必修科目

中学で「武道」を必修化=「伝統」育成、男子のダンスも−中教審」という記事が、目を惹いた。ダンスというと、リトミックをイメージしているのだろうか。まさか舞踏のことではないだろうな。

 ここで言う「武道」に合気道が含まれるのか記事に記載はないが、含まれていてもいなくても、どちらでもいいような気がする。合気道が科目として指定されるのであるならば、黒帯を保持しているものに対して仕事口が出来る、という位のものだろうか。

 植芝盛平翁先生は「わざわざ集めてまで教えるものではない」と言われていたと、読んだ記憶がある。ご教授頂きたいと挨拶して来るものに対して教えればよいので、汗をかいて道場生を集めるような性質のものではない、という意味だ。結果的には合気道は合気会という組織が造られ、また独立された先生方によって組織が作られ、どこへ行っても合気道の道場が見つけられるくらいになった。翁先生は、ある時期からは組織運営については任されて口出しされなかったであろうから、今の姿がどれくらい真意に適っているかは我々が胸に手をあてて常に考えるべく託されたことではある。

低気温のエクスタシーbyはなゆー」でもこのニュースについて取り上げられていて(→「中学校の保健体育で柔剣道などの「武道」が必修科目になる」)、






公立の学校であっても、柔道場には神棚がまつられているところも多く、キリスト教徒の子弟への配慮はどうするつもりなのであろうか。

 という指摘があるが、「必修科目」だ、とした途端にこの問題は出てくる。

 我々の道場に於いてであれば、阿部醒石先生が言われていた次の言葉でこの問題は律せられる。

「あなた方が普段崇拝する神様があるかもしれないが、その神様を神棚の横に並べて、礼をしなさい。それで納得できないようなら、稽古には参加せずともよろしい」(→「合気道の礼について」(椋箚記))

 ところが「必修」だ、とか見栄を切った瞬間に「私は宗教上の理由で履修できないが、どうしたらいいのか」などという意見が出てくることになる。合気道の場合、神棚を外した道場で稽古をする、ということは前提として成り立たない。二礼四拍一礼で神前に礼を尽くす、ということが精神的に意味を持っている。

 だから他の武道については論じるだけの知識を持たないが、合気道については「必修」から外して頂いても良いのではないかという感想を持った。