さんが、店員さんに佐野ラーメンマップをもらってきた。店員さんに「どこがおいしいですか?」と聞いて来られたらしい。さすが主婦の行動力は違う。

 店員さんはモールに近い場所にある2つの店舗に○をつけてくれた。

 16時過ぎにやっとアウトレット・モールを出て、ラーメン屋さん目指して自動車を走らせた。

 ○がついた店舗のうち1店は「万里」というみせで、狭い店ながら人気があるらしく既に行列が出来ていたので行くのを断念し、もう1店に行くことにした。「麺屋ゐをり」という店。いい具合に開店直後だったらしく、店の前の駐車スペースも空いていた。ラーメン店というよりは、今風につくった小さな居酒屋、という外観。

 座敷スペースを全部使わせてもらって各家族ラーメンと餃子を頼んだ。ビールは我慢。

 子供が動き回ってしようがなく、確実にあとから着たお客さんの邪魔になっていたとおもうのだが、お店のかたは嫌な顔をせず対応して下さった。

 味噌ラーメンもあったが、うちは醤油ラーメンと餃子を頼んだ。家内は昨秋の旅行時に食べた喜多方ラーメンに近いイメージを持ったと言っていた。どちらも家内にはしょっぱく感じるようだ。私の印象では喜多方ラーメンほどはしょっぱくはなかった。

 餃子は皮がもちもちして、なかなかおいしかった。

 ラーメンでもって佐野への日帰り旅行は終わり、東京へ帰っていった。佐野市街の、例幣使街道沿いがどんな様子かなども行って見てみたいところだったが、今回はお預け。

 首都高速が混むのではないかと前回の会津旅行の時の印象から心配したのだが、会津旅行からの帰りの時は平日だったので夕刻混んでいたのだと分かった。日曜日はそれほどでもなく、箱崎あたりで渋滞があったが無事戸越インターチェンジまで行き着くことができた。