長野聖火リレーに垣間見る日本の問題
テレビでちょっとだけ、長野で行われた北京オリンピックの聖火リレーが行われたのを見た。
調べなおすと、とても見苦しい景色であったらしい。
中国兵がチベットの人を恣意的に射殺している映像は既に以前からYoutubeで多くのひとに閲覧されていた。
それを思うとチベット問題は今に始まったことではもちろんなく、聖火リレーが改めて問題を世界に広めて回っているというのがいま起っている現象である。少なくとも政治の面では、中国は百年のスパンで後退したのかもしれないから、近隣国としては今後楽をできる場面があるかもしれない。
ところが、長野県警の警備が中国寄りだったという話は、先日の来日時にダライ・ラマ十四世に会う政治家がほとんどいなかった(前首相夫人と自民党で衆議院福岡3区選出の太田誠一氏は会見を持った)ことを考え合わせて、実は日本も中国の後退にお付き合いして一緒に後退しているのではないか、という問題をはらんでいるように思える。たまたまカレル・ヴァン・ウォルフレンさんの『人間を幸福にしない日本というシステム』を久しぶりに読み返していたのでより強く感じた。
中国に対して毅然とした態度をとり存在感を示す、ということが出来る機会を活かさず、顔色を伺うような施策に終始しているとすれば、それはもちろん県警の現場などの問題ではなく、政治家に主たる問題があるのでもなく、官僚組織の判断が影響を及ぼしている気がする。
そして十年以上前にすでにウォルフレンさんが指摘しているように、判断に問題があることが明らかになったとしても、官僚にはその説明責任を果たすように相変わらずなっていない。
われわれに出来ることは、安易にナショナリズムに走るようなひとは置いておいて、冷静に語り合えるような中国の人たちといい感じの関係を結んでいくことしかない。官僚組織は害の無いように使いこなすしかない。
- 作者: カレル・ヴァンウォルフレン,Karel Van Wolferen,篠原勝
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