#検察庁法改正案に抗議します タグについての私の判断

 検察庁法の改正案が出て私も含め多くの方が批判をした昨年の5月頃から書きかけていた文章があったが、色々調べて書いているうちに取り下げられたためそのままになっていた。読み返すと自分自身の理解のためのメモ、という内容だが、公開しておく。

 


 

 2020年に検察庁法の改正案が審議されていて、それについて批判する立場の人と肯定的にみる立場の人がそれぞれいて、批判する立場の人達が #検察庁法改正案に抗議します というタグを付けて twitter にポストする、ということが5月10日に集中して起きた。私もこのタグを使ったポストをしたひとりである。 

 

 

 このタグを付けてポストすることや、検察庁法改正案に重大な問題があるという論説に対して、検事長の定年を延長すること自体には意義があるとして改正に肯定的な意見を述べる方もおられ、その中には法律を生業とされている専門家も含まれている。改正法案に肯定的意見を持たれている背景には、反対者は検察庁法改正案の内容をよく理解せず、あるいは誤解して反対を表明している、という認識があるように私にはみえた。

 

 法改正に肯定的な意見も読んだうえで、自分はやはり今回の検察庁法改正案には反対であり抗議の意思を示します、ということを、理由を付して書いておくことにした。書いているうちに政府与党は法案取り下げられ、さらに少し時間が経ってしまっているが構わずに書いている。時間が経ったのは合間をみて法案を読んでいくのに時間がかかったから。

 

 要は上記ポストの書き直しだが文字数に制限があるのでもう少し文字数を使って書きたい。他にもっと優れた解説も書かれており無駄なことなのかもしれないが、意見の表明が多く出ることに意味はあると考えている。

 

任期の恣意的に延長できることが例外的な記述で定義されていること

 内閣官房のウェブサイトに「第201回通常国会の国会提出法案」が掲示されていて、その中の新旧対照条文を参照した。PDF形式で以下のリンク先を参照した。

国家公務員法等の一部を改正する法律案 新旧対照条文

 以下が問題の条文の対照表で、上の段が改正案、下の段が現法案となっている。上の段にひたすら続く長い追加条文が今回問題になったものの中心だということで良いかと思う。

検察庁法改正案 2020年 新旧対照表 1



検察庁法改正案 2020年 新旧対照表

 

検察庁法改正案 2020年 新旧対照表 3

 

検察庁法改正案 2020年 新旧対照表 4

 

検察庁法改正案 2020年 新旧対照表 5

 

 法律の条文というものは正確を期す為に必ずしも読み易いものではないがそれにしても悪文だというのが最初に思ったことだった。何故こんな悪文になるのだろうか。それは「検事長の定年を一律引き上げよう」という総論の観点から法改正しようとしておらず、現行法の例外として改正しようという意図から書いているからだろうというのが私の読解結果だった。つまり第二十二条の従来の条文部分だけの改正だけで良いはずが②以降の長い追加条文があって、②と③で上位法である国家公務員法検察庁法に適用する場合の説明を書いたうえで

 

内閣は、前項の規定にかかわらず年齢が六十三年に達した次長検事又は検事長について、当該次長検事又は検事長の職務の遂行上の特別の事情を勘案して、当該次長検事又は検事長を検事に任命することにより公務の運営に著しい支障が生じると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるときは、当該次長検事又は検事長が年齢六十三年に達した日の翌日から起算して一年を超えない範囲内で期限を定め、引き続き当該次長検事又は検事長に、当該次長検事又は検事長が年齢六十三年に達した日において占めていた官および職を占めたまま勤務させることができる。

検察庁法改正案 第二十二条 ⑤   下線は筆者が引いた

 

 として「内閣が」任期の延長を判断できるとしている。更に次の二十二条 ⑥ で

 

内閣は、前項の期限又はこの項の規定により延長した期限が到来する場合において、前項の事由が引き続きあると認める時は、内閣の定めるところにより、これらの期限の翌日から起算して一年を超えない範囲内(その範囲内に定年に達する日がある次長検事又は検事長にあっては、延長した期限の翌日から当該定年に達する日までの範囲内)で期限を延長することができる。

検察庁法改正案 第二十二条 ⑥   下線については上記と同様

 

 定年前の再延長も「内閣が」判断できるとしている。

 

 高度な独立性を持つ機関であるはずの検察庁の長の任免について恣意的判断の余地を残した、例外判断を説明する条文を追加しようとするということのために迂遠な改正案を書いている、本当に総論的な任期延長を定めるならばもっとシンプルな法文になるはずだ、というのが改正案を読んで得られた感想だった。

 

 ちなみに高度な独立性とは何かと言うと、検察官は刑事訴追をすることが職務として定められていて、その対象は「いかなる犯罪についても操作することができ」ることで、即ち行政府で役職にある政治家も対象となる。この権限でもって独立性を持つことで三権分立を正しく機能させる仕組みの一端を担っている。以下はそのことを定義している検察庁法の第四条と第六条、これも下線は筆者が強調のため引いた。

 

第四条 検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、且つ、裁判の執行を監督し、又、裁判所の権限に属するその他の事項についても職務上必要と認めるときは、裁判所に、通知を求め、又は意見を述べ、又、公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務を行う。

 

第六条 検察官は、いかなる犯罪についても捜査をすることができる。

 

「無理をして例外的な条文を書いている」ことを私が忌避する理由についても書いておく。前述のポストに書いた通り大阪市立大学における恩師のひとり、田島裕教授との会話から来ている。

 

 筑波大学大学院大に研究の場を移された田島先生に、出張の時などにお時間をいただきお会いしたことが何度かあった。まだ大阪に住んでいた15年以上前のことである*1。あるとき、在日韓国・朝鮮人の方の権利、具体的には選挙権などのことについてどう判断すべきか伺ったことがある。韓国籍北朝鮮籍の知人など権利の取得を求める話に接するにあたって迷いがあった時期だったと思う。それに対して田島先生の答えは明確で「例外を設けるべきではないよ」の言葉だった。つまりある権利を認めるならば韓国籍に限って認めるというような例外条項を設けて良いことはなく、全ての国籍の人に認めるか、日本国籍に限るか、どちらかと考えるのが正しい、ということを示していただいた。これはとても汎用的な判断基準であって、今システムについての仕事をするにしても何かを判断する時は頭の中にある。いわんや今回のような法律に関することならば尚更判断基準として使わなければならないというのが私の考えである。

 


 

 実のところ罵詈雑言、強い言葉を書いてしまいたい気持ちを抑えてこれを書いていた。改正案の文章が酷いと思っていたからだ。文章を書いている身としても我慢がならない悪文だし、百歩譲って仕事上の文章だから正確を期する必要があるとしてももし仕事でこのような文章を持ってこられたら30分ほどこんこんと起票者に対して説教してしまいそうだ。それは問い詰めていったら他意があって本来目的とすべきところではないところで誤魔化したい何かがあるというのが経験的に導かれる推測で、割りと高い確率でその推測は正しい。そして今回の法案の場合誤魔化したい何かとは、まだ起訴されていない政府与党が関わる犯罪行為の幾つかだというのが自然な考え方だろう。

 

 上記には、黒川弘務氏の東京高検検事長の任期について、過去に行われた延長まで遡及的に正当化を試みているのではないかと思ったことについても書こうとしていたが、これは私の条文の読み違えだったという判断が出来たのでカットした。

 

 

*1:愚かなことにご連絡先を紛失してしまい、東京に来てからは一度も田島先生にお会いできていない