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椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

おたけびおころび

 テレビ東京の「アド街ック天国」という番組は割りと楽しみにしている。先日大山阿夫利神社を取り上げていた。私は西日本の生まれ育ちなので大山(おおやま)という伊勢原市にあるという登山者はよく知っているらしい場所を初めて知った。

 取り上げられている中に「禊の大滝」があった。この辺りは滝がいくつもあり、その中に禊の行をする滝があったのだが関東大震災で崩れて使われなくなっていた。東日本大震災ではなく関東大震災というからざっと80年手がつけられていなかったらしい。この間禊行自体がこの地で行われなくなっていたのか、どこかに別に禊場があったのかは分からないが、最近行をすることも出来るようになっているらしい。

 ゲストで出演されていたインパルスの堤下さんだったろうか、自分もロケで禊行をやったことがあってああいう風に気合を入れて……という話しをされているのを(ああ、鳥船だけじゃなくておころびも手順で習ったのか)などと思いながら見ていた。

 禊行と合気道は深いところでつながっている。これは植芝盛平翁先生が結び付けられた。根源的なところなので我々は分けることができない。阿部醒石先生は二木謙三先生の主催される禊会で二木先生から植芝翁先生のことを聞かれ、大阪合気会の田中万川先生のところに翁先生が来ておられるのを偶然知って初めて会うことができた、と聞いている。吹田の天之武産塾道場の一階には禊場が設けられているし、阿部門下においては禊は実際に行うものとなっている。私のような通い弟子はほとんど行はやっていないが、それでも学生時代の道場合宿では禊行をやった。

 

 まず振魂(ふりたま)をやる。大田区合気道会では特に「振魂」と呼ばずに稽古の最後にやっているものだが、掌を合わせて振る。次第に小さく収めていくものだと説明することが多いが、このあと水の行をするとなると真剣にやらざるを得なくなる。いつまで経っても小さく収まらず身体から湯気があがるまで掌を振ることになる。

 水の行は滝に打たれる場合はどう入るのか学が足りずに知らないのだが、禊場では右膝→左膝→右膝、右腰→左腰→右腰、右肩→左肩→右肩、頭、頭、頭、と盥で水場から取った水を浴びる。目、鼻もそそぐ。

 そのあと鳥船の行。大阪市立大学合気道部では「舟漕ぎ運動」と呼ぶものである。続いて鎮魂の行、雄叫(おたけび)、雄詰(おころび)。おころび、というのが「気合を入れる」所作になるのだが、実際に映像なり連続画像にしないと説明し辛い。

 最後に道場に戻って祝詞をあげる。こんな手順だったと記憶している。

 

 阿部醒石先生のインタビューが天之武産合気道道場のウェブサイトには掲載されていて、そこでも二木謙三先生の名前をあげられている。あわせて阿部先生、二木先生にとっての禊の拠り所となる人物の名前もあげられている。川面凡児(かわづらぼんじ)先生である。

 

阿部醒石師範の紹介 | 天之武産塾合気道道場 阿部醒石師範の紹介 | 天之武産塾合気道道場

 

 川面凡児先生は江戸末期に豊前に生まれた宗教家だが、今水行などを行う際の禊の行法は須く川面先生がまとめられたものが踏襲されている。須く、と言って過言でないのが川面先生の禊の行が大政翼賛会に行事として採用されたためであり我々としては複雑な感想を持たざるを得ない。私などこの組織には否定的な評価しか持ちようのないと感じるし、一般的にも良くない印象を持つ人が多いだろうとおもうのだが、その組織の仕事の結果が今も素知らぬ顔で受け継がれていることは変な現象である。川面先生は禊を体系化しただけでなく著作も多かった方なのでそれが利しているのかもしれないが、その著作が今もよく読まれているわけではないような気がするので不思議におもうばかりである。単に惰性なのか、国家神道と密接に結びついてしまったからなのか、禊行自体は良いものだから切り離して続けるような思考回路がどこかにあったのか。

 私は直接阿部醒石先生が『川面凡児全集』はいま絶版になっているが是非再版してほしい、と希望を述べられているのを直接伺ったことがある。アマゾンには古本が出品されているが5万と値がつけられている。また、検索すると八幡書店という宗教やスピリチュアルに関する本を扱っている出版社が CD-ROM で出しているものがあった。これも3万8千円だかするとある。

 この値段だと図書館にでもそろえてない限りなかなか手は出ない。実際私も手に取ったことがない。失礼なことを書いてしまうが川面凡児先生は1929年に亡くなられており著作権保護期間は過ぎているのでより多くの人が手にしやすいような方法で世の中に共有されていてほしいものだとおもう。

  私は川面先生以前の禊というものがどのような姿だったのかについても興味がある。独自の禊行の形を伝えている場がこの国のどこかに密かに息づいているのではないかと考えると面白いが、実のところ大政翼賛会の行事の影響を受けずに居れたところはほぼ無いように思われる。だからこそ大山阿夫利神社では長い空白時期を経ても禊行が行えるわけである。

 川面先生以前の禊について知るためにも川面凡児先生が書いた文章がもっと手に取りやすい形になってほしい。不肖の弟子として阿部先生の希望が叶ってほしい気持ちも持っている。

川面凡児全集 (1985年)

川面凡児全集 (1985年)

 

 

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