昭和天皇裕仁陛下のこと

 日本経済新聞だったか、富田朝彦宮内庁長官のメモで、昭和天皇陛下が「靖国神社A級戦犯合祀に強い不快感を示されていた」という話が巷をにぎわしている。家内はその話を知らないうちにテレビでやたら取り上げられるので、なんで天皇陛下がやたらテレビに映るんだろう、と質問がてら私に教えてくれた。実は私も家内に聞かれるまで、知らないでいた。

 自民党総裁戦を控えたこの時期にそんなニュースが報じられることに何らかの恣意を感じてしまうが、私の場合全然別のことを思い出した。

 私の合気道の先生である阿部醒石先生が、吹田の天之武産塾道場で稽古されている時、体の中心の話をされたことがあった。その時、先生が会われた人物のなかで、もっとも太い中心を備えた人物は「昭和天皇」だ、というふうに言われたのである。

 合気道の稽古のなかで、武道と関係のない方の名前が出たので、非常に印象に残っている。今思えば、何故植芝盛平翁先生ではないのだろう、とも思う。

 阿部先生は吹田市武道場(誠心館)に書を寄贈されたことで紺綬褒章を受けられたこともあるし、昭和天皇に謁見されているはずである(私の市大在学中だったはずだが、時期が微妙?)。会われた時期が近かったので印象が強かったのか、あるいは身近な人物よりもちょっと遠い人物の方が凄く思えてしまうのか、などと考えていたが、素直にとっていいのかもしれないな、という気がしてきた。

 前の天皇陛下については戦争についての責任とか、終戦時にきちんとした態度をとられたこととか、毀誉褒貶の激しいところがあるのだが、ひとりの人物として潜った修羅場の質と量の総計は他を寄せ付けないことは確かだろうとおもう。そんななか、陛下は一定のルールを守りながら、不平や愚痴などを吐かない振る舞いを生涯続けた。守ったルールが本当に正しかったのか、という点については議論の余地があると私は思うのだが、その姿勢は人をして何かを感じさせるだけの美しさを持っていたのではないか。

 阿部先生にすぐ聞いてみる機会は私に無いが、先生は感じたままを道場で私たちに話されたのではないか、と思うようになった。

陛下の御質問―昭和天皇と戦後政治 (文春文庫)

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