合気道専門誌についての考察

 私が大阪市立大学合気道部の現役部員だった20年ほど前『合気道マガジン』という雑誌があった。

 誌名の通り合気道の専門誌だった訳だが、ある時期から西野皓三さんの西野流呼吸法についてページを割くようになっていった。西野さんは合気道の高段位者でもあるので全くおかしい訳ではなかったのだがその傾向が強まり、ついには誌名を『氣マガジン』に変え、西野流呼吸法や気功についても取り上げるようになっていった。西野流呼吸法への傾倒について合気会から快く思われずそのような結果になったという噂を聞いた記憶があるが定かではない。今は更に誌名を『カルナ』と変えて存続している。調べたところ編集に携わっているひとは現在も変わらないらしい。『カルナ』への再変更については経緯があったと知ったがここではいったん触れずにおく。

 なぜこのようなことを書き出したかというと、大阪市立大学合気道部のサイトに掲載していた『合気ニュース』誌サイトへのリンクバナーが切れていたことに先日気が付いたから。

 バナーは http://www.aikinews.com/ 上にあったものを表示させていたので場所が変わったのかと久しぶりに『合気ニュース』のサイトをのぞいてみたら、あまりの変わりようにあっけにとられてしまった。

 変わりようというのが、サイトを見る限り合気道に関する記述がほぼ無くなっている。刊行している雑誌名は『季刊道』に代わっている。『季刊道』のバックネンバーについては掲載されているが、リアルの『合気ニュース』バックナンバーや、『植芝盛平合気道』などの書籍やDVDのリンクも全て無くなっている。何よりも『合気ニュース』の編集長として多くのコンテンツを世に送り出してスタンレー・プラニン(Stanlay Pranin)氏の名がどこにもない。取り急ぎ、『合気ニュース』へのリンク自体を全て外した。

 私が知る限り、合気道専門誌2誌が、合気道をテーマにすることをやめたことになる。これについては考え込まざるを得なかった。『合気ニュース』誌は創刊30周年は迎えたうえでこのような変化だが、剣道における『剣道日本』誌(創刊約約34年)や『剣道時代』誌(昭和49年1月創刊、約35年)、柔道における『月刊近代柔道』(1980年 (昭和55年)創刊、約29年)が他のテーマに移行するような現象は見られていない。剣道誌が居合道や抜刀術を取り上げたり、柔道誌が高専柔道やグレーシー柔術を取り上げたりはあるだろうが、そちらがメインになるようなことは無いと思われるのだ。なぜ合気道だけ、雑誌として継続できなかったのだろうか。

現在の合気ニュース社

 現在『季刊道』でメインに取り上げられているのは宇城憲治氏という空手の師範である。宇城氏は『合気ニュース』時代から取材対象とはなっていたが、1コーナーが割かれている以上のことはなかった。現在は合気ニュース社のサイトも上の方に「宇城道塾」という宇城氏主宰の団体の説明のコンテンツがあり、また刊行している書籍もほぼ宇城氏に関するものである。誌名が「道」と汎化されたように一見見えているがむしろ宇城氏を基点に色々な分野のひととコラボレーションする、というように見える。

 実際に書店で手に取ってみてみたが、合気道についての記述もあるが『合気ニュース』誌時代の刊行物からの焼き直しを主に構成されているように感じられ、そんなに気の入った内容とは思えない。

 もうひとつ、引っかかるのがアマゾンにおける書評の偏り。

『季刊 道』はアマゾンでも購入可能であり、書評がついているのだが、全て☆5つでついている。レビュアーの書評をすべて参照していくと、同じ『季刊 道』について☆5つで絶賛していたり、『季刊 道』及び宇城憲治氏の著書に☆5でレビューを書いていたりする。レビューは毀誉褒貶あるほうが信頼できるものであり、平均的に絶賛されているということはつまり、合気ニュース社か、宇城氏かいずれかの心酔者がレビューを投稿していると判断される。つまりサクラ、ということだが、ここまでくると宗教臭さえ感じ、調べていていささか辟易せざるを得なかった。

 ちなみに2008年刊行の『季刊 道』までは奥付にまがりなりにもスタンレー・プラニン氏の名前が印刷されている。今年になって2巻、159号(2009年冬号)と160号(2009年春号)が印刷されているがここにはプラニン氏の名はなく、編集長及び合気ニュース社の代表取締役社長として木村郁子氏の名前が一番上に来ている。おもうにもっと以前からプラニン氏は『季刊 道』には直接は関わっておられなかったのではないかと想像するのだがどうだろうか。2009年の年始前後に何か決定的な動きがあり、WEBサイトコンテンツから旧『合気ニュース』誌関係のものが切り離されることとなり、私も気が付くこととなったのかと思われる。

 スタンレー・プラニン氏の近況は調べてもよく分からないが、Aikido Journal Online という、ブログを核に構成されている合気道についてのサイトの運営に関わられているかもしれない。

マイナス面への視点

 合気道専門誌が他の分野に移ってしまうことについて考察してみた。

 試合が無い、ということはどうだろうか。

 他の武道専門誌を見ても、試合についてのページはよほど大きい大会の情報でなければ後ろの方にあり、そんな大きい扱いではないようである。自分が出場した試合ならば購入する、ということはあるかもしれないが、そんな決定的なことかどうかは分からない。それに『秘伝』のように、合気道と同様試合とは無縁な雑誌でも存続しているものは存続している。

 合気道というものが非常に求心力の弱いもので、他の武道であるとか、スピリチュアルなものについ目を向けてしまうものなのか。

 あるいは合気道に魅かれるひとが、他の武道であるとか、スピリチュアルなものにも興味を持ちがちな傾向があるのだろうか。

 そんな考えが当初は浮かんだ。

 また雑誌が経営的に存続できなくなる、という可能性もある。雑誌について、雑誌自体の価格と広告費どちらにより依存して刊行されているのかよく知らないが、昨年から実売数も広告費も下降していると考えられる。合気道という分野にお金を投じるかどうか、という判断をするとなるとまたマイナスな要素を思い浮かべてしまうが、つまりより一般受けする分野に行く、あるいは特定の読者が固まっている方に行く、ということがおきているとも考えられる。

前向きな視点、あるいは雑誌の役割の限界

 ただ雑誌についてはどの分野にせよ同じことが起きている。休刊・廃刊ということが昨年からしきりに聞かれるようになっている。

 休刊や廃刊を選ばず、他のテーマにしても生き延びていく道を選択する、というのは実はなんとなく和合の道っぽく感じるのだがいいように考え過ぎだろうか。

 合気道というものは、植芝盛平翁先生が立ち帰るべき元であろうと考えている。武道だから守破離ということもまた大前提だし、現に既に合気道においては合気会以外に多くの師範が独立して道場を開かれているわけだが、翁先生が元と考えた場合には技術書、映像、口碑(インタビュー)といったものはある程度積み重なっている。

 これから新しいものを生み出していくには紙の雑誌という形態はそんなに有効ではなく、各会派が自主的に出している程度でよく、むしろ前述の Aikido Journalのようなサイトが書籍や映像などのコンテンツと複合する形がメインになっていいのではないかと思われる。そういう意味で合気道という分野が時代にうまく乗っている、ということであってほしい。