戸狩野沢温泉に無線は飛んでいるか

 大阪市立大学合気道部の夏合宿が信州の戸狩スキー場で始まった。先日自分が一回生の時の夏合宿での座法の稽古の思い出などにちょっと言及して書いたが、また別の昔話を。わずか二十年ほどで技術は進んだのう……というお話し。

 
 どの局のなんという番組だったか忘れたが旅番組で戸狩野沢温泉駅前が映ったのを見た事があって思わず「懐かしい!」と叫んでしまった。何が懐かしいかというと駅前の電話ボックス。
 
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 写真など残っていないので Google ストリートビューからスナップショットをお借りすると、中央左寄りの電話ボックスだったとおもう。グレーのISDN公衆電話がある。
 
 大阪市合気道部のウェブサイトを立ち上げたあとぐらい、履歴をみた限りではおそらく1999年の夏のこと。当時私はPHSしか持っておらず、iモードなどというヒット商品もまだ広く使われ始める前。インターネットはダイヤルアップPPP接続だった。wi-fi など飛んでいようはずもない。
 
 当時夏合宿に参加する際、個人持ちの富士通 FMV BIBLO (多分 NC 辺りの機種だったような気がする)を車に積んでいき信州からウェブサイトを更新していた。最初は毎年お世話になっている宿「南の家」に無理をお願いして電話線を一時的にお借りしてダイヤルアップ接続しよとしたがうまくいかない。確認したところ通常の電話回線ではなくビジネスホンを引かれていることが分かった。
 
 
  後に小豆島での春合宿でも宿がビジネスフォンでつながらない……ということがあったので旅館業などされているところではビジネスフォンが一般的なのかもしれない。その当時はベッコアメインターネットをプロバイダとして使っていたのではなかったかとおもうが接続元回線についてビジネスフォンが認められていなかったのだった。
 
 で、どうしたかというと更新した HTML を宿で用意したのちに車で宿から戸狩野沢温泉駅まで行き、ISDN公衆電話のアナログポートにモジュラージャックを差してダイヤルアップ、FTP でページ更新をしていたのだった。夜、ノートブックPCをかかえて、明かりに飛んでくる虫を避けながら、百円玉と十円玉を握りしめて。
 
 今はというと、スマートフォンを持っていれば LTE が飛んでおらずとも 3G 回線がつながれば Twitter なり Facebook へのポストはできる。15年ばかりでインフラが変わったというか、便利になったと改めておもう。
 
 だが夜中にそんな手間をかけてウェブサイト更新をするのがしんどかったかというと寧ろエキサイティングな気分だった気がする。こんなか細いアナログ回線経由で広大なネットに何かを発信しているような気がしていた。そんなに多くのひとがみている訳でもないのに。
 
 今戸狩野沢温泉あたりのネットワーク環境がどうなのか、何年も行っていないので分からないのだが、現役生から Facebook 辺りに写真がポストされるようならば tumblr 上につくっている合気道部のウェブサイトに転載しようかとおもっている。