神仏混淆の光景

 今年は御会式は見にいかなかった。妻はもともと人混みがそんなに好きではない。このたびは長男も同じようなことを言った。歩いて行ける距離の神社の秋祭りは友達も集まるし行くのだが、わざわざ出かけて行くような距離のお祭りはいい、という。

 

 今日は東急荏原町駅のすぐ前にある法蓮寺さんで御会式だった。19時頃から始まるのだが、たまたま勤務が早く終わって明るいうちに荏原町駅についてしまったのでそのまま帰宅してきてしまった。

 

 17時半ぐらいだったか、既に準備を始められていた地元中延の講の皆さんが庚申堂に参っておられた。講の方々だけでなく法蓮寺の御坊様だろうか、お経を唱えに来ておられた。いい光景だなぁ、と思いながら見ていた。普段この庚申様の前を通るのでよく御参りしていくが今日は遠慮していった。

 

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 庚申様は東京に多い。東京全域に多いのか確かめていないが馬込をはじめ大田区ではよく見るし、荏原町の庚申堂のある品川区、更には目黒区や世田谷区でもあちこちで見るような印象がある。一方例えばかつて住んでいた大阪だとお地蔵様の方が多いような気がする。改めて検索してみると四天王寺には庚申堂がありよく知られているようだがそれ以外にはあまり情報が出てこないのでやはり東京近辺で盛んなものなのかもしれない。もともと道教における三尸(さんし)という、人間の体内に住んで天帝に住んでいる人間について報告するという虫についての説話に由来する信仰で、庚申様にはたいてい三尸を押さえることができる神様である青面金剛三尸が石に刻まれて祀られている。

 

 この青面金剛について南方熊楠氏は『十二支考』のなかの『猴に関する伝説』においてヒンドゥー教に原初を求められるのではないか、と述べている。

 

明治二十六年予、故サー・ウォラストン・フランクス(『大英百科全書』十一版十一巻に伝あり)を助けて大英博物館の仏像整理中、本邦祀るところの庚申青面金剛像に必ず三猿を副える由話すと、氏はそれはヒンズー教ハヌマン崇拝の転入だろうと言われた。当時パリにあった土宜法竜師(現に高野山館長)へ問い合わせたところ、青面金剛はどうもハヌマンが仕えた羅摩の本体韋紐神より転化せるごとしとて、色々二者の形相を対照し、フランクス氏の推測中れるよう答えられた(一九〇三年ロンドン発行『ノーツ・エンド・キーリス』九輯十一巻四三〇頁已下、拙文「三猿考」)。ここに詳述せぬが二氏の見は正しと惟う。

   

 

十二支考〈下〉 (岩波文庫)

十二支考〈下〉 (岩波文庫)

 

 

  この時点ですでにヒンドゥー教と道教が混交しているのだが日本においては更に猿田彦神に比定されている。現在こそ我々は神社と寺院が区別されたのを目の前にしているけれど廃仏毀釈をやるまでは神仏混淆のなかで様々なものに手を合わせていた。

 

 日蓮宗にしても鎌倉時代に興された新興宗教であって仏教だとしてよいのかという議論があっても良いのではないかとすら私などはおもう。その日蓮宗の宗祖である日蓮上人の御会式に先立って庚申様にもちゃんとご挨拶をする……というところに江戸時代以前からの我々の態度が今に遺されているのを見たおもいがして、心地よかった。