椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

馬込の地名 天沼

 馬込と東急荏原町駅とを行き来する途中、バス通りの東側辺りを天沼という。「天沼町会」と書かれた掲示板を見る度に(本当に「天」だよなぁ)などとおもう。この辺りで一番高いところにあり、中馬込側からみても、荏原町側からみても上って行くようになることからの実感である。

 

 実際この辺りは馬込で一番標高が高く、北馬込宗福寺の辺りで海抜28m ちょっとある。現在どこにも沼は見当たらないが宗福寺の背後には内川の源流もある(現在は環七にほど近い丘の中腹にひっそりと源流の碑が建てられているが、実際は馬込第三小学校辺りに源流があったのではないかと考えている)。宗福寺は天沼町会ではなく寺郷町会に属するが(おそらく宗福寺さんがあるからこの名前なのだろう)バス通りを挟んで天沼と向かい合っている。天沼にも水が湧いて池になっている場所がかつてあったのかもしれない。

 

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 ところで天沼、という地名について調べてみると必ず「乗潴駅」というものに行き当たる。『続日本紀』に出てくるというから奈良時代の官道における駅の名前である。

 

 道鏡を重用したことで日本史において妙な印象を遺してしまった称徳天皇神護景雲二年三月に紀朝臣廣名(広名)という人物等が「乘潴驛と豊嶋驛は往来が繁多であるため配置する駅馬を十頭に増やしていただきたい」ということを他の改善案とともに建言し認められたという議事録的な記載で登場する。紀広名「等」が、と書かれているが彼が東海道巡察使という役職だったことから特に名が記されているようだ。ちなみに『続日本紀』だけでなく他の文献でも「乘潴驛」の駅名が確認されているのはこの箇所だけらしい。

 

 「乘潴」の「潴」だがさんずいに猪という字は珍しく地名や姓で以外で使われることは稀かと思われる。音読みで「チョ」、訓読みで「みずたまり」だが「乘潴驛」の場合「あまぬま」と読み、現在の杉並区天沼に比定するのが通説になっている。これに対して「乘潴」を「のりぬま」と読み、これが転訛して「ねりま」、つまり今の練馬になったというのが別説としてある。

 

 ところが先日平凡社の『東京都の地名』をめくっていて興味深い異説が述べられてあるのに気がついた。引用させていただくとかように書いてある。

 

乗潴駅 あまぬまのえき

続日本紀神護景雲二年(七六八)三月乙巳条にみえ、東海・東山両道の駅使が利用する当駅の駅馬を十疋に加増している。「大日本地名辞書」は杉並区天沼町の辺りに比定し、武蔵国府(現府中市)を出た駅使は東に進んで乗潴駅に入り、そこからさらに東進して豊嶋駅に至ったと考えている。この所見は有力学説となっているが、当時の駅道が武蔵国府から東進していたとする点に疑問があり、延喜式制にみる官道のあり方を八世紀段階に遡及し得るとすれば、その路線上に措定すべきこととなる。こうした観点にたつと注目されるのが、近世の馬込村にかつてあった小字天沼であり、この辺りに乗潴駅を比定し得ることとなろう。馬込は時として駅がらみの地名であり、この所見にとり有力な支証である。乗潴駅は「続日本紀」の記事にみえるのみで、延喜式の段階で廃止されているが、馬込に近い大井(現品川区)に移遷され大井駅となったと推考される。

 『東京都の地名』(日本歴史地名大系 第十三巻 平凡社刊) P.780 より 

 

 これを読んで(ああ、品川道のことか)とすぐに思い当たった。品川道は武蔵国府、現在の府中市大国國魂神社を始点とし南東へ向かい多摩川をこえて品川に至る古街道で現在の馬込天沼町会の北辺の道が品川道の一部に当たるのである。天沼町会北西の端の道向かい──というか荏原町商店街入り口の辻角に品川道と田無街道(現在のバス通り)が交差していることを示す石の道標が今も遺されて立っている。

 

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天沼の西北の角から品川道を。左奥が武蔵国府側、右手前が品川。右奥は荏原町商店街。 

 

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 上の写真の真ん中、コンビニエンス・ストアのスリーエフの角にある道標。「東 品川道」とある。昨年だったか柵が設置された。

 

「馬込」の地名自体が官道における駅馬にまで遡れるかというと即断し兼ねるが、延喜式というと続日本紀より百年ほどあとで、その時点既に武蔵国府から品川へのみちが官道として存在していたならば上記馬込天沼を乗潴駅に比定する説はあながち突飛な説とはいえず寧ろ有力な別説と評価して良いのではないだろうか。

 

 品川道を西に行くと(上の写真の左奥の方)環七通りを越えるあたりから東急長原駅前の商店街になり、商店街を抜けると中原街道に合流して洗足池の南の畔を通ることとなる。大田区津波などを想定したハザードマップを眺めているとこの辺りで標高が最も高いのは洗足池の周りの丘であるらしい。そう考えると洗足池こそ「あまぬま」らしくもおもえるが洗足池は古名は「大池」ともいい当時も今も変わらず豊富な水をたたえていて「潴(みずたまり)」とは呼び難い。洗足池を越えてまたちょっと小高くなった辺りに池というほどもない湧き水が「潴(ぬま)」を成していてそこに官馬が詰める駅があったのではないか。そう考えるとなかなか面白く馬込の住人としては強く推したい気持ちである。

 

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 天沼町会の防災マップに一部加筆。お借りした PDF のリンクはこちら → 大田区ホームページ:わがまち防災マップ 南馬込西一会(PDF:3,649KB)B)。黄色い線が品川道。左上の方の●が道標のある場所。

 

馬込の地名シリーズ

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