環七通り沿いの木造家屋

 南馬込の環七通り沿い、山王と向かい合った辺りは谷中という旧町名で環七が通る前は割と賑やかな商店街だったときいている。オリンピックを前に環七通りがつくられ都市整備が進められて今に至るので環七通り沿いはビルやマンション、新しい店舗が並ぶようになっているがそのなかに取り残されたような木造家屋が残っていたりする。そのなかでもとびきりだったのが南馬込文化センターの隣にある大倉山公園から出てきたところにあった家だ。残念ながら写真を残していないので Google Street View からスナップショットをお借りして貼らせていただく。

 

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 おそらく住んではいらっしゃらなかったとおもう。ところどころ傾いていてよく東日本大震災のときに崩れ落ちなかったものだと感心する。震災では崩れなかったが税金には耐えられなかったとみえて今年2016年に入ってあっさり更地にされてしまった。下の写真は気がついた2月21日に撮ったものだが。庭の樹もばっさり伐られてしまっている。

 

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 おそらくは環七通り開通直後より建っていて、もしかするとそれ以前の昭和三十年代からあったかもしれないとおもう。

 

 他にも環七通り沿いには時々こういう家がある。下の写真はやはり環七沿い、上の木造家屋より馬込銀座よりだたまだお住まいかもしれないとおもうがかなり古そう。また環七通りをはさんで反対の山王側にもなんで残っているんだろうとおもうようなコンクリート製の長屋が残っていたりする。この辺りもたまにテレビドラマのロケがったりするのだが古い趣の建物が残っているのをセットとして使うためでもあるらしい。

 

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 余談だが東日本大震災の時にだめになった場所が環七通り沿い、馬込銀座にあった。第一京浜浴場という銭湯がそれだ。震災の時に煙突がぽきりと折れて倒れてしまったのだが丁度銭湯の建物自身の上に倒れたため周囲に被害は出ず、銭湯内にもひとが居なかったためけが人も出なかった。ただ再建するだけの余力はなく廃業されてしまった。第一京浜浴場のあとは駐車場になっている。

 

馬込の失われた建物たちシリーズ

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