自費

 先日拙著『猫間川をさがせ』を電子書籍としてリリースして頂いたが、出版に当たっては有限会社眺やボイジャー社に費用を払っているわけではない。これが実際の書籍の自費出版となると当たり前ながら原価を著者が負担することになるので部数にもよるが百万円ぐらいからの費用がかかる。三年前に私の父親も祖父の遺稿をまとめたものを自費出版し、親戚や縁のあるひとに配った。祖父は若い頃に詩人を志し、詩集を一冊自費出版したので、その採録やその後の詩文を収録したのだ。

 当然祖父も自費で詩集を編み、主だった詩人などに送って反響を見たりしたのだろうと想像する。結局は祖父は教員として生きていった。

 それをおもうと形態がおおきく違うとはいえ、費用を出さずにパッケージ化までしているということに驚きを覚える。後ろめたい気もするが、全く違う基盤を作ろうとしているということなのだろうと理解している。

 自費出版の新風舎の先日の民事再生法申請では、はからずも自費出版のニーズが多くあることを世に知らしめた。新風社による著者への勧誘は功名かつ執拗だったという話について以前藤原新也さんが取り上げた時期あたりにいろいろ情報を得ていたが、それを脇においてもそれなりに需要があるのだろう。

 オンデマンド出版がより豊富な機能やサービスを備えることで、また販路としてアマゾンや楽天ブックスがあることで、上記百万円はもっと下がるのだろうとおもっている。それでいて全文検索に対応していれば、ロングテールの端の方であっても思わぬ読者を得ることがあるかもしれない。

 とすればオンデマンド出版こそが新しい受け皿になりうるのではないだろうか、と考えて既に結構時間が経っている。アマゾンのブックリーダー端末が日本に入ってくるまでまだ時間がかかりそうだが、「発信機能」つまり書いた原稿を書籍化して発売する機能が備えられているらしい。同じような需要を追って既に動いている企業があるのだが、差別化が出来れば「マチともの語り」としても実績をつくって認められる余地があるのではないかとおもう。それを実現したくてこの数ヶ月いろいろな手を考えている。

『猫間川をさがせ』の別言語への翻訳の呼びかけも、そういうなかから生まれたものだ。

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