松旭斎天勝と三島由紀夫

 大田文化の森で三島由紀夫の『仮面の告白』の文庫版を借りて読んでいた。返却期日が来たので途中で返してしまったので、また借りて読もうとおもう。

仮面の告白』の最初の部分で、「汚穢屋の青年に魅せられる」のような印象的な逸話がいくつか語られるが、その中で「松旭斎天勝の舞台を見て、あれになりたいとおもう」というのがあり、へぇ、とおもった。

「へぇ」というのは、松旭斎しょうきょくさい天勝てんかつさんのお墓が、自宅のすぐ近くの馬込万福寺の墓地内にあるのである。

 松旭斎天勝は明治後期から昭和初期にかけて活躍したマジシャンである。女性で欧米風のショーアップされたマジック(当時でいえば、奇術)のステージを披露した嚆矢であるらしい。女性でマジシャンというと二代目引田天弘を思い出すが、彼女の師匠である初代引田天弘の師は松旭斎天洋といい、このひとはおそらく天勝さんの兄弟弟子だった人物のような気がするので、プリンセス・テンコーも天勝さん以来の伝統を受け継ぐひとと言えるのだろう。


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 さて、うちは三島由紀夫の旧邸にも近い。三島由紀夫が当作『仮面の告白』を発表して華々しく文壇デビューするのは1949年、天勝さんが亡くなられるのが終戦直前の1944年とのことである。三島が馬込に屋敷を構えるのはずっと後のはず。偶然なのだろうが、両者が馬込に吸い寄せられているようで面白い。「天勝の舞台を見た」というのは平岡公威(三島の本名)の子供の頃の実体験を下敷きにしているるのだとおもわれるが、その後三島は、近くに天勝の墓所があることを知って、何らかの感慨を持ったり、墓所に参ったりしただろうか。