50年後紫陽花革命をどう評価されたいか

 昨年にこのような文章を書いた。


放射能より恐ろしいもの - 椋箚記 放射能より恐ろしいもの - 椋箚記


 書いてから1年と少し経ったこととなるが、この間ここで書いた考えはずっと頭の中にあった。「原子力発電所は全て廃止すべきだ」という主張は、東日本大震災後現在に至るまで続いている福島第一原子力発電所の事故から想定されるリスクを考えれば唱える方が出て来るのは已むを得ないとおもう。ただ、リスクを生んだ病根に対する対策としては充分ではない。根本的に問題の根を断つにはどうすれば良いのか、というような問題意識があった。

 与党としての民主党はこの1年半自民党が与党であった時代とある意味大差ない政策を取ることとなった。私が大差ない、と表現するのはおおきく唱えられていた「官僚組織主導ではなく、政治家主導で」としていた方針が実現されず従来通りである、ということを指している。

鳩山政権の政権構想 5策
原則1 官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。
原則2 政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ。
原則3 各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。
原則4 タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。
原則5 中央集権から、地域主権へ。

(2009年の衆議院議員選挙時の民主党マニフェストの冒頭より抜粋)


 民主党マニフェストの中に、中国語において「つまづく、つまづかせる、邪魔をする」という意を持つという「絆」という語が2009年の時点から出ているのはなかなか興味深い。それはさておき。

 つまり1年前からの私の危惧の対象は改善されず、あるいは寧ろ悪化している。私の危惧の対象、というか問題意識は行政組織と企業組織がごく一部の人間の利益を優先して行動し続けており、大多数の利益を優先しない事だということになるかとおもう。

 例えば大飯原発を再稼働させる、という選択肢は今後原発を縮退していく道程のなかの策として有り得るものなのかもしれないが、恐らくはその決定が政治家主導などではなく、官僚組織主導の結論ありきであろう、と考えられること。

 例えば原子力発電所の誘致にあたっては贈賄と言ってもおかしくないお金が動き、反対するものには嫌がらせが行われ、稼働後は雇用という利益で縛られるというようなやり方が企業によって行われることが罷り通っていること。

 例えば今ならばオスプレイという猛禽類の名前を付けられた軍用離着陸機の配備の是非がよく報道にのる論点だが、そもそも米軍基地の受け入れが結論ありきで行政組織による補助金や備品供与と引き換えに行われていること。

 過去の公害で繰り広げられたのと同じようなことが原発や米軍基地に関して行われている。

 更に言うと強弁や黙殺が公の場で罷り通っていることにも私の懸念は強い。

 首相官邸周辺では毎金曜日デモが行われているが、野田総理大臣がそれについてあまり取り合っている風には見えない。勿論総理大臣色にはそれに相応しい役務がありそれをまず優先するのが正しいし、単に岸信介以来の伝統に則っているだけなのかもしれない。


「多くの声しっかり受け止める」=反原発デモに野田首相 - WSJ日本版 - jp.WSJ.com 「多くの声しっかり受け止める」=反原発デモに野田首相 - WSJ日本版 - jp.WSJ.com


 だが私にはどうも周囲の政治者や行政者に「取り合っちゃいけませんよ」と言われてそうしているような絵が想像されて落ち着かない。自分達が無視されているとかそういう話しではなく、恐喝や暴行で人を自殺に追い込んでいながら「やっていません」と強弁する中学生や担当教職者、行政担当者の一群と印象が被ってしまう。強弁すれば予め設定した結論が通る、というような没希望的な社会への歩みを放置する事はやはり自分の子供達の為に出来ないとおもう。

 と書きながら私はこれまでデモに参加していない。あくまでも家庭と勤務を優先しているのが現状で、今後参加することでここに述べた懸念に対する小さなアピールをするかもしれないが、口だけでその程度であると言われればそれまでかと思う。

 ただ、数万人がデモ集まり意思表明できているうちに、デモに参加していないひとも別の準備を分担できれば良いとおもう。いかに現状の改善に参加できるような議員や首長を持ち、改善案を準備するか、というようなことをイメージする。

 政権交代した結果何も変わらなかった、という眼前の光景には脱力感を覚えざるを得ないが、振り返ってみれば今まで選挙というものが本当に正しく機能したと思えたことの方がずっと少ないし機能していないのは仕組みに不備があるからだろうと考えている。不備というのは選挙におけるネットの利用制限や、投票率の規定が無いことなどを指している。

 改善ってなんだそんなことか……という事かもしれないが、そういう「おかしな点」をひとつひとつ見つけて考えながら直して行くことで子供達のために良い世の中が用意出来るのではないだろうか。明治維新のような膨大な血を流しての「革命」は我々のとる道ではないだろうし、維新の結果生まれた官僚組織や企業組織が(官僚や経営者が、ではない)今の我々の問題の一部になっていることを思うと繰り返すのが正しいとは思えない。1960年台の安保闘争学生運動の記録や記憶は近しい時代の鏡として持っておけば良いのだろうとおもう。たとえば50年後、かなりの人が入れ替わった頃に現在の「革命」は賢明で強かだったと評価されたいものなのだが。