椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

ここでは

 2013年2月2日(土)と3日(日)、東京武道館で開催の東京都合気道指導者講習会に参加してきた。2011年の講習会に続いて参加が出来たことになる。

 今回の稽古の師範は大澤勇人師範。今稽古している大田区合気道会は尾崎師範はじめ駒沢大学合気道部のOBの方々が指導をされているが、大澤師範はその駒沢大学合気道部の現在の師範をされていて、お名前は普段から聞いているし、全日本合気道演武大会でも演武を見せて頂いている。ただ、私は実際に稽古をつけて頂くのは初めてだった。

 目の前の大澤師範は端然とした佇まいで、私はなんとなく落語の名人を見るような印象を持ってお話しを聞いていた。

 大澤勇人師範は稽古において一貫して「ここでは〜とします」「私は〜と、考えています」という言い方を使って説明をされた。普段稽古しているような形とは違うやり方の場合もあるということで、例えば体の転換は普通は転換した時には両手は何かを押し抱くように手のひらを上にして揃える。しかし半身の立ち方をかなりきちんと定義したうえで転換した時も外の手は最初の構えと同様に下段に置くこととして稽古します……という感じ。

 実際に自分が師範の指導通りに出来ていたかは反省しなければならないだろうけれど、その場の指導通りに稽古できるかというのは重要だと普段から自分は考えていて、集中してそのようにしようと心がけていた。

 そういう風に思うようになったのは齊藤守弘師範の講習会での経験からで、ある時に横面打ちからの四方投げについて、前に出て横面を制する場合の足捌きについて質問をさせて頂いたことがあった。私の質問に齊藤師範は「そういうやり方があっても良い。ただ、翁先生がされていたのはこう」という明快な回答をされたのだった。齊藤守弘師範は「翁先生の技をそのまま教えるのが私の使命である」と常に明言されていたのを知っており、御自身が指導される場では「翁先生の技を稽古する」という事には厳密であられる意思をその時にかなり鮮明に感じた。

 大澤師範がその場での稽古する対象を明確に定義して当たられようとするのも本質的には同じであろうと思う。

 なお、稽古中に一度相手がおらずあぶれてしまったことがあったのだが、その時に大澤師範に技をかけて頂いた。正面打ちからの一教抑え、表と裏。普段稽古しない相手であるから非常に丁寧に技をされたのだが(あ、これは気持ちの良い技だ)と思いながら受けを取っていた。私個人の尺度だが上手いとか強いというのとは別に「気持ちが良い」技というのがあって、要は受けが力が入らない方に導くので抵抗するもなにもなく投げられたり抑えられたりする技を指す。まさにそれだと。

 結構段位が上の師範でも技を受けると(え? そうするの?)と思うこともあり、そうなると上手くても「気持ち良い」技ではなかったりする。例えば大澤師範の一教は多分途中からすぱっと早くされても「気持ちが良い」まま下に叩きつけられる受け身を取ることになるだろうな、という気がした。

 実は3日(日)の午前の稽古は勤務要件が入って参加することが出来なかったのだが、それがいよいよ残念に感じた。 

広告を非表示にする