武道・ダンス必修化の目的とは何か

 昨年2011年の9月に「東京都地域社会合気道指導者研修会」に参加した時、実技の稽古の中で武道必修化の話しも出た。

 あくまでも私の印象だが、話しをされた栗林孝典師範の口調からは、軽い苦笑のような響きが聞いてとれた。

 ひとつは「武道必修化で合気道を選択する中学校は全国で何校あるか」という話。3校だかしか無いそうで、今改めて調べてみると植芝盛平翁先生の出生地である紀州田辺で2校と、合気神社があり翁先生と縁の深い茨城県の岩間で1校、だろうか。もう少しあったのかもしれないがまぁ、片手で足りる程度でしかない。

 文部科学省から出ている新しい指導要領でも、武道として具体的には剣道、柔道、相撲があげられているので、それ以外の武道、合気道だけでなく薙刀弓道、空手については似たような状況であるのだろうと推測する。実際自分も奈良の二名中学の授業で剣道を、奈良学園高校で柔道をやった記憶がある。

 要するに必修化がなったからといってまちで道場をやっているものの目からみてそんなに大きく何かが変わるわけでも何でもないということであろう。

後ろ受け身の教え方についての矛盾

 もうひとつは「例えば後ろ受け身を子供に教えるとしたらどうしますか」という話。

 道場で子供に教える時、後ろ受け身では「両手で畳を叩く」「帯の結び目を見る」ようにして勢いを吸収し、頭を守れるように教える。探したら柔道の基本の動画があった。

 で、これが正しいのか。私などもそうだが、わざわざ真後ろに倒れるような受け身は取らない。顎をひくのは同じだが、斜め後ろに倒れるようないわば「横受け」に近い形にすることが多い。そうすると頭が無理に後ろに振られることがないからより頭部が守りやすくなる。この矛盾とどう向き合うのかということを考えなければならない、という話だった。ちなみに講習会の座学の方でもこの話が出ており、実は嘉納治五郎先生のつくられた柔道の教本でも「後ろ受け身」として横受け身に近い写真が収められているという例を見せて頂いた。

 ところが最初から横受け身を教えるのは難しく、実際には子供達にも真後ろの受け身を最初に教えている。柔道であっても受け身を初めてやります、という中学生に授業として教える場合も同様になるのだろう。

自己目的化する必修化

 現場としては苦笑いしながらも準備せねばならなくなるという武道の必修化は、誰の為の、何を目的としたものなのだろう。

 私は先に柔道の授業において「大外刈りは稽古しない、座ってのみ稽古する」「投技を使った試合は行わない」「体格の違う者同士での稽古をさせない」といった指導方針を都道府県の教育委員会レベルで立てざるを得なくなっている、という報道を見たのちにこれを書き始めているのだが、「武道を必修科目化する」ということ自体が目的になっているという認識を持っている。

 元々選択科目であったものを必修科目化する、ということについて全日本剣道連盟全日本柔道連盟から政治屋さんへのロビー活動的なものもあったのだろうと推測する。どうせならより上を目指してということなのか、高尚な理想を掲げてのことなのか、どこかに利権があってのことなのか、ロビイストの方々に取材してみたい気がする。

 全日本柔道連盟のサイトには武道必修化に対しての情報が掲示してある。上記のうち高尚な理想については言及されている。

 近年の子供たちの体力低下、若年層におけるモラルの低下や少年犯罪の増加など、社会情勢の変化を受け、平成18年12月15日、教育基本法が改正され、その第2条(教育の目標)に、「健やかな身体を養うこと」と「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」が定められました。この改正教育基本法を踏まえて、平成20年3月28日に改訂された「新学習指導要領」では、1年生と2年生で「体つくり運動」「器械運動」「陸上競技」「水泳」「球技」「武道」「ダンス」「体育理論」の8領域すべてを必ず履修させ、3年生では「球技」と「武道」のまとまりから1領域以上を選択して履修することになったのです。

 具体的にどれくらいの時間を使って履修するのかということも説明されている。

 これにより、1年生と2年生時には、男子も女子も「武道」を履修することになります。柔道、剣道、相撲のうち、どの武道を選択するかは、各中学校の判断に任されます。また、地域的特性により、「弓道」や「なぎなた」など、他の武道を選択することもできます。
 保健体育の年間標準字数も、従来の90単位時間から105単位時間に改められましたが、このうち「器械運動」「陸上競技」「水泳」「球技」「武道」「ダンス」に割り当てられるのは79単位時間となり、それを平均すると「武道」に割り当てられるのは13時間程度になります。

 保健体育のなかだけでもいろいろ種目があるなかで柔道なり剣道なりで通年で5〜6時間。1年生である程度基礎をやって、2年目でやっと試合形式でできる……位だろうか。その武道の入り口に立ってみる、という程度。学校教育で出来ることは限られているのだろうが、ちょっと詰め込み過ぎで「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」という理想とは齟齬があると言わざるを得ないのではないだろうか。

 結局時間に限りがある以上技を限定するなどの現場方針を立てざるを得なくなってきている状況なのだと思う。柔道において「体格差のある者同士で稽古しないようにする」というのは現実的な対策だろうが、単に危険度が高いという理由だけで大外刈りをやらないというのは手段が自己目的化していることを端的に示している。むしろ受け身の稽古に重点をおくとか、万一頭を打った時の対処法までしっかり指導に含めるとかするのが正しい選択であるように考える。

合気道としてどうするのか

 植芝盛平翁先生はご自身が武田惣角先生にお願いされて内弟子に入られた方だから「わざわざ集めてまで教えなくても良い」というように言われていたと聞いている。武術的な在り方かもしれないが、本当に志す者だけに教える、というスタンスで居られたのだろう。合気道も吉祥丸先生以降はそれを広く教えられるように組織化する道を選んで来たのだが、かと言って全ての日本の若者に合気道を知らしめるということが合気道としての目標ではないだろうとおもう。

 であれば、合気会としては必修化の動きに追随するよりは「他の種目を押しのけてまでやる位ならば、中学校教育上は武道は選択科目のままで運用するのが良いのではないか」と発言する方が「他を尊重」するという理想に沿っていると言えるのではないだろうか。

 多様性を認めて、という今の社会で人口に膾炙する言葉を受け入れるのならば、クラブ活動や校外の道場などとの連携を密に、かつ柔軟にすることで本当に興味を持ったものにその子供が集中できるような場を作るような動きを取るほうが、新しい何かを生み出すことができそうな気持ちになれる。

 私が稽古している大田区でも先日演武会をやったのだが、来賓として区の教育委員会の偉い方が来られて耳障りの良いスピーチなどして演武を見て行かれる。それが悪いとは申さないが、更に演武会みたいな場を利用するなどして道場に来ている子供達の学校の担任の先生と道場で教えている者とがちょっと話をして情報交換ができるような段取りをされると格段に違うと思うのだが如何だろうか。

 武道必修化が利権に主導されて進められているのではないことを祈りつつ、そのように考える。