東馬込の屋敷森が伐られるのを見る

 先日書いた、国道一号線と環七通りの交差点近くにある屋敷森だが、昨日家族で自動車で出かける際、ちらりと白い切り株が目に入り、やはり伐られたかと気になっていた。今日帰る前に寄り道し、自転車でえっちらおっちら見に行った。

 昨日より更に伐り進められていた。屋敷のある区画をひと廻りすると、工事現場によく出ている今週の予定がホワイトボードで掲げられており、今週はずっと伐採作業に当てられていた。伐採反対について報道された日は一日工事延期とか聞いたような気がするが、間をおかず伐採が始められていたところをみるとおそらく全ての木は、検討なしに殺されるということなのだろう。

 そうなって考えると、テレビカメラが馬込にやってきたのも野村不動産のシナリオあってのことであったりするかもしれない、と思えてくる。もういいだろ、と言いたげな振る舞いにみえる。テレビ報道で、どちらかというとマイナスのイメージを持たれたらしい地元の方々はいい面の皮ということになる。恐らくテレビカメラが再びこの話題で馬込を訪れることは、ないのではないか。

 伐採反対の旗や看板が屋敷に隣接したお宅に掲げられていた。屋敷に面したごく限られた場所だけで、このままだと風雨にさらされて汚れていくということになるのだろう。私はこの件に関してのんきに見ていたところがあるのだが、なんとも無残なことになってしまった。

 それらの立て看板などを見ておもったのだが、かなり急ごしらえらしく、「(仮称)馬込のマンション建設反対の会」というような署名だけになっている。連絡先もなければ、責任者の記載もない。私が思ったより、反対の動きは組織化されていなかった(あるいは組織化の隙を与えられなかった)ということなのかもしれない。

 いずれにせよ、土地所有権があるから何をしても許される、というようなことは非常に野蛮なことで、日本が明治以降範としてきた欧米でこのような酷い開発の進め方が一般的とは思われない。いま、日本が他の国の範になりうるくらい経済的に発展しているとしたら(そうなってしまっているとおもうのだが)、何ともよくない前例を示し続けていて、今回の伐採はその例がひとつ積み重ねられたということになり、そういう意味でも残念におもう。

 あざらしサラダさんのエントリにコメントを書いた際に「ナショナル・トラスト」という言葉を使ったところ、意味を問われるようなコメントを返して頂き、なるほど確かにそれほどわかって書いておらんわと気がついた。調べてみると、いくつかWEBサイトがある。

 2番目のサイトを見て回ったところ、「ナショナル・トラスト」とは

  1. 市民から寄付金を集めるなどして、土地を買い取る
  2. 所有者から土地の寄贈を受けるなど契約を結ぶ

 といった方法で自然・文化財・景観を守る行為をいうらしい。前者の買い取り主体に地方自治体がなる場合もある。つまり今回は、地元のかたは大田区をしてそのような役割をさせることができなかったし、お金を集めることもできなかった、なくなられたという屋敷の主人をして森を残すような遺言を書かしめることもできなかった、ということになるだろうか。

 この文章は地元の方々を責めているわけではなく、こういう野蛮な土地文化の国では普通の市民が賢明にならなければ、際限なくまちは壊されていく、ということをおもっていて、「ああ駄目だった」で終わりではなく、何か次の手を考えられないだろうか、という意図で書いている。少なくとも、野村不動産やテレビ局各位が今後なにかをしてくれると期待はできない訳で、野村不動産を口汚く罵るだけではなく、なにか建設的なことをしなければならないのではないか。