道徳的錯誤横行への危機感を共時的に感じた話

 先に子供と本の話のことを書いた際に冒頭で触れた、岸本和世さんと昨年から時々、メールのやりとりをするようになった。岸本さんは私が小学生で博多に住んでいた時通っていた福岡警固教会で当時牧師をされていた。1977 年から 1979 年にかけてのことである。

 岸本さんが Translators United for Peace という団体に所属され、下記翻訳を手がけておられるのを昨年知り、Amazon で購入して読んだ。

爆撃 (岩波ブックレット)

爆撃 (岩波ブックレット)

 原著者の Howard Zinn はニューヨーク生まれの歴史家、社会学者。同時に公民権運動やベトナム反戦運動に参加した行動の人でもあったと知った。原著 "The Bomb" は彼の遺作なのだそうだ。岩波ブックレットに採用されているのが非常に的確と思える、読み易くコンパクトに書かれているが質の高い内容と感じた。

ヒロシマの原爆」と並んで章を成しているのが「ロワイヤン爆撃」であり、この構成が示唆に富んでいる。

 広島においては原子力爆弾、ロワイヤンにおいてはナパーム弾という当時における新型兵器を使う、ということが全てに優先され、軍隊という組織においても、アメリカの世論においても、犯罪が看過され反省も薄かったということが理解できるように書かれている。

 ジン博士がインタビューに答えている映像があった。何故上記のような道徳的錯誤が罷り通るのか。繰り返されるのか。彼の著作を読むに当たって理解の助けになるだろうと思う。良いコンテンツが公開されているものだ。


第2次世界大戦時と現在の類似点


『爆撃』を読んだあと、私は岩波書店の編集部気付けで岸本さんに手紙を書いた。そこからメールでのやりとりが始まっている。

 先日も岸本先生からメールを頂いた。メールといっても多くの人に読んで頂ければ、と私も含めた複数の方にBCCを使って送られたものだった。下記リンク先の記事を紹介されていた。

原発マネーに負けなかった男 (高知) − JanJanBlog

 高知県に原子力発電所を誘致する動きを実に三度に渡って阻止した方についての取材の記事。

 他の原子力発電所を建ててしまった地域について聞いても、誘致にあたって単に多くの雇用を生み出すというような単純な話だけでなく、賄賂と判断できるような金も使われたというのは現実にあったことなのであろう。

「雇用を生み出す」であったり「CO2を排出しない原子力発電にシフトすべきだ」というような間違っている訳ではない理由を謳って利権を得るために奔る様というのは、原子力爆弾を使うために民間人への爆撃を正当化した様子と似通っている。

 全くの偶然だろうが、岸本先生からメールを頂いた日帰宅すると、大阪市立大学合気道部の同期から大きな封筒で郵便物が届いていた。

 第2次世界大戦中に宇部で起きた、長生炭鉱水没事故について追悼碑の建立を進める活動の手伝いをしていて、募金に協力してもらえないか、という相談の手紙が長生炭鉱水没事故についての資料に添えられていた。

 長生炭鉱の事故については彼女からの手紙で初めて知った。

 宇部の海底炭田で落盤事故により実に183名が亡くなった事故で、救出活動も不可能と判断され遺体は収容されていない。いかに戦時中とはいえこれほどの人数が一度に亡くなってそれほど知られていないのは──少なくとも私は山口が地元であるにも関わらず知らずに40数年過ごしているのでそう表現するのだが──犠牲者の方々のうち137名までが朝鮮半島から来た労働者であったことと無関係ではないだろうと思われる。

 遺族や生存者の証言をまとめた冊子を読むと、事故が起きる以前から水漏れは起きていたが水非常(炭鉱において出水事故をこう呼ぶとのこと)に対するリスク対策は全く取られなかったという。東京電力の、原子力保安院の、リスクに対する無策と重ねて読まざるを得なかった。宇部における水非常はこれ以前にも1916年に東見初炭鉱で、1920年に新浦炭鉱で起きているのだそうでその反省も為されなかったと評価できる。

 また、主に軍備に対して無理な石炭採掘を採掘者の安全よりも優先した道徳的錯誤もまた共通する。連合軍は日本やドイツ(軍守備隊が駐留していたことになっていたロワイヤン)を危険なファシストであるとして原子力爆弾やナパーム弾で攻撃し、長生炭鉱の経営者は出稼ぎ労働者を劣悪な条件で働かせ見殺しにした。東京電力の経営陣は福島第一原発の事故現場で危険な作業に当たっている従業員を自分たちの仲間として見ているだろうか。

 長生炭鉱について語り継ぐ活動については、近日微額ながら募金をしようと考えている。

長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会