椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

鵠沼と馬込

 鵠沼を初めて訪れてきた。

 私が『猫間川をさがせ』を書いた時以来お世話になっている野知潤一さんが来京されるにあたり、電子書籍関係の人達が集まってバーベキュー会を開こう、という話になり、Facebook 上で企画が膨らんで「湘南九州バーベキュー麦酒電書」なる催しに発展したのに参加させてもらってきたことによる。

 大のおとな、それもかなりバイタリティある人達が集まるので楽しい会になった。私はおとなの方々よりも子ども達と遊んでいる時間の方が長かったような気がしないでもないが、楽しんできた事に変わりはなく。イベントとしての反省点はあったのだがそれはまたの機会に書くとしてここでの本題。

 大森から1時間程度で来れる距離ながら湘南の方まで遊びに来ることは珍しい。しかしながら最近鵠沼というまちが気になっていて、訪ねてみたいと感じていた。

 このところあるテーマでもってひたすら馬込やその近辺にかつて住んだ作家の文章、とくに随筆を好んで読んでいる。そのうち子母澤寛さんと今井達夫さんはいずれも馬込から鵠沼に移り住んでおられる。それが私の鵠沼への興味の発端である。

 今井さんの『馬込文学村二十年』には、馬込在住時には子母澤さんと面識はなく、鵠沼に移ってから交流するようになったと書かれている。今井さんは幼少の頃鵠沼に住んで居られたというからそれが縁で住まわれたのだろう。子母澤さんは別荘を鵠沼にお持ちだったところ後に移住されたことが『愛猿記』に収録された、三匹目のお猿さんのことを書いた随筆辺りに出てきていた。いずれにせよ特に交流の無かったお二人が同じように居を鵠沼に求められたことを知ると鵠沼には何があるのだろうとおもうに至った。

愛猿記 (文春文庫)

愛猿記 (文春文庫)

 同じように馬込と鵠沼の両方に住んだ方がおられるだろうかと調べてみると、日夏耿之介さんと真船豊さんもそうだと分かった。日夏耿之介さんは詩人で英文学者。早稲田大学在学中に西条八十氏らと同人誌を創刊した……というと私には親近感が沸く。私の祖父は西条八十の孫弟子のような立場で詩集を自費出版したひとだからという、一方的でかつ迂遠な親近感である。独特の詩作は三島由紀夫氏、澁澤龍彦氏に影響を与えたといえるようだから、このたび改めて興味を持った。馬込近辺においては山王一丁目というから山王小学校の近くに住まわれていたとみえる。病弱であられたため鵠沼下岡円城、現在でいうところの松が岡の別荘に療養のため住まわれた。

日夏耿之介文集 (ちくま学芸文庫)

日夏耿之介文集 (ちくま学芸文庫)

 真船豊さんは劇作家、南馬込5丁目に住まれていた。最初の奥様の療養のために鵠沼に移られたが、鵠沼で過ごされた期間は彼にとってあまり良い時期ではなかったように聞いている。

 こうみていくと馬込から眺めると鵠沼は別荘地、療養地であったらしい。江戸の外、荏原郡の田園であった馬込近辺が東京の都市化に飲まれるに従いより外にある景勝地に創作者のこころは移っていった……という理解で良いのだろうか。

 今回バーベキューの場所をお借りした先の庭では、子ども達は花壇の煉瓦をのけてダンゴムシをあつめたり、バッタを追いかけたりしていた。私も自分が子供の頃、奈良学園前にある実家の庭で同じような虫探しを毎日のようにやっていたことを思い出しながら一緒に多分正しくはクビキリギスであったろうバッタを追いかけたりしていた。我が子達が私のように虫どもに興味を持っているかというと甚だ怪しいのだけれど、そもそもマンションの庭ではひっくり返す煉瓦も限られていて確かめる機会もなかなか無い。

 サーフボードを自転車で運ぶひとたちとすれ違うほど海に近いことも考えあわせて先人が鵠沼を選ばれた気持ちがちょっとだけ分かったような気がした。

(2013年8月6日追記)

 馬込図書館で山本周五郎さんの奥様清水きんさんの著書『夫 山本周五郎』を読んでいたら、山本周五郎さんも鵠沼に滞在して執筆していた時期があったように書かれていた。家を借りたり持たれたのではなく、ホテルなどを使われていたのかもしれない。また彼と親しかった日吉早苗も鵠沼に居た時期があるように書かれていた。

夫 山本周五郎 (福武文庫)

夫 山本周五郎 (福武文庫)

子母澤寛さんというとこんな話もあります

mukunokiyasuo.hatenablog.com

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