追悼忌野清志郎
今日も連休とは関係なく、というか渋滞や新型インフルエンザに恐れをなして、品川シーサイドのイオンや横浜の第二京浜沿いのニトリなどに買い物に行っていた。
お
南馬込文化センターの稽古の予定が分からなかったので朝9時に自転車で現地に見に行き、1階の体育館の利用予定が他団体になっていて休みであることを確認してから出かけていた。
出かける前にネットで忌野清志郎さんの訃報を聞いていて、自動車の中で話題にしたりしていた。
私が中学生のころ購入していた雑誌で(誌名や出版社名はきれいに忘れた)音楽について特集されているページで「RCサクセションがNo.1であり、みんなが目指すバンドがRCだ!」みたいな内容の記事が何号か続いて出たことがあり、当時テレビが主な情報源だった私はその記事のテンションについていけず(キャロルはすでに解散してしまっているかもしれないけど、サザンオールスターズでなくてRCサクセションなんだろうか)などと思っていた。
今から思えば中学生から高校生時代というと1980年代であり、アルバム『Rhapsody』(ラプソディー)が1980年発表であることを考えると強ち誇大な表現でもない。情報源との接し方がいかに重要かということの一例であったようだ。
その後も忌野清志郎は活躍し続け、タイマーズとして放送禁止処置がとられたり(たしかタイマーズとしては公式にはメンバーの招待が誰かは分からないということになっていたかと記憶している。公然の秘密だったけど)『君が代』をアレンジして曲にして問題になったり常に話題になり続けていた。いまWikipediaで他に彼が起こした事件について読んでみると他にもたくさんあって、「夜のヒットスタジオ」など私は知らなかったがのちに私が見たブルーハーツの時など問題にならないくらい酷い。
ただ、その行動は常に「それは、おかしいんじゃないか」という疑問についてストレートに向けられていたように感じられる。その疑問について他人の意見や常識にとらわれることは考えず行動する。いま新聞にしろテレビにしろ雑誌にしろ情報源として信頼することが難しい状況であることに気がつかされることになった時、忌野清志郎のスタンスが尊敬に値するものであったことがとても身にしみる。
私は実は今に至ってもそんなにRCサクセション、あるいは忌野清志郎の曲は聴いているひとではないのだが、CD棚には1997年に忌野清志郎 Little Screaming Revue名義の『Groovin' Time』が1枚ある。おそらくFM802に清志郎さんが出たのを聞いて買ったのだと思う。
(上記アルバムのiTunesリンク)
- アーティスト: 忌野清志郎 Little Screaming Revue
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1997/07/24
- メディア: CD
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