ジャーマン通り

 仕事場に通うのに大森駅から電車に乗っているが、いまは自転車で環七通りまで出て、馬込銀座の三叉路からジャーマン通りを行くルートを通っている。南馬込に来た当初は闇坂の通りを使っていたが、道が細い割りに自動車がよく通ってあぶないので今は歩いて駅に出る時だけ使っている。西口の駐輪場を使うようになってからは専らジャーマン通りを使うようになった。

 まだ部屋探しをしている時、今住んでいる物件の仲介を担当した「クレアクレイス」の担当営業さんになぜ「ジャーマン通り」かと聞くと昔ドイツ人学校があったので、と教えて下さった。ただ、今はもう跡形もないです、ということで、すごい昔の話なのだろうかと思い込んでいた。

 調べてみると、「ジャーマン通り商店会」のサイトに商店会の名前の由来が載っているのを見つけた*1。横浜に移転したのが1991年というから私がサラリーマンになった年で、以外と最近まで学校はあったのだと知った。

 ただ、調べてみてもドイツ人学校がどこに所在したかなかなか分からず、中途半端に最近まであったためか山王や馬込のあちこちに設置してある馬込文士村の案内板にも載っていない。

 ところが最近マンションの売り込みチラシを読んでいたら、いま建設中のマンションの用地がドイツ人学校あとだ、と書いてあった。私が自転車で駅まで出る時、環七通りの向こうに工事現場が見えているマンションで、山王によくこんな広大な土地が残っていたなと感心していたのだが、あるいは本当なのかもしれない。裏づけの資料など残っていないのでなんともいえないのだが*2

*1:2018年4月に再確認したところリンク切れ。かわりに大田区商店会連合会のサイト「おーたふる大田区商店街ナビ」にジャーマン通り商店会のページがあり、ドイツ学園などから移転時に記念に商店街名にドイツの名をつけることの打診があり、国会議員在職時代の石原慎太郎氏に相談したところ「英語の方が馴染みやすいのではないか」と言われたので「ジャーマン通り」とした、と書かれている。

*2:約1年半経った2007年10月に完成したマンションの前に小さな碑が建てられているのに気がついた。こちらを参照。 mukunokiyasuo.hatenablog.com