大学クラブの飲酒封印への流れ

 先月の21日に一橋大学神戸大学大阪市立大学の各合気道部OB会の関東での年一回の会合に参加してきた。場所は竹橋駅の近くにある如水会館、一橋大学のOB会組織がお持ちの立派な施設で。私はこの週はずっと麹町近辺で研修受講だったので余裕をもって参加できるはずが、勤務先からの電話がしきりにかかってきて一番最後に伺う有り様となった。

 当日一橋大学の如水合気道友会の幹事長をされている先輩に出席頂いていたが、私が大阪市大合気道部の一回生だった時の一橋大学合気道部主将を務められていた方で、懐かしくもあり背筋を伸ばさざるを得なくなった。

 一橋大学合気道部は小平国際キャンパスに道場をお持ちだが、このたび建て替えが具体化し少林寺拳法部と共同でOB会で寄付金を募りめどが立ちつつあるというお話しを伺った。私の場合一回生と三回生の時に一橋大学だったが、この時は小平キャンパスの道場ではなく、国立キャンパスの柔道部の道場を使っていた。その後OBになって1997年だったかに一度東京で参加しているが、その時もまだ国立だった。近年は逆に専ら小平にお邪魔している。近年のOB・OGにしてみればこちらの道場の方が懐かしいということになるのだろうとおもう。今年は一橋大学で旧三商大戦を行う予定であり、建て替え前の道場での稽古は最後になりそうであると伺った。

合同稽古終わり。あちい。 #aikido

 2011年10月に旧三商大戦の稽古に伺った時の小平キャンパスの合気道部道場

 稽古中

 それはさておき、今後旧三商大戦のような合同練習などでは、学生が酒席を設ける事は慎むような方向になりそうだ……という話が、これも一橋大学の幹事長をされている先輩からのお話しとしてあった。OB会から現役生に慎むよう提言してほしいというような話が出ているということだし、関東の私立大学においては既にそのようになってきているとも言われていた。

 先般ニュースで目を惹いた野尻湖に合宿中の吹奏楽部部員が飛び込んで……という死亡事故は飲酒は無かったという調査結果報告だったそうだが、飲酒による死亡事故は今も起きている。


急性アルコール中毒等による大学生の死亡事例(2001〜12) | イッキ飲み・アルハラ防止キャンペーン2012 急性アルコール中毒等による大学生の死亡事例(2001〜12) | イッキ飲み・アルハラ防止キャンペーン2012


 これを知って無理な飲酒を勧めるならば「事故」ではなく「過失致死」でもなく「未必の故意」はある、ということになる。体育会系クラブだから私も振り返ると酷い飲み方をさせられたりしたりは、ある。だからといって今後もそれを続けるかと問われると、否と答えざるを得ないのだと、改めて認識する事となった。

 酒席で覚えることも無いではないから法律上飲酒が認められる年齢になったあとはそれなりの経験を積むことも必要な気もする。私の頭の片隅には、その役割の一端を大学のクラブが担っても良いかもしれないという思いがまだ巣食っているのを感じるのだが、事故が続く現実を目の当たりにすると多くのクラブやサークルは若いひとを上から育て引き上げるような力は組織として持っていないというのが本当のところではないだろうかと考えなおさざるを得ない。

 さらに言えば若い年代ほどそれほどお酒を飲まなくなってきているような統計も記事になっていたりする。記事になるのは酒類メーカーや卸店の経営が大変だ、というような文脈のようで、ただの酒飲みな消費者としては特段の興味も持たずに読み飛ばしているのだが、酒席が主要なコミュニケーションの場だ、というようなこともなくなってきて、より多様な場面でコミュニケーションを取れる能力こそ今後求められるような気がする。

 そう考えると、私が勤務であれ私生活であれその場における優先順位に気を配るようなことが曲がりなりにも出来るようになったのは、大阪市大の師範道場である天之武産塾道場で師範代から叱られた経験だったりするのを思い出す*1。ああいう「教育」こそ普遍的に役に立つのかではないだろうか。道場で子供達に姿勢や礼についてうるさく言うのも然り。酒席での振る舞いなどというのは本来、老若男女が居られるような地域の集まりなんかで覚えるのが正しいのかもしれない。

 今年の旧三商大戦の打ち上げは穏やかなものになるのだろうか。今回列席頂いたわが大阪市大の先輩からは、旧三商大の稽古のなかで、OBが指導する時間を設ける、といった試みはどうだろうか、という提言を頂いたのだがそんな試みの方が合同稽古の主旨に相応しいかもしれない。卒業して二十年以上経つOBとしては自分たちが飲む打ち上げについても楽しみにしておきたいのだけれど。

*1:とかいいながら私は年功序列とかうざってぇ、等とすぐに思ってしまう人間でもあるので、身近に見ているひとは言行不一致ではないかと思われるかもしれない。そう思われたとしたら一言も無い。