駆け足近江の旅 - 彦根徘徊の記

 日本一広い湖での水泳と湖岸ドライブを終えて彦根に戻った。

 途中長浜市街を通ったが、可能ならば行ってみたいと考えていた黒壁スクエアには寄らず素通りしてしまった。ホテルで荷物を下ろしたのちレンタカーを返却に行き、そのまま夕食をとった。近江に来たならば近江牛だろうということで、彦根駅の反対側にある「さつま」という焼肉店にタクシーで移動した。歩けなくはない距離だが子ども達が疲れているだろうと思って贅沢をした。

 焼肉を頂いての帰りは距離感が分かったので家族で歩いてホテルまで戻った。

 彦根駅は湖岸側は──つまり西側は──「まち」という感じだが、我々が夕食をとった東側は駅前にどかんとケーズデンキの店舗があり、ホテルが一棟あり、あとは国道8号線まで空地が漠然と続いているように、夜の闇のなか見えた。恐らくは駅前再開発が行われてこのようになっているのだろうが、恐らく10年以上前に私が通り過ぎたであろう時どうだったのか、思い出せるはずもない。

スタンプラリー

 翌朝、ホテルをチェックインして彦根駅のコインロッカーに大きい荷物を預けた。折角来たので彦根城を見て行かない手はない。

 コンロッカーのそばにある観光案内所に前日立ち寄った時「スタンプラリーをやってますので」と用紙をもらっていた。

 なんのスタンプラリーかというと、ご当地ゆるキャラのスタンプを集めるというもの。

 タクシーをつかまえて、運転手さんにスタンプ帳を見せた。

「ああ、前のと違いますねぇ。ええ、前にもやったんですよ」

 運転手さんは慣れたもので、地図をみてルートを考えて下さった。

「龍潭寺が少し離れていますから、先に行きましょうか。そのあとに彦根城に戻って行きましょう」

 と北に車を出す。東海道線の踏切を渡る時に「佐和山城」と大書した看板が山肌に立てられているのを見て、自分が石田三成の居城佐和山城が彦根にあるということを知らずに居たことに気がついた。スタンプラリーに教えてもらわなければ彦根を去るまで知らないまま過ぎたのではないかと内心情けない思いになった。

 スタンプを押しに行く先は佐和山の麓にある龍潭寺である。井伊家の菩提寺だという。蝉の声が降るなか門前の景色が凜として美しかった。

門前が良い景色

 スタンプを押して次の場所へ向かったのだが、朝早すぎて店舗は開いていない。

「歩いていける距離ですから」とスタンプの置いてある場所を説明しながら彦根城まで移動してしまい、そこで下ろして頂いた。家内は予定よりタクシー代がかかったことに多少不満気だったが、観光地の運転手らしく親切な案内で、当たりだったのではないかと思いつつ彦根城に上り始めた。

治部少殿贔屓

 前日も湖岸道路から彦根城を眺めたのだが、思った以上に天守閣の建つ金亀山や高く、真夏に登るのに少々きつい思いをした。それにしても天守閣を訪れるというのは何年ぶりのことだろう。自分の足で山道を登っている長男がまだバギーに乗っていた時に家内の両親と義姉一家が大阪に遊びに来た時に大阪城に皆を連れて行ったがそれ以来ではなかったか。

おりてきた

なう。

 城から下りてきて、彦根城博物館を観たのちにスタンプを追ってまちを歩いていった。城を出入りする際に堀を渡る橋を京橋といい、そこからまっすぐの通り沿いにスタンプがニ箇所、設置されている。この通り沿いは観光客を意識した店が並んでいて、気になる店を覗きつつ歩いていった。

 店先を見てまず気がついたのはひこにゃんの浸透度の高さで、まぁ想定通りだったが、それよりも印象に残ったのが石田三成公の人気の高さだった。

 彦根というと江戸期を通じて井伊家が彦根藩主であり、ひこにゃんも二代藩主井伊直孝が世田谷豪徳寺で白い猫に招かれたという逸話から創られたキャラクターだというから井伊家に纏わって生まれたものだといえる。ひこにゃんの人形だのポスターだの旗だのは、土産物屋でもなんでもない地元の方向けの店でもたいがい見ることが出来た。

 そのひこにゃんに負けず目に付くのが「大一大万大吉」の石田三成の旗印で、見ていてなんとなく彦根では石田三成贔屓な気分があるのではないか、と思うに至った。もちろん「戦国無双」だの「戦国BASARA」なんぞのキャラクターとしての人気が云々ということもあるのかもしれないが、司馬遼太郎さんが行政の長としての手腕が明智光秀と比肩するほど卓越していたと評する治部少殿について、井伊家と比べてもより好意的に仰ぐ気分が今もあるのではないか。

 江戸期を通じて彦根藩を治めた井伊家にせよ、織田信長時代に佐和山城主であった丹羽長政にせよ、彦根の領主には実力者の名前が並ぶ。近江から美濃に通じる箇所にあり要衝といって良い場所にある彦根には近世以降つねに実力者が配されてきたということかとおもう。その中でも近江の生まれ育ちであり(現在の長浜市石田町に生まれたといわれる)かつ領民に取って優良であったという石田三成公の記憶が彦根にはまだ流れているのを「大一大万大吉」旗に垣間見た気になった。

