内川流路、余録


 午後臼田坂下の「カヤノ」の散髪に行き、「ジェイソン」で買い物をして帰った。霧雨が降ったり止んだりの天気だったのでよく連れて出る子供たちは家においておき、一人で歩いて行く。

 臼田坂下は「文士村」と呼ばれる大正〜昭和初期ごろはもうちょっと賑やかだったのかもしれないが、今は普通のバス通りといった感じ。置き去りにされた店が残っていたりする。

 店を畳まれただけで住まれている店はまだいいが、1軒パン屋だったらしく看板が残っている店がある。中は廃墟と化しているようだが、持ち主がそのままにされているらしく我が家が馬込に来てからずっと打ち捨てられている。

 その店跡の前を通った時、店の前に掲示されている街路地図に目がとまった。よくその近所の店なんかが書き入れられているやつだが、この地図には普通の民家も書き込まれている。右上に「佐伯」と佐伯栄養専門学校が書かれてある。地図右の中ほどには川端龍子記念館が。地図の一番下の線が臼田坂のバス通り、この地図が掲示されっ放しになっている通りだ。

 そしてこの地図に、以前書いた内川が書かれていることに気がついた。内川の暗渠化がいつだったかまだ調べきれずにいるのだが、この地図はいつ作られ、掲示されたものだろうか。