空白の十年

 須佐の実家に本日帰った。父親と晩酌をしながらテレビを見ていたら、NHKで『被爆者 空白の十年』を視聴者のリクエストが多数寄せられたことにより、再放送します、という案内が流れた。多分、これだろう→「平成19年(2007年)夏 「ヒロシマ」特集番組 〜NHK広島放送局」。

 父はそれを以前見たらしく、その話からの続きでこんなことを話してくれた。

 父親が小学生で、地福小学校(山口県阿東町)に居た四年生か五年生のことだったろう、ということだが、原爆の被害を伝える写真展が回ってきて、それを見たのだそうである。父はその日、食事が何も喉を通らなくなったのだという。それぐらいの衝撃だった。

 父親は戦時中幼かったが、須佐の育英小学校の校庭に米軍の捕虜が連れて来られた時、母親(先日亡くなった私の祖母)の目を盗んで米兵のところに歩いて行き、愛嬌を振りまいたもので彼らに大層可愛がられた、という経験の持ち主で、その時の微かな記憶があるのだという。恐らく、三歳くらいのことだろう。父と遊んでくれた兵隊たちの中には家族を置いて戦地に来たものもあり、きっと自分の子供を思い出したのだろうとおもう。

 その父親が小学生になった時はまだ「空白の十年」の中だった。父親曰く、「あの写真を見て、被爆した人を偏見の目で見てしまうか、それともこれは救済せねばならんと考えるのかは、民意のレベルにもよるとおもうんだよなぁ」。被爆者の救済に官と民との気持ちと行動が向うことが出来る前の、低いレベルの「民意」から放たれる雰囲気というものを覚えているのだろう。

 こういうドキュメンタリーは、受信料だの著作権だのとダサいことを言わず、多くの人がネットで視聴できるようにしてほしい。youtubeを見たけど、それらしいのは見つけられなかった。あっても削除されるだろうけども。



長崎の映像、Youtube