受け身のあと

 最近合気道の稽古、特に回し稽古の時に気が付いたことがある。

 回し稽古は大田区合気道会ではよく、ひとりがひとつの技を他の全員一周かけて交代、という形でよくやるのだが、順番を待っている間は他の方の取り(つまり技をかける方)と受け身を見ることとなる。すると、受け身を取ったあとにそのまま畳の外に出て行く方が結構多い。次から次へとかかっていく稽古のため早くのかなきゃ、という気持ちが無意識にも働くのかもしれないが、高段位者の方になるとこれが受け身をとって起き上がるとき取りの方をみてから畳をおりて行かれる。この辺りのどこまでが稽古か、ということの集中力の差がそのひとの技全体に関係している……というのは面白い視点ではないかという気がした。

 受け身をどう取られているか、という観点で過去の先達の受け身を並べてみるとやはり受けは投げられたあとすぐ取りの方を見られているようにおもう。

 植芝盛平翁先生の演武、受けは白田林二郎先生と米川成美先生。

 塩田剛三先生の演武、受けの方の名前が分からないがあの厳しい技のあとすぐに向かっていく。もちろん塩田先生もそのように指導されていただろうと想像する。

 砂泊諴秀先生の演武、この受けも常にに砂泊先生をみている。

 齊藤守弘先生、太刀取りや杖取りでも一緒。

 最近の演武も。多田宏先生。

 合気道に限らず技のあとに相手を見るというのは当然ではないか、と思われるかもしれないが、ちょっと前提が変わっただけで当たり前ではなくなるという現象が発見できたことが興味深いとおもう。誰もが分かっているようで、実は分かっていないかもしれないのだ。

おまけ

 金曜日の夜にテレビ朝日の報道ステーションだったか、サッカー日本代表についての報道で上記と関連した感想を持ったので最後に。岡崎慎司選手を取材していたのだが、自分のゴールを一度キーパーにセーブされたのをヘディングで押し込んでゴールにした映像を指してインタビュアーの中山雅史さんが「これは狙ってただろ?」と聞くと「もちろんです。最後まで目を離さないです」と岡崎選手が答えていた。岡崎選手がここ一番で頼りになるフォワードである理由の重要な部分を占めているのが「最後まで目を離さない」という言葉に集約されているのではないだろうか。

 下の映像は報道ステーションで使われていたものではないが、1分30秒辺りからのオマーン戦でのゴールも一度キーパーに弾かれたものを蹴りこんでいる。彼の言葉が嘘でない証拠であろうかとおもう。