力不足に気づく時

 自分も40歳台に入って以降は勤務先でそれなりの責任を持たせてもらうようになった。言い方を替えればひとに動いてもらう立場になった。上司より上の人間から見た時に求めているよりも少し上の成果を常に出していたい等と考えて日々勤務に当たるわけだが、どこかで(リーダーとか柄じゃないな)と思うこともある。

 とはいえチームリーディングなりマネージメントなりという「仕事」に向いている等というひとはごく稀な存在であって、ほとんどのリーダー、マネージャーはその役割を任される段になって初めてそういう「仕事」があり自分がその任にあることに気が付き取り組むのではないかという気がする。私も後者のひとりだ。

 先に PMI 日本支部が主催者に入っているシンポジウムを聴講した際にプロジェクトマネージャーについて「自分の職責に気づく、という段階が重要」というような話が出たのが印象深かった。とても曖昧な表現なようだけれど、やらされてやるのでもなく、降りかかった責任を忌避するのでもなく、自分で気づいて腑に落とすという段階を経なければ良いマネージャーは生まれないというのは優れた指摘だと思った。

 とはいえ、向いてない人間がやるのだから時に失敗もあり、凹むこともある。

 先に鵠沼で行われたバーベキュー会に参加した時にゴミの分別がきちんとしておらず、翌日全てのゴミの分別をやり直して頂くという事態が発生し、参加者がみな反省を迫られるということがあった。

 それぞれお詫び申し上げたのだが、申し訳ない気持ちを感じた時に私の脳裏には(あの時と何も変わってないじゃん)と蘇ってきた記憶があった。

 大阪市立大学合気道部で自分が主将だった時のことだが、道場合宿というイベントがあった。師範道場である吹田の天之武産合気塾道場に何日か泊まり込んでの稽古である。

 道場は一階に禊場が設けられているが、他に台所もある。師範代の先生に「台所で自炊をしても良い」と言われたので私は主将として食事をつるくよう二回生、一回生に指示したのだが、一日でやめになった。他の幹部に「女子部員しか働いていない」と指摘を受けたからだった。

 合気道部においては私の代(二十二代)は4名しかなく、私以外は女性が3名という構成だった。それぞれ制約があり、最初から道場合宿に参加していた幹部は私と副将だけだった。時間をつくって参加した別の幹部が夕食をつくる様子を見るなり「こんなの意味が無い」と喝破したのだった。私としては特定の部員に負担がかかるような作業にならないよう目を配る責任があったのだが、全然できていなかった訳だ。面目もなかった。行事を遂行していると多少ハイになるところもあり、その勢いだけで乗り切ろうとするところもあったのだろうとおもう。

 バーベキューを例に取れば最初からゴミの分別や持ち帰りルールなどまで決めておこう……というのが具体的な教訓であろうかとおもうのだけれど、特定のひとが大変な思いをするような事態を未然に防ぐちからは今の自分にもないのだと改めておもった。もうあの道場合宿から25年ほど経っているのだけれど。