椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

マニュアルの意味

 本日祖父椋正隆の五回忌の祭りごとを、神官さんに来て頂いて行った。

 昨日祭壇の組み立てを私がやった。こういうやつで、普段はばらばらにして離れの押し入れにしまっておけるものだ。

 実は組み立ては今回初めてやった。部品を担いできてみると、組み立ての説明書きみたいなものがどこにもなかった。今まで何度か見ているものだから、だいたいこんな感じだろうと組み立てていった。もしかしたらどこかで間違っていたりするかもしれないが、五回忌は無事に行えることができた。

 組み立てながら「マニュアル」について考えていたりした。

 この祭壇なんかはシンプルなつくりで、出来上がりをイメージしながら組み立てられるものだ。でももし説明書きがあったならば、それも見たうえで組み立てをやっただろうとおもう。

 マニュアルとは、そういうものなのだろうと普段考えている。分かり切っていることだとしても、その意味を明文化し、共有する。

 勤めている仕事の場でも「手順書」「マニュアル」は欠かせない。作業は二人以上の目のもとで行うのが品質を守るためのルールであり、何が目的の作業なのか二人以上で共有するために、あるいはチェックシートとして必須だと思っている。

 自分の場合、仮に一人で作業を完結するとしても「手順書」ないし「マニュアル」を作るようにしている。メモ書きだけで終わってしまう場合があるが、とにかく作って作業する。あとで、何をしたのか自分でも思い出せないようなことがあるし、あとで報告することになるような場合もある。

「マニュアル」というのはコミュニケーション・ツールなのだと理解している。

 とはいえ、自分で自分が何をやるのか整理して理解させるためにやっているような感覚もあり、同じことをやるときも前に作った「手順書」なり「マニュアル」には目をやった上で作業する。そういう自分のためにやっているようなところがあるのだが、後の自分に説明できるならば他の作業者に説明するのにも使えるはずだとはおもっている。

 上記のようrに「マニュアルは必須」が基本だと思っているのだが、反面面倒臭くもあり、なかなか徹底しづらいところである。

  • これくらい分かるだろう? とマニュアルを作らずに済ませる開発者(SE)もいる。
  • マニュアル通りにやればいいんでしょ? とマニュアルを見て思考停止する運用者もいる。
  • マニュアル作ったんだから、お前たちできるだろうよ! とマニュアルの改版に思いが至らないひともいる。
  • マニュアルがないんだから、わたしはできません、というひともいる。


 役割分担の考え方によっては完全に間違いということではないのだけれど、当然ながらこれでは決して良くはならない。組織間で不信が募り、本来提供できるサービスのレベルにあらゆる意味で到達できなくなる。でも、こういうことが繰り返されるのだよなぁ。

 組織間、担当間で歩み寄れば少しづつであっても状況が良くなっていくのだけれど、それが難しい。この数年、給料をもらう場においてはそういうことを考える立場なのでそんなことを連想して祭壇の準備をしていた。

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