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椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

『やまなし』についての恩讐の彼方

 小学校の先生というのも大変な仕事だと思う。例えば、この四十路の親父に遥か昔の授業での事についてずっと怨念を持ってみられたりするような目に遭う。

 怨念のもとは宮澤賢治である。

 私は小学校3年から5年にかけて博多は警固に住んでいた。博多在住期間、すぐそばにあった福岡警固協会の子供礼拝堂に日曜礼拝に通い、礼拝堂の本棚で本を借りて読んで過ごしていた。棚にある全ての本を読んでしまうまでそれは続いたのだが、中でも宮澤賢治全集、椋鳩十全集は特に好きで一度と言わず読んでいた。

 その頃から今に至るまで宮澤賢治の紡いだ文章への畏怖と敬愛は変わらないのだが、これから書くのはそれより少しあと、まだ博多にいたころか奈良に居を移した後の話である。多分この担任教師だったのではないか……という程度の記憶である。女性の教師であったことだけ、はっきりと覚えている。

 その年の国語の教科書には『やまなし』が採録されていた。読まれた方は忘れないだろうと思うが冒頭の「クラムボンはかぷかぷわらったよ」という蟹の子供の台詞が印象的な作品。

『やまなし』は読んだ方はお分かりとおもうが二章に分かれている。前半の「一、五月」がお昼の光景でかわせみに魚が取られていく場面が出て来る章で後半の「ニ、十ニ月」は夜の光景でやまなしが流れてくる場面が印象的な章。『やまなし』を読んだあと担任教師は「前半と後半、どちらが明るいですか」という質問を教室の皆に投げた。

 結果、前半が明るいと答えたのは私ともうひとりの誰かだけだった。あとは後半が明るいという方に手を挙げた。

 ここで、私ともうひとりは担任教師に叱責を受けたのである。

 教師曰く「夜の方が穏やかな情景で明るいのはすぐ分かることです。前半が明るい、と答えるのは昼の場面であるということで短絡的に手を挙げただけです。もっとちゃんと読みなさい」というのがその叱責の内容だった。

 残念ながら私はその場で教師に反論するだけの弁術と度胸を持っていなかったので、現在に至るまで後悔することとなった。

 その時私が言うべきだった反論は「例え死があってもそれが我々の生きている世界であって、食うや食われるやのやりとりが繰り広げられる世界が明るくて何が悪いのか」ということだ……とずっと考えてきた。「俺がどれだけ宮澤賢治に耽溺して読んできたと思ってるんだ」という気持ちもあった。

 さて、先日自分の子供達にと宮澤賢治の童話集をアマゾンで購入した。子供達はあまり積極的に読んでいるわけではないようなのだが、夜寝る前に私が読んで聞かせたりしている。

宮沢賢治童話集―心に残るロングセラー名作10話

宮沢賢治童話集―心に残るロングセラー名作10話

 先日子供が寝たあとにこの本をめくっていたら、巻末に責任編集者である北川幸比古さんの作品解説がついているのに気がついた。

『やまなし』の作品解説を読んだ時、今まで担任教師に対して抱いてきた恩讐がなんとなく穏やかに赦せるような気になってきた。以下その引用である。

 美しいカワセミが、不意の死をもたらす。
「こわいよ、お父さん」
 子ガニのように、死をおそれる気持ちが子ども読者の中にもあるといいます。死を主題にした作品を忌み、避けることはありません。
 この童話は国語教科書に載りましたが、教室で先生がたはどう授業をしたのか、と思います。こういう童話は偶然、個人でふれて、びっくりするのが自然です。教科書の編集委員は何を考えて教材にしたのでしょう。
 まわりの、たまたまいるおとなが、親ガニのように、子どもに話せたらいい。
「いい、いい、だいじょうぶだ。心配するな。そら、樺の花が流れてきた。ごらん、きれいだろう」
 生命の危険があって、どうしようもなくても、おとなはこう言うのが、いい。
(以下略)

 普通に考えて、教科書に載せるような作品ではない、一筋縄ではいかないような童話を題材に担当教師は授業をしなければならなかった。彼女の力量を超える仕事だったのかもしれない。質問をする前にヒントを与えていたのに、注意散漫な当時の私はさっぱり聞いておらず彼女を苛立たせたのかもしれない。そもそも周りに配慮せず自分のことばかり考えていた私は最初からマークされていたのかもしれない。

 そう考えれば、もういいんじゃないかという気がしてきた。

 なんと長く恩讐に囚われていたものだが、北川幸比古さんの文章によって解放されたような気がしている。子どもの為に買った本に助けられたのだから、子どもを持てた御蔭ともいえるだろうか。