父の萩市議選立候補について

 当初話を聞いた時には困惑していたことなのだが、既に本決まりになっていること、私にも心境の変化があったことから書いておく。私の父親が今年の4月にある山口県萩市の市議会選挙に立候補する予定である……という話。

 最初にその話を父親から聞いたのは昨年の春ごろだった気がする。聞いた私は即「他に(適任の候補者は)おらんのかね」と父に返した。なにしろ椋家から代議士議員など出たこともなく、およそ政治行政に縁がなかったからだし、また親族はというと私の一家が東京、妹一家が大阪と遠方に住んでいて手伝いが出来る訳もなかったこともあった。

 実際には「他の適任者」は見つからなかったらしく、また選挙については地元の方々が後援会を立ち上げて手伝いという話で進んだようで父は候補者とした立つこととなった。

 きちんと話を聞いた訳ではないが、父が候補者として担がれたのは概ねこういう経緯であろうかとおもう。

 私(と家内も)の実家がある山口県の須佐というまちは、萩市から海岸沿いに東に行ったところにある。島根県との県境に近い。もともと「山口県阿武郡須佐町」だったのだが、2005年に全国各地で市町村合併が進んだ際に萩市と合併して「山口県萩市大字須佐」となった。余談だが丁度この合併の直後に私は一家で大阪府豊中市上新田から東京に移ってきたので免許の本籍地を新しい住所で書いたのをよく覚えている。

 さてその合併翌年の2006年4月に萩市議選挙があったのだが、「是非須佐からも市議を」ということだったのだろうか。須佐地区から候補者が乱立し、当然のことながら票が割れてしまい結果的に共産党所属の候補者の方だけが須佐地区(正確には須佐町弥富)から当選、という結果で終わってしまった。その唯一の当選者である宮内きんじ氏発信の情報では下記のようになっている。須佐と田万川はそんなに規模は変わらないから、立候補者が倍というのが無謀であることが分かる。

萩地区 26人立候補、22人当選
須佐地区 6人立候補、 1人当選
田万川地区 3人立候補、2人当選
むつみ地区 3人立候補、当選者なし
福栄地区 4人立候補、2人当選
旭地区 1人立候補、1人当選
川上地区 2人立候補、2人当選

合併後の萩市議選挙で宮内きんじ候補1436票 第3位で当選  選挙結果すさ民報 明るい萩 田万川民報、tifファイル)


 その教訓を生かして候補者を絞ろう、という動きが須佐ではあったようなのだが、2006年に立候補した方々は皆2010年の選挙については立候補を辞退され、無所属の立候補者を新たに探すということになったらしい。

父の経歴

 一方私の父だが、現在須佐でひとりで暮らしている。約十年前だが60歳になった時、当時要介護の状態だった両親(私の祖父母)をみるために定年ですっぱり勤め先を退職し郷里の須佐に戻った。

 2004年1月に祖父が、2007年8月に祖母が他界したのだが、想定外だったのが父と一緒に祖父母を介護していた母が2006年に急に他界してしまったことだった。私や妹としては、介護がひといきついたら父母を旅行に誘うとかゆっくりしてほしい、という気でいたのだが孝行をし尽くさないうちのことだった。当然ながら父としてもダメージがあったと思う。

 かくして父は須佐で独り暮らしとなった。定年退職していなければまだ仕事が出来る年齢であるし、銀行員としてやってきてフィナンシャル・プランナーの資格も持っている人材を地元が放っておかず、既にしんわ苑という知的障害者の介護施設で役職についたりしていた。そういった地域での活動をしていたことから、白羽の矢が立った。

 おそらく母が存命であれば彼女が最初に立候補に難色を示した気がするし、そうなったら私ももうちょっと反対したかもしれない。だが父がひとりで須佐で暮らしていて、親族なんぞのしがらみから離れて立候補するという話である以上、強硬に反対するだけの動機を失って今に至っている。

心境の変化

 私が立候補にあまりいい顔をしなかった、というのは椋家が政治に縁がなかったこと、家族が手伝える訳でないという事情などがあると書いたが、他にもいろいろおもうことがあった。

 例えば「須佐から市議を出す」、ということに何か意味があるのか、イマイチ理解できなかったこと。

 もちろん須佐地区の利益代表者を議会に出す、ということなのかもしれないが、萩の市議となったら萩市全体について仕事をすべきだろうし、何かずれているような気がした。今まで政治行政の世界を志した訳ではない父が取り組んでいいものなのか、お呼びでないのではないだろうか、ともおもった。

 更には選挙という場になると、およそ我々の常識とはかけ離れた考えで事が進められる、という話も聞くし、そういうことに巻き込まれて良いものだろうかという微かな恐怖心も(父の事ながら)あった。

 そういったところから「心境の変化」があった、というのは、ネット上で様々な代議士議員さんとやりとりしているうちに生まれてきた。

 昨年からネットの利用が圧倒的に Twitter に寄っているのだが、Twitter では代議士議員の方のアカウントもフォローしている。post をただ読んでいるだけの時もあれば、実際にコメントのやりとりをすることもある。「地方自治体議員さん」というくくりでいうと今、私がフォローしているのはこんな方々。

 ぽりったー http://politter.com/ で再チェックしてみた。もし漏れていたら失礼ご容赦。

 議員さんから、時として政治行政とは関係ない、生活や趣味のハナシといった tweet も含めて言葉のやりとりをしている中で聞こえてきたのは、

「政治家になるのに条件なんかない。誰でもなれる。なってみたいという意思があるなら立候補するべき」
「最初から志があって議員になった訳じゃない。当選当初は自分もいい加減なものだった」

 というような声だった。また、

「自分は地方自治体でやっていきたい」

 というような発言に接した時には、地方自治体は国政の下部組織なんぞじゃなく、むしろ地方自治体が国政や省庁の縛りから自由にそれぞれの施策を進めることにこそ可能性があると感じていた自分は、その意思に好意と安堵感をもった。また、

地方自治体だと、政党というくくりでは必ずしも動かない」

 という指摘には目から鱗が落ちる思いをした。

 要は最初から全ての理屈に応えて臨む必要はなく、もし仮に当選して萩市の仕事ができるようならば、体を壊さぬ程度にご奉公できれば良いのでないか、というふうに考えが変わってきたのがこの半年ほどのことだった。

お願い

 父によると、須佐地区の候補者の一本化(おそらく無所属の、という意味ね)は出来たが当選できるかどうかは難しい状況に変わりはない、という分析だそうだ。

 ちなみに先の2006年萩市市議会選挙の結果を見ると、投票率 76.91% とまぁそこそこまともな数字が出ている。

萩市議会議員選挙結果(平成18年4月23日執行)


 選挙運動に関わらず選挙権もない部外者の私としては、今年4月の市議会選挙でも前回と同程度の、あるいはより多いひとの投票でもって議員を選んで欲しいとだけ、おもう。

 父の当選を果たさなくとも市政が今後も良い方向に進んでいき、市民の暮らしようがよければ須佐のひとたちも文句はなかろうとおもう。須佐地区の代表者が関わったことで良くなったとか悪くなったとかは瑣末なことであろうし、また地区から議員を出せなかったからといって市民が市政に関わらなくてよいということとは別問題。

 この文章を目に留めた萩市にお住まいの方々、どうか立候補者をよく観察して、投票をして下さい。そしてもし椋晶雄(むくのき あきお)という立候補者の話を聞く機会があれば、感じたことをコメントなりで教えて下さい。