華をみにいく

 東京から大阪に隔月くらいのペースで出張するのに ANA を使う。機内誌の『翼の王国』にたいがい目を通す。

 以前も言及したことがあるが、涌井史郎さんが書き手の連載もののエッセイ『囲われたエデン』もよく読む。ある巻では、京都は東福寺の八相の庭を取り上げていた。知る人ぞ知る名庭園だが、私はこの文章で初めてその存在を知ったし、重森三玲さんについても初めて知った。

 先日テレビ東京の『美の巨人たち』という番組でこの八相の庭と重森三玲さんを取り上げていたのを見たときには、予備知識があったことが幸いして興味深く面白く番組を鑑賞することが出来た。大阪在住時に鈴虫寺を訪れる際に前を素通りするばかりだった洛西の松尾大社に、重森さんが八相の庭を超えるべく苦悩を抱えた挙句、最後に作られた庭があるということも知ることができた。

 さて、重森三玲さんは画家になる目標を持ちその目標に挫折したのちの30代、勅使河原蒼風さんらとともに「新興いけばな宣言」を発表している。勅使河原蒼風さんは草月流を興し、生け花における革新を具現化していく。一方で重森三玲さんは庭園の研究へと自らの進路を向けてゆく。

 以上のような経緯も『美の巨人たち』を見て再確認することとなっていた。

 そのようななか、いけ花の草月流の展覧会を見に行く機会があった。Twitter 上でよくやりとりする、 @derosa0929 さんがこの展覧会に出品する……と聞いていたところ、たまたま休みがとれたので行ってきた、という次第。恐縮なことに、入場券を譲って頂いた。かくしてご婦人が圧倒的に多い中、新宿高島屋の会場で作品を見てまわることとなった。

 実は見ている時点で、勅使河原蒼風さんが起こしたのが草月流だということを実はよくわかっていなかった。見終わって帰宅してからあれこれ調べてみて、生け花というものには膨大な数の流派があり、とても身近なものであることがわかってきた。思えば亡母も須佐で生け花のサークルに入っていて、最後に活けた花が彼女の葬式の場にずっとあったことなども思い出した。母がどのような流派の教えに沿って花を活けていたのかは、実は知らない。

 ただ、生け花にはもともといろいろな約束事があるようなので、母が活けていた比較的自由な感じの花は「新興いけばな宣言」の影響を受けたものだったのではないだろうかとおもう。

 会場の作品も、これはちょっとどうかしらと思うくらい奇を衒っているように見えるものもあった。私としては例えば、盆のような花器に屹立するように虎の尾の葉が活けてあるとか、そういうシルエットのものは(いいな)と思いながら見ていた。

 柳霞さんこと、 @derosa0929 さんの作品も、ちょっと意表をつかれる造形だったが面白く感じた。タイトルは山田詠美さんの『無銭優雅』からの引用かな?

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