スタンレー・プラニン氏へのお悔やみ

 先日2009年の合気道に関する文章のリンクについて Twitter でポストがあった旨通知があった。そんなに頻々とあることではないがそのように過去書いたものを掘り起こしていただくことは有難くある。その方の Twitter のポストを参照するとひとつあとのポストがスタンレー・プラニンさんの訃報記事のリンクがあり、プラニンさんについて調べていて目にされたのかなと推測することとなった。それより、それを読むまでプラニンさんの訃報について知らなかったので急ぎ調べることとなった。2017年3月7日にラスベガスで逝去、胃癌だったとのことだ。存じ上げず、すぐにお悔やみ申し上げられなかったことを申し訳なくおもう。Facebook に彼が立ち上げた合気道のためのメディア "Aikido Journal" のページがあり、訃報のポストに遅ればせながらお悔やみのコメントを入れた。

 

 

 合気ニュースを立ち上げて合気道植芝盛平翁先生に関するあらゆる情報を蒐集、アーカイブ、発信してきたスターンレー・プラニン氏の業績には合気道を稽古しているひとならば誰しもお世話になっているはずで、勿論私もそのひとりである。彼が初めて来日したのは植芝盛平翁先生が亡くなられた直後であり、翁先生に会えなかったことからくる飢餓感がそのアーカイブ構築のモチベーションになったのだろうと推測するが、その成果の恩恵には一番情報が集積されてよいはずの日本の稽古者達も浴している。私が合気道を始めた頃に師範である阿部醒石先生の指導を受けられる機会がなかなか無く、阿部先生が道場に定期的に来ていただけるようになってからは出来るだけ道場に行くようにしていたのと同じような渇望感であったのではなかったかと勝手に共感する。

 

 少し前にも書いたが合気ニュース社から出ていた書籍は年月も経って絶版状態になっているものが増えていて、代わりに一部書籍はキンドルで読めるよう電子化が進められている。下記あたりは合気道に関する資料のなかでも白眉だとおもうのだが既に古書のみ、あるいは在庫わずかになっていて電子化を切望するものではある。

 

植芝盛平と合気道―開祖を語る19人の弟子たち (合気ニュースブックシリーズ 1)

植芝盛平と合気道―開祖を語る19人の弟子たち (合気ニュースブックシリーズ 1)

 

 

[DVD] 植芝盛平と合気道 第一巻 「合気武道編」

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 合気ニュース社の後身であるどう出版が対応いただけるか待つものだが、今回どう出版が note を使ってスタンレー・プラニンさんが合気ニュースに掲載した論説を無償で公開していることに気がついた。

合気道史家 スタンレー・プラニンの「論説」 | 合気道史探究|どう出版

 

 また2012年にプラニンさんが来日されていた時にどう出版編集部の方と会われている様子が Facebook ページに投稿されているのを読んだ。この辺りを読んでいて、かつて合気道専門誌が無くなっていくことを書いた際に敢えて触れなかった可能性のことをおもうようになった。

 

mukunokiyasuo.hatenablog.com

 

 触れなかったこと、というのはプラニンさんが合気ニュースから離れていった理由のことで、プラニンさんと他の編集メンバーの方向性の違いにより離れられたのだろうかという想定で書いていた。2012年のどう出版 Facebook ページをみる限り関係は良好だったように思われる。そしてプラニンさんの論説文を読むと合気ニュースの方針が不偏不党であったことが明言されている。

 

 最後に、合気ニュースの「中立性」についてお話ししたいと思います。  「中立性」という表現は、私たちの合気道流派に対する態度を述べる時によく使われますが、「独立」という表現のほうがもっと的確かと思います。

【論説】合気ニュースとは? | どう出版 | note より

 

  あまり考えたくないことだが、主流を占めている合気会に所属するかたの中に「何故岩間(齋藤守弘師範、齋藤仁弘師範)を取り上げる取り上げるのか」「万生館(砂泊諴秀師範)をとりあげるとは」というようなことをプラニンさんに言われる方があって、それにやりにくさを感じるようになって帰国しての活動を決断させたということはなかっただろうか。プラニンさんが日本を去ったことで、日本に残った編集部は自然に合気会から距離ができ、ひいては合気道からも距離ができてしまったのではないだろうか。

 

合気道専門誌についての考察」でも書いたように空手の宇城憲治師範への不自然な偏重があってひとつの原因でこうなったのではないのではないかとは考えるのだがそんなことまで改めて思い当たった。

 

 それはさておき、スタンレー・プラニン氏の合気道史研究結果の恩恵を浴してきたことを改めておもい、心より御礼と御悔やみを申し上げる。その気持ちの発露のひとつとして、初めて Wikipedia にアカウントを作ってスタンレーさんの日本語のページを更新した。英語のページには既に没年が反映されていた。