体術が大事、ということ。

 先月10月は一度も稽古に行かなかった。行事があって欠席にしていた週、情報処理技術者試験を受験した週、終日勤務が入った週など。勤務の予定がなくてもこの日は小平の一橋大学まで旧三商大戦(合同稽古)に行っていたかもしれないが、どちらにせよ道着は着損ねた。9月は順調に親子とも稽古に行っていたのだが。なお子供は家内が連れて行って稽古に行っている。

 9月20日の日曜日だったか、尾崎師範の稽古のなかで師範がふと「この歳になって体術が大事だと、改めて思います。体術が大事」と話されたことが印象に残った。その後時々思い出すだのが、師範がどのような背景でそう思い、皆の前でそう語りかけようと考えたか、他の門下ながらお世話になっている私としてはその背景までは分からない。

 私は斉藤守弘先生、斉藤仁弘先生に講習会ながら教わる機会を持ってその強い影響を受けていて、合気道は体術と武器、即ち杖と太刀と短刀取りは一体のものだと考えて稽古している。

 ただ武器技を正しく教えられるひとがどれだけいるかというと少ないのも事実で、本部道場できちんと教えられる師範もごく少なかろうと推測する。技の理屈を理解して、それを日々稽古する……言葉にしてしまえばそれだけのことだが、斉藤守弘先生の『Traditional Aikido』や『武産合気道』があるとはいえ、本を読んだだけで技を理解するのは難しいのは市大合気道部の後輩が稽古するのを今まで見ていてもよく分かる。実際本にする時にある程度簡略にしてあるのではないかとおもう。後輩には何度か(岩間道場、今は岩間神信合氣修練道場に出稽古に行っている、同じ阿部醒石先生門下の)武器技は大阪府立大合気道部に頭下げて教えてもらいに行け、と言ったことがある。

「体術が大事」という表現をされたからには他の武道武術を想起された訳ではなく、尾崎師範は武器技を想定してそのように言われたのかと思う。
私などはそうではなかろうと思っているのだが、ふと我が身を振り返ってみればそんなに稽古を積んでいる訳ではない。この先もそんなに時間をかける訳では無いように自ら感じている。とすれば何に集中すべきかというと体術になるのではないか、という問いかけだったのではないか。

 ということをつらつら考えて過ごした10月でもあった。