「OB」がなくなった
日帰りで関西に出張、羽田と伊丹の空港を使ってANAで移動だった。
仕事場から羽田空港に行くのにモノレールを使う。モノレールの中 iPhone でメールをチェックしていたら、 id:oriono さんからトラックバックを頂いていることの通知メールに気がつき、トラックバック元をチェックした。私は大阪市大のある杉本町、おのさんはすぐ隣の我孫子のつながりでしばしば情報交換させて頂く。現在のサイト、「郷愁エントランス」の最新エントリーの写真を見た。
拝啓椋(id:mukunokiy0725)様 - 郷愁エントランス
強い衝撃を受けた。
既に何年も訪れていないながらも見慣れた杉本町の風景が一変していた。不況が継続するいま、それはどこのまちであれ、致し方ない。杉本町で店がばたばたと畳む現象は今に始まったことではない。私がまだ大阪にいた5年前にも既にみられていた。
衝撃を受けたというのは、更地になった場所に建っていた店が、自分がよく知っていた店であろうということが頭を過ぎったからだ。
店の名前は「OB」。喫茶店だが、カレーが売り物だった。舟型の皿にご飯もルーもたっぷりのカレーで、これに生卵が落としてある「たまごカレー」が私は好きだった。これに卓上に備えてあるソースをぶっかけて、かき混ぜて食すのだ。カレーにソースをかけて食べるのはおそらく大阪独自の風習ではないかと思っている。ミナミにある自由軒は織田作之助が通ったことで今も知られる店だが、ここも確かソースが卓上にあったとおもう。
私の1年先輩の中井さんはこれの大盛り「ビックカレー」を食べたあとすぐに稽古に臨んだ、とかいろいろ伝説を残した店でもある。私は飲み会のあと、二日酔いでふらふらの状態でここのお茶漬けを朝食だか昼食だかに食べた記憶もある。
更地になった横にまだ健在の店様を残している「ランチハウス林」、今「ハゴロモ印刷」という店になっている場所にあった「アミー」という定食や、そして喫茶店「OB」が私の学生時代の学食がわりの場所だった。
「アミー」は私が卒業して何年後かにご主人が亡くなられたと聞いた。もともと年いっているように見えたし、先輩から酒を飲んでひどいありさまになっているのを見たということも聞いたのでさもありなんとおもったものだった。そのあとに印刷やさんが入った。
「ランチハウス林」は今も客を集め続けているのであろう。私も時間が許されるなら、その唐揚げ定食とミックスを食べに行きたいとおもう位だ。
「OB」は店の前に鉢植えがおかれてもうやっていないのは知っていたが、あるとき偶然にママと会うことができたことがあった。2004年8月7日のことだ。
その時ママは足を悪くして片足を切断し、介護が必要な状態だった。その時のことは昔の「椋箚記」に書いている。
行き帰りの移動中、私はずっとママはどうしたのだろうか、とぐるぐるとおもっていた。あの店舗だった場所に住んでいたのだろうから、どこかに移られたのだろうか。それとも……
更地になった並びにはおのさんも書かれているように弁当やがあった気がするし、「Humpty Dumpty」という、卵が塀の上に座っているイラストをロゴに使ったレストランがかなり前に潰れていたと思う。写真やマップなど残っていれば検証できるだろうが、「検証」という言葉を使わねばならないほど変わってしまった。
まちの姿が変わってしまったこと以上に、「OB」のママがどうしているか、ということが心に引っかかって離れない日になった。あのカレーが食べられないのは我慢する。ママが元気でおられたらとおもう。