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椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

異国のまつり

まち

 お祭りはどちらかというと周りで眺めているばかりで、寧ろそうしているのが好きだ。

 私は天満の天神祭の時期の生まれで、そのせいかどうか亡き母親が私と妹がまだ小学生だったころに天神祭に連れて行ってくれたことがあった記憶がある。奈良は学園前から出ていくので結構な距離だったはずだが、今その時の自分くらいの歳の子どもを持つ親の身になってみるとよく連れていく気になってくれたものだとありがたさが身に沁みる。

 博多に居た時は父親が朝早くに起こしてくれて山笠を見に行ったことがあった。締め込み姿の男たちがどうっと通って行くのが勇ましく、ちょっと羨ましくもあった。

 奈良も博多も親の仕事で行っていたもので「氏子」というような立場で参加することがなかった。山笠と走るひとたちへの羨望の気持ちはそんなとこから感じていたのだが、二十代になって浅田彰さんが『構造と力』だったかの中で師匠にあたる森毅さんの「お祭りのあとをうろうろついて回る楽しさ」みたいな言い回しについて触れられているのを読んで、それを隠喩としてでなくそのまま受け取ってお祭りの楽しみ方にしてしまって今日に至っている。

 東京に来て、江戸のまつりというのをたまに遠目に見て楽しむことがあるが、基本子供達を過剰な人ごみにつれていくのを慮ってほどほどにしている。お隣の品川から大田区辺りでは神輿は首の後ろで担ぐので、根っからの祭り好きは首の後ろに巨大な担ぎダコをこさえてそれを誇りにしているというのも割りと最近知ったことである。神社のお祭りは多少の違いはあってもなんとなく自分の知っている祭りの概念で捉えることができるのだが、馬込に住むようになって七年を過ぎても異なる文化に足を踏み入れた気持ちを味わう祭りがある。御会式のことである。

 御会式(おえしき)というのは広義では「宗祖の命日に行う法要」ということになるのだが、大田区で言う場合御会式とは日蓮上人のご命日を指している。日蓮上人が亡くなられた池上本門寺があるからだ。

御参りだけしていこう

 御会式の何が私にとって「異なる文化」なのかというと単に自分の知っている祭りで似たものがない、というに過ぎない。もしかしたら自分が知らないだけなのかもしれない。ただ、思いつく限りにおいては博多山笠、京都祇園祭り、天満の天神祭りなどを江戸の三大祭と見比べてみて、もちろんどれも違うのだが大きくはお宮さんのお祭りだという括りが自分の頭のなかではできる。酉の市にしても(えべっさんのようなものやな)と整理がつくのだが御会式については自分のなかで結びつくグループが見当たらず近似式をつくることができないでいる。

 上の写真の池上本門寺の御会式は、今年は万灯が本堂に参る10月12日の金曜日は見には行かなかった。翌土曜日の夕方、祭りが終わる頃に本堂にお参りに行ってきた。

 それでは詰まらないので16日の火曜日に隣の品川区、荏原町の駅のすぐ前にある法蓮寺さんの御会式を見てきた。

 合間に荏原町商店街にある伊豆屋酒店さんに立ち寄って常陸野ネストビールを1杯角打ちで飲んでいった。丁度店を抜けだして御会式を見物してきた伊豆屋の奥様と立ち話をしたのだが、奥様も不思議な感じがする、と仰られた。ご主人は荏原町の方だが奥様は嫁いでこられてから御会式を見るようになったと仰っていたので、私と感覚が近いのかもしれない。

「毎年あれを見ないと、という感じで、見てるひともただ見てる感じなのよね」

 御会式の特徴は万灯を擁して本堂まで練り歩く人たちの鳴らす団扇太鼓や鉦や笛のおと、あとは不思議なひたむきさだとおもって見ている。このひたむきさというのは日蓮上人の御命日でその仏前に参る、という前提から来るのかという気がする。

 おのおのの講の万灯の前では纏を振るのだが、これも交代で振っているのをみると嬉しそうではあるがもくもくとその威勢の良さを誇示している風に見える。

荏原町法蓮寺の御会式


 今年は最初にお堂に参った。万灯講が順番にお堂に参り、団扇太鼓を盛大に鳴らしながらお経を唱えるのを傍で待ちつつみて、次の講が入る間に短くお参りして行った。


荏原町法蓮寺の御会式


 次から次へと万灯講が法蓮寺の境内に入ってくる。これでも「昔はもっと凄かったのよ」と伊豆屋酒店さんが言われるくらい講が少なくなってきたぐらいであるらしい。

 法蓮寺の境内は決して狭くはないが、ひともたくさんなので纏は控えめに振られる。必ず何人かで囲んで周りに当たったりしないように配慮し、時々交代しながら振っていく。


荏原町法蓮寺の御会式 市野倉一心講が丁度来られた


 車を通行止めにした荏原町商店街の通りでは写真の市野倉一心講と池上堤方講の万灯練りを見ていった。ここは道幅だけは場所があるので多少大きく纏も振られていた。

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