 旅行が終わってから改めて石田三成公について1冊の本を読んだ。

真説・石田三成の生涯

真説・石田三成の生涯

 著者の白川亨氏が石田家の末裔でかつ在野の歴史研究者という立場から書かれたものだが、江戸期に徳川寄りの立場から流されたとおもわれる石田三成公を貶める意図のある文章への反論は徹底したものだった。

 三成公は人柄傲慢なところがあったらしい……というような、江戸期になって書かれた記述は言うに及ばず、秀吉に召し抱えられた時の話だという三献の茶の逸話にも疑義が提示されている。三成公と父との間に断絶があったように、あるいは三成公がその賢しさで召し抱えられたように、印象操作する目的で創られた話であろう、という。

『霊牌日鑑』とは三成公の嫡男宗亨禅師の記録が元となっている書物だが、ここには三成公十八歳の時に姫路城在城の秀吉に伺候して召し抱えられたように書かれていて、出家していたような話しは出てこない。紀州極楽寺に伝わる石田家に関する古文書も同様とのことであった。確かに出生がはっきりしていてかつ、父、兄とともに羽柴秀吉に仕えていたことを考えれば秀吉を主君として仕えるに相応しいと定めて行き、召し抱えられたというほうが自然な気がする。

 加藤清正福島正則黒田長政といった秀吉の家臣であったのに徳川家康公側に奔った武将らにも辛辣な人物評をかかれていて、その評の分かりやすさには危うさも感じるのだが、三成公が行政者としてだけでなく武将としても政治家としても卓越した人物であったという主張はもっとよく知られて良いのではないかと思った。

彦根のまちの商店街

 彦根城からの道をまっすぐ歩いて2つのスタンプを押し、「四番街スクエア」という辺りで昼食を求めた。子ども達が「ざるうどんが食べたい」と言ったので見回すと丁度定食もひやしうどんもメニューにある店をみつけて入った。

 私は近江牛を使った和風ハンバーグを頼んだのだが、うどんが食べたかったはずの子ども達がハンバーグを喜んで食べたのでうどんと交換するようなことになった。前の晩の焼肉といい、この旅においては近江牛においては逃すことなく堪能することとなった。
 
 そのあと東へ曲がって銀座商店街という、アーケードを備えた商店街に向かった。ここにも一箇所スタンプの設置場所がある。

 朝方彦根城に向かう時にこの商店が通っているのだが、タクシーの運転手さんは「これが有名なシャッター商店街で」と自嘲気味に話されていた。

 平和堂の1号店はここで開業したとのことで、以前はこの商店街が彦根の商業の中心だったらしい。いずこの商店街も空き店舗に悩むのと同様に、昼になってもシャッターを下ろしたままの店が散見されるので運転手さんの言わんとしたことが理解できた。

 アーケードが終わった先で道が細くなる。その先は花しょうぶ通り商店街という名前のようなのだが、こちらは全く違う雰囲気になっていた。私は歩いていて谷中銀座商店街を思い出した。古い家並みの通りにしつつ、統一したデザインで看板をしつらえてある。

 調剤薬局。

 味噌や。

 肉屋。ここのコロッケはそそられたが昼食後のため手が出なかったのが残念。

 蝋燭・線香や。「沈香 線香 ローキ」の看板は以前からのものだろうか。味がある。

 理髪店。商店街には2010年に行われた三成公生誕450年祭の幟が。

 先のタクシーの運転手さんはこの商店街を通る時は「この通りから路地にはいると飲み屋が無数にあるんです」と教えて下さった。ちょっと脇道を覗くと確かに看板が並んでいた。いつか彦根を再訪して夕暮れ時にこれらの路地を徘徊してみたいものではある。そういえば近江に来たら長浜浪漫ビールというのを飲んでみよう……と考えていたが、ついにどの店でも目にすることがなく虚しく近江を去ることになってしまった。近江牛を楽しめた反面、忘れ物をしてきた気になった。

殿様文化

 最後に。

 先に書いた銀座商店街を歩いていた時のことだが、スタンプの設置場所がすぐに探せず、ある店に入って家内が聞いてみようとしたことがあった。

 私が遅れて店に入ろうとするともう家内が出てきたのですぐ教えてもらったのかと思ったら違うという。

「私が声をかけたら、目があったのに店のひとぷいっと奥に入って行っちゃた。他にお客さんもいないのにさ」

 家内は呆れている。その頃になって「あ、なんでしょうか」と店内から声が聞こえてきたが、もういいや、と歩き初めてしまった。スタンプは自力で見つけられた。

 さて近江商人というのは彦根にはいないのかな、と思った次第。

 おそらくは近江商人というのは湖南にある文化で、彦根という藩主井伊家のお膝元で三百年を過ごしたまちには別の文化があるのかもしれない。タクシーの運転手さんやスタンプラリーを教えて下さった駅前の観光案内所の方たちがいかにも観光地としての彦根に相応しい親切な案内をされていただけに、商店街で会ったその店員さんの商売ののんびりさが際立って可笑しかった。