懐かしい本

 最近子どもらに本を読んでいてふと、小学生の頃に家に『ユンボギの日記』という本があったのを思い出した。私が持っていたのは下のこのカバーの版だった。

ユンボギの日記―あの空にも悲しみが

ユンボギの日記―あの空にも悲しみが

 自分の小遣いで買ったというような記憶はないので、父か母が買ってきたのかとおもう。改めて調べてみると、この頃この本は結構広く読まれていたので、自然なセレクトだったような気がする。

 今では最新訳も出ているので、改めて買って子供に読ませてみるのも良いのかもしれない。ただ、ユンボギが日記に書いたほどの貧しい生活というのは日本にも韓国にも今は無いはずで(そう信じている)どのような反応を我が子に齎すことになるのか、ちょっと想像ができない。

あの空にも悲しみが。―完訳「ユンボギの日記」

あの空にも悲しみが。―完訳「ユンボギの日記」

 といっても私が子供の時点でも既にいわゆるホームレスのおっさんは見かけても浮浪児などという存在は回りに見られなかった。『ユンボギの日記』は『トム・ソーヤの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』を読むのと変わらない、昔のお話しとして読んでいたのかもしれない。

 ただ、時間的には昔のお話しであっても地理的には韓国はごく近い場所の話しだと認識していたような記憶がある。在日の韓国の方々が多い関西で生まれ育ち、地理的に近い博多でも3年ほど過ごしたことと関係あるのかもしれないが「同じアジアのお話し」として自分と断絶した話でもまた無い感覚があった。

 本を父母が買ってくれたとして、そこまで考えて選んだのかは不明だが、私が世に言う嫌韓の風には共感するとこが乏しいのには『ユンボギの日記』から得たものも多少あるのかもしれない。

 改めてウィキペディアを参照したところ当初『ユンボギの日記』を刊行した出版会社は北朝鮮寄りの出版物が多く、この本も韓国ではこのような貧困がある、と貶める意図があって出版したのではないかと推測されるとの記載があった。本当に李潤福さんの筆力に気づかずに出版を進めたとしたらそれはそれで面白いがどうだったのだろうか